日本を代表する俳優として知られた仲代達矢さんは、11月8日に亡くなって、26日で四十九日を迎える。俳優の卵を育てる仲代さんによる無名塾(東京・世田谷区)の塾生たちは、師が旅立った後も変わらず修業に励んでいる。

そんな中、教え子で“年齢確認”のショートフィルムで53歳にしてブレイクした赤間麻里子(55)が、師との忘れられない思い出を語る。(内野 小百美)

 赤間は、大雪になると必ず思い出すことがある。無名塾の塾生の朝は早い。稽古場の掃除、ランニング…。約35年前。積もるほどの雪が降っていた。「滑って転ぶ危険性も。さすがにその日は走らなくていいだろう」と皆で待機していた。扉が開いた。仲代さんは軽いストレッチを終えると言った。

 「君たちはいいねぇ。素人には休むって感覚があって。

僕はプロだから。何があっても休めないんですよ」そう言い終えると、走りに行ってしまった。塾生は慌てて後を追う。当時の仲代さんは撮影でどんなに朝早く家を出るときも走ることを欠かさなかった。明け方3時というときもあった。

 「役者は仕事がなければいくらでも怠けられる。それだけに自分を律する強固なものを持ち続けることが不可欠で、それがなければ役を演じることなどできない、ということをおっしゃりたかったんだと思います」

 存命なら13日は93歳の誕生日だった。例年通り、仲代さんの出演作を皆で鑑賞し、ケーキを食べながらその日を過ごした。来年3、4月には石川・能登演劇堂などで無名塾公演「等伯」再演を控える。チラシの演出には初演時と同じく「仲代達矢」とある。前回を踏襲するということだ。

 「無名塾に行けば仲代さんに会える、という安心感のようなものがありました。

でも二度と会えないんですよね…」いま猛烈な喪失感に襲われている。赤間は“年齢確認”を始め、短編映画「こねこフィルム」シリーズで人気に火が付き、53歳でブレークした。活躍の時が来ることを予言していたのは、他でもなく仲代さんだった。19歳のときに言われた。「いまの“芝居への情熱”を60歳まで持ち続けられるか。そうすれば“本物の俳優”として食べていけるかもな」。

 「売れる」でなく「本物の俳優」と表現した。運も大きく左右する役者という仕事は、過酷で孤独で残酷だ。巧(うま)ければ成功するという保証もない。無名塾が生まれて約半世紀。赤間はいま、女優では若村麻由美(58)に次ぐ、存在感を発揮しようとしている。少数精鋭であっても、役者を育てることが、どれほど難しいかを物語っている。

 「芝居への情熱」。仲代さんは「戯曲という戯曲を読むように」とも話していた。映画やドラマの仕事に追われ、多忙を極めていたころ。直接教えてもらうには、朝のわずかな時間しかなかった。塾生たちによる師の“争奪戦”。赤間は仲代さんに直談判して訴える。

 「私は遠くから通っていてお金もありません。すごく不公平だと思います」。すると「上(台本部屋)が空いてるから、そこでもいいなら」と返ってきた。実際にそこに一時、住んでいた。当然、赤間の芝居への激しい情熱を感じ取っただろう。

 「あのとき、仲代さんは冗談半分でおっしゃったのかもしれません。

でも私はとにかく真剣でした。小さな通気口くらいしかない、広さ2畳半くらいの部屋。本棚の下で真っすぐに寝れない状態でした」と極狭生活を懐かしむ。しかし、その空間で多くの戯曲を読みあさった。すぐに結果は出なくとも、演じる感性となって蓄えられていく。

 無名塾時代の先輩(高川裕也)と結婚し、3人の子宝にも恵まれた。「30代は子育てに追われました。子どもを通して得るものは、たくさんありすぎて。心を豊かにしてくれるかけがえのない時間でした」。芸能界と離れた中での生活。「子育てに全力を注ぎ、役者であることを忘れてしまったら。自分はそれまでの人間、ということですし」。

仲代さんの「芝居への情熱」の本当の意味を考え始めるようになる。

 42歳で映画デビューした後、乳がんが見つかった。「がんの宣告を受けたとき、自分はあの世に行くんだ、と目の前が真っ暗になりました」。女優業を本格的に再開させたと思ったら、40代は病との闘いが待っているとは。抗がん剤の激しい副作用とも闘いながら、仕事を続けた。

 苦しくなれば「“演じる情熱”がどこまであるのか」と自問自答し続けた。赤間を支え続けたのは、師の言葉だった。仲代さんは、ショート動画を見てくれており、赤間に巡ってきたチャンスをとても喜んでいた。「きちんと近況をお伝えしたい、と思っていた矢先でした」報告できずに終わったことを悔やむ。

 師を顧みる。演じるテクニック的なことを具体的に教えることは、ほとんどなかった。それは小手先の芝居など何の意味もない、ということだったのかもしれない。

しかし、忠実に守っていることがある。

 「撮影現場では、共演者との雑談にも気を配れ」という助言だ。天気の話程度なら構わない。しかし心揺らぐような話は、それが演技中にちらつく可能性がある。役に命を吹き込み、役を生きる神聖な世界を、決して犯してはならない、という“演技のあるべき姿”を教わっていたのだ。「この心の穴をどう埋めればいいのか分かりません。気持ちの整理はつきませんが…」足を止めず演じ続けることが、何より仲代さんへの恩返しとなる。

 ◆仲代 達矢(なかだい・たつや)本名・仲代元久。1932年12月13日、東京・目黒生まれ。俳優座養成所第4期生で55年「幽霊」で初舞台。映画の代表作に小林正樹監督「人間の條件」「切腹」、黒澤明監督「用心棒」「天国と地獄」「影武者」「乱」。最後の仕事は5、6月の舞台「肝っ玉おっ母と子供たち」。芸術選奨文部大臣賞、紀伊國屋演劇賞、読売演劇大賞、カンヌ国際映画祭(「影武者」が最高賞)、ブルーリボン賞など内外で受賞多数。75年に宮崎恭子夫人と無名塾を開塾。07年文化功労者、15年文化勲章。24年名誉都民。

 ◆赤間 麻里子(あかま・まりこ)1970年8月26日、神奈川県生まれ。55歳。私立の音大を経て、ダンスを学ぶため、米ニューヨークなどに留学。「無名塾」には89年に入り、女優活動をスタート。約10年間在籍。2012年「わが母の記」(原田眞人監督)で映画デビュー。総再生回数25億回を突破したクリエイター集団「こねこフィルム」看板女優として活躍。来年3月で「こねこ―」卒業を発表。日本テレビ系「良いこと悪いこと」での教師役でも話題に。特技はクラシックバレエ。愛称マリリン。

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