長嶋茂雄さんは将棋では「勘ピューター」ではなかった。スポーツ報知で連載した「ありがとうミスター」から長嶋さんの秘話を紹介する。
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将棋の中原誠十六世名人は、野球界有数の将棋好きだった長嶋茂雄さんと対局した経験がある。将棋盤を挟んで受けた印象は意外なものだった。また自身も脳出血で倒れた後、入院先の病院で長嶋さんが懸命にリハビリする姿を目にした。現在車いすで生活する中原は、ミスターから力をもらっているという。(中西 珠友)
大ファンだった長嶋さんと中原が初めて対面したのは、1974年11月3日。現役最終年に開催された日米野球の試合後、後楽園球場のロッカー室だった。
中原は「野球ばかりでなく将棋もお強いと聞いています。背番号3にちなんで、ぜひ名誉三段を贈りたい」と背番号にちなんだ免状を手渡し、重ねて「ぜひ一度お手合わせを…」と対局を提案した。長嶋さんも快諾し、同30日に記念すべき一局が実現。「憧れの方だったので、大変うれしかった。非常に明るい方だと思いましたよ。最初に姿を現した時から部屋が明るくなるような感じがありましたね」と振り返る。
中原は当時名人を3連覇していたほか王位、王将のタイトルを含む三冠を保持し、棋界のトップに君臨。対局は中原の二枚落ち(飛車、角なし)で行われた。長嶋さんは得意の中飛車(飛車を5筋に移動させて指す戦法)で挑戦したが、中原が名人の貫禄を見せて勝利した。
2年後には、監督となった長嶋さんとスポーツ報知の「スポーツ芸能人将棋大会」で特別対局として再戦し勝利。野球では「勘ピューター」とも言われていたが、「決してそんなことはなくてね、割合じっくり考えておられましたね。割と慎重な性格なのかもしれないですね」。盤を挟んだ中原の目にはそう映った。
長嶋さんから受け取った一枚の色紙がある。「燃えるものはいつかは消える。燃えかたが激しければ激しいほど、消えるときの感動も強烈」。今も大事に飾っているその色紙に目を向け「やっぱり、いい言葉だな。長嶋さんの人生そのもの」とうなずいた。
最後の対面は、15年ほど前。中原が2008年に脳出血で倒れ、入院した病院が、04年に脳梗塞(こうそく)で倒れた長嶋さんのリハビリ先だった。「声をかけようとしたら、器械を使ったリハビリの体操とかをものすごい真剣にやられていてね。あんなに真剣にやる人見たことない。私なんかいい加減にやっていたから」。あまりの迫力に近寄れなかった。「2回会ったけど、2回ともあいさつしそびれてね。しゃべり損ねました。それは、ちょっと残念でした」と今も悔やんでいる。
中原は脳出血の後遺症で、左半身に麻痺(まひ)が残った。
長嶋さんが最後の最後までリハビリに励んだ姿は、中原の記憶にもしっかりと刻まれている。自室の一番目立つところに飾ってある色紙に「今も力をもらっている」。その言葉を胸に、これからも力強く歩んでいく。(7月18日「スポーツ報知」掲載)
◆中原 誠(なかはら・まこと)1947年9月2日、宮城県塩釜市出身。5歳で将棋を始め、小学4年の時に上京。18歳で四段に昇段しプロ入り。67年に当時の史上最年少記録となる20歳で初タイトルの棋聖を獲得。大山康晴、米長邦雄らと時代を築き、歴代3位の通算タイトル64期。2009年引退。

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