落語家の初代林家三平さんの妻で、エッセイストの海老名香葉子(えびな・かよこ)さんが24日午後8時38分、老衰のため死去していたことが分かった。92歳だった。

「ねぎし三平堂」の公式サイトで発表された。発表によると、29日に家族葬が執り行われたという。

 初代・三平一門を隆盛に導いた「おかみさん」であると同時に、東京大空襲で家族を失い、戦災孤児になった経験から著書や講演で平和を訴え続けてきた香葉子さんが天国に旅立った。香葉子さんは毎年、東京大空襲の戦没者を供養する「時 忘れじの集い」をライフワークとしており25年3月の集いにも車いすで出席。高齢のため、代表あいさつは長男の9代目林家正蔵、次男の2代目林家三平に引き継いでいた。

 東京都生まれ。本所(現・墨田区)で代々続いた釣りざおの名匠「竿忠(さおちゅう)」の長女として生まれた。両親と祖母、3人の兄と4歳の弟がいたが、東京大空襲で家族6人が犠牲に。静岡・沼津に疎開していた11歳の香葉子さんは戦火を逃れたが、生き残った3番目の兄と2人きりの戦災孤児になった。

 帰京後は親戚の家を転々としていたが、ある日、焼け出された母の実家を訪ねた帰りに、竿忠の常連客だった3代目の三遊亭金馬と偶然再会し「うちの子になりなさい」と養女に。金馬が縁となり、1952年に初代三平さんと結婚。元女優の海老名美どりさん、シンガー・ソングライターの泰葉、9代目正蔵、2代目三平の4人の子どもをもうけた。

内助の功で夫を支えたが、80年には三平さんが肝臓がんのため死去。一門解散の危機を惣領弟子だった林家こん平さんとともに支え、数十人の弟子や見習いを抱える大所帯を切り盛りした。

 おかみさん業の傍ら、文筆家としても活躍。夫の晩年の様子をつづった「ことしの牡丹はよい牡丹」、自らの戦争体験を記した絵本「うしろの正面だあれ」はベストセラーとなった。「二度と私のような子を出したくない」と、平和への思いは誰よりも強く、私財を投じて東京・上野公園に「時 忘れじの塔」を建立。毎年慰霊の集いを行ってきた。

 増位山太志郎さんの1974年のヒット曲「そんな夕子にほれました」の作詞を手がけるなど、作詞家としても才能を発揮。23年には反戦歌「ババちゃまたちは伝えます」を作詞。絶対に戦禍を繰り返してはならないという強い思いを込めていた。

 ◆海老名 香葉子(えびな・かよこ)1933年10月6日、東京・本所(現・墨田区)生まれ。52年に落語家の初代・林家三平と結婚し2男2女をもうける。夫の死去後(80年)も一門を支え、作家としても活躍。

主な著書に「ことしの牡丹はよい牡丹」、「うしろの正面だあれ」など。3番目の兄は竿忠4代目で名誉都民の中根喜三郎さん。

編集部おすすめ