【関西サッカー担当・森口登生】京都は今季、クラブ最高となる3位でシーズンを終えた。「まだ見ぬ景色を見に行く」とはじまったシーズンで、見事な有言実行。

優勝にこそ届かなかったが、京都の町を熱狂の渦に巻き込んだことは確かだった。

 2011~21年の11季をJ2で過ごし、22年に昇格した。今季はJ1で4季連続となるシーズンを戦ったが、これもクラブ最長。力が拮抗(きっこう)するJリーグにおいて、J1で居続けることの難しさを、昇降格を経験して存分に味わってきたクラブが、新たなステージの扉をこじ開けたシーズンだった。

 その中で、京都と同じく「最高」を更新したのがGK太田岳志である。2013年に大阪学院大から現在J3の岐阜に加入。しかし3年間でリーグ戦20試合の出場にとどまると、契約満了を味わった。そこから東京Vに加入し、富山を経て2020年から京都へ。昨季までの5季でリーグ戦出場は20試合。今季を迎えるまでで1年間最多のリーグ戦試合数は2015年、岐阜での18試合だった。

 迎えた今季は、開幕前にレギュラー格だったGKク・ソンユンが負傷した。太田は「チームでまだ見たことない景色を見に行こうと掲げて。

自分でも意識はしていたが開幕にソンユンが間に合わなくて、他の3人のGKにチャンスがあると思っていた。まずは目の前の試合に出て、チームを勝たせることを目標に常に考えてきた」と、開幕戦スタメンを獲得。その意識を「積み重ねた」結果、自己最多の2倍となるリーグ戦36試合に出場し、天皇杯・横浜FC戦では劇的な同点ゴールもマークした。土壇場でのPKストップや安定感でチームを救い、「京都に太田あり」を見せ続けた。

 シーズン終了後のアワードパーティーでは、MVPも受賞。プロ13年目にして、まさに飛躍の年だった。そんな太田にモットーを尋ねると、ぴったりな言葉が返ってきた。

 「コツコツが勝つコツ」

 太田は言う。「プロ1年目からずっと思っていて。プロ生活以前から、自分は本当にエリート人生を歩んできていない。小、中、高、大で全国大会に出たことないですし、高校生まで県選抜にも選ばれたことがない。大学までGKコーチもいなかった。

そんな自分がこうして活躍するには、一つひとつ積み重ねるしかないと思っていた」。真っすぐに、愚直に、やり続けてきた。私も「やり続ける」ことがいかに重要で、どれほど難しいかを多くの取材で感じてきたからこそ、重みを感じた。

 太田は、9月28日のC大阪戦(ヨドコウ)でJ1通算50試合出場を達成した。J3のチームを契約満了になった過去と、優勝争いするチームの守護神として君臨している現在。ピッチに立つ心構えは「常に胸に刻んでいるのは、この試合が最後の試合になってもおかしくない、最後になってもいいように後悔しないプレーを心がけている」と変わらない。

 「ここに来るまでなかなか試合に出ることができなかった。試合に出られていないし、チームの力になれていないなと今までのチームでは感じながら、もっとチームのためにできることはないかなってもどかしい気持ちを持ちながら今までサッカー選手をやってきた」。思いが分かるこそ、いつもふた言目には控え選手の話が出る。

 「彼ら3人(圍、マルクヴィト、ファンティーニ)の思いも背負ってプレーしなければいけない」

 「メンバー外の選手たちに『ふざけんなよ』って思われないように。代表として出ていることを誇りに思ってもらえるようにプレーしなければいけない」

 「試合に出ている選手だけじゃなくて、みんな本当に100%やってくれている。そういった選手に対しても、試合に出ている選手と同じ熱量で応援して欲しいなと思う」

 京都に加入してからも、スタメン定着までたどり着いたのは今季が初だ。

「満員のスタジアムの中でチャントをつくってくれたりワンプレーごとに歓声を聞くことができるのが幸せ」とかみ締める一方で、今までの歩みが言動、行動に宿っている。

 12月26日、太田は35歳になった。またひとつ年を重ね、個人としてもチームとしても、明確に「優勝」を掲げて挑むプロ14年目。「岐阜の時は勝てなくて、試合に出て大量失点とか、ミスをして負けて。サポーターの方に『お前なんか見たくない』って言われたりネットに書かれたりして、もう試合に出たくないなってなったりもした」。どれだけ苦い経験が重なろうと「家族を含め自分を支えてくれた方々のおかげ」と、踏ん張ってきた。全てを肥料にし、咲かせた「遅咲き」の花。まだまだ大輪に育ちそうだ。

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