男子テニスで元世界ランキング4位の錦織圭(ユニクロ)が、12月29日に36歳の誕生日を迎えた。今年は5月に腰痛を発症し、22年の左股関節手術から左ひざ、右足首、右肩と続く故障で、24年を含め2度の引退危機があったという。

しかし、けがに負けたくない意地と、自身の才能を無駄にしたくないという思いで、現役続行に踏み切った。満身創痍(そうい)の体にむち打ち、自らを奮い立たせた錦織が、葛藤や現状について、スポーツ報知の単独インタビューに答えた。(取材・構成=吉松忠弘、全3回の2回目)

 2025年も押し迫った11月中旬。錦織は、国内では19年8か月ぶりにツアー下部のチャレンジャー大会に出場した。横浜慶応チャレンジャーでベスト8に進出したが、準々決勝で当時世界288位の内田海智(富士薬品)に敗れた。出場を決めたのは、「来年のために1試合でもしたかった」という思いだった。○×形式の質問を終え、深掘りは、その大会の総括から始めた。

 「1回戦で負けるよりかは、一応、3試合できた。一番いいシナリオとしては、優勝をするか、めっちゃ自分のテニスがいいか。この2つだけ。でも、そこに行くとは全く思ってなかったので、3試合できたことは十分かなと」

 以前、錦織は調子がいいときの感覚を、「球が吸い付くような感じ」と表現した。けがからの復帰では、その感覚が、いつ訪れるのかを、いつも待つことになる。

 「1試合目が終わった時に、テニス的にはまだまだだなっていうのは、なんとなく悟った。今までの経験として、自分の調子がいつ(戻って)来るかは分からない。急に自分が変わってくれることを、毎試合望んで、試合に臨むことしかできない。そういう意味では、まだ出なかったっていうところ。その悲しさというか、身構えてはいた」

 現役を続ければ、錦織が「理想のテニス」と称賛する世界2位のシナー(イタリア)と初めて対戦することも可能だ。しかし、現状では「今、シナーと対戦したい?」の答えは○×の両方だ。

 「やれるなら、本当に(調子が)いい時にやりたい。今やっても、6―0、6―1ぐらい(で負けるの)が見えてるので。でも、あの速さはやっぱり味わってみたい。5年前と比べても、(上位選手の)スピードは速い。今年、フォンセカ(ブラジル)とやった時(3月の米フェニックス・チャレンジャー準決勝)も、今までにない速さと、甘い球が打てない怖さがあった。それプラス、シナーはタイミングも速い。

今やっても、相手にならないと思う。僕の昔の試合とか見てても、遅いなと思う。フェデラー(スイス)が打つような球を、みんな普通に打ってるぐらいの感じ」

 しかし、けがが治り状態が戻ればトップ100に復帰することは、それほど難しくないと感じている。「健康ならトップ100に返り咲ける?」には即答で○だった。

 「(トップ)100は、正直、行ける。(トップ)50、50位ぐらいを目指したい気持ちではある。そこから先は、なかなか分からないかな」

 錦織のプロ人生は、けがとの闘いの歴史だった。たらればを言えばきりがないが、けがさえなければと誰もが感じている。錦織にとって、プロになったときに想像していたテニス人生はどうだったのか。「プロになった時の想定よりうまくいっている?」に対する答えは〇だった。

 「全然、先は見えなかった。なんとなく大きな目標を言っとかないと思い、トップ10と言ったけど、明確な感じは別に持ててたわけではない。

それを考えたら、グランドスラムの決勝の舞台に立てるとかは全く思ってなかったので、まあ頑張ったなとは思える。ただ、これだけけがが出てなかったらとも考えるので。(○×)両方ある」

▼○×形式の質問と回答

問1 慶応チャレンジャーの結果は上出来だった ○

問2 日本選手と対戦するのは今でも苦手 ○

問3 今年最も調子が良かったのは香港OP ×

問4 14年と今では、テニス界が最も異なるのはスピード ○

問5 今、シナーと対戦したい ○×

問6 健康ならトップ100に返り咲ける ○

問7 自分が36歳とは信じられない ○

問8 プロになった時の想定よりうまくいっている ○

問9 今年がテニス人生最大の危機だった ○

問10 できないかもしれないと心が折れたことがある ○

問11 けがで辞めるのは避けたい ○

問12 成績が出ず無理と思ったらすぐに辞めたい ○×

問13 引退後の人生は描いている (少し)○

問14 引退したり拠点は日本に移したい ×

問15 来年の目標は決まらない ○

問16 いずれは自分の名前を冠した大会を作りたい ×

問17 自分以上の選手が日本から出る (希望)○

問18 テニスがまだ好き ○

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