落語家の初代林家三平さんの妻で、エッセイストの海老名香葉子(えびな・かよこ、本名同じ)さんが24日、老衰のため死去した。92歳だった。

29日に近親者のみでの葬儀を終え、長男で喪主の林家正蔵(63)が公式サイトで発表した。「昭和の爆笑王」と呼ばれた三平一門を隆盛に導いたおかみさんであると同時に、東京大空襲で家族を失い、戦災孤児となった経験を著書や講演などで伝え、平和への思いを訴え続けた。

 昭和100年、戦後80年、そして初代三平さんが生誕100年を迎えた2025年の年の瀬、昭和を誰よりも知り、笑顔と平和を誰よりも願い、三平さんを誰よりも愛した海老名さんが人生の幕を下ろした。

 家族葬を終えたこの日、正蔵は公式サイトで「母 香葉子 クリスマスイヴの晩 穏やかに旅立ちました」と公表。「終戦からの激動の時を強く生きてきました。根っからの江戸っ子、情に厚く涙もろく真っすぐな気性、九十二歳の大往生でした」と強く生きた母の人生を形容した。

 関係者によると、海老名さんは今年に入ってから年齢的なこともあり体調を崩しがちに。自身のライフワークとしてきた、毎年3月に東京大空襲の戦没者を追悼する「時忘れじの集い」のスピーチも、今年は正蔵と次男の2代目林家三平(55)に託していた。

 その後、10月末に入院。最期は長女の海老名美どりさん(72)、次女で歌手の泰葉(64)らも含め、子どもたちや孫に見守られながら旅立ったという。来年1月9日にお別れの式を執り行い、その席で改めて正蔵と三平が心境を語る。

 東京・本所(現・墨田区)で代々続いた釣りざおの名匠「竿忠(さおちゅう)」の長女として生まれた。

両親と祖母、3人の兄と4歳の弟がいたが、東京大空襲で家族6人が犠牲に。静岡・沼津に疎開していた11歳の海老名さんは戦火を逃れたが、生き残った3番目の兄と2人きりの戦災孤児になった。

 帰京後は親戚の家を転々としていたが、ある日、焼け出された母の実家を訪ねた帰りに、竿忠の常連客だった3代目三遊亭金馬と偶然再会し「うちの子になりなさい」と養女となり、それが縁で1952年に初代三平さんと結婚。4人の子どもをもうけた。内助の功で夫を支えたが、80年には三平さんが肝臓がんのため死去。一門解散の危機を惣領弟子だった林家こん平さんとともに支え、数十人の弟子や見習いを抱える大所帯を切り盛りした。

 おかみさん業の傍ら、文筆家としても活躍。夫の晩年をつづった「ことしの牡丹はよい牡丹」、自らの戦争体験を記した絵本「うしろの正面だあれ」はベストセラーとなった。「二度と私のような子を出したくない」と、平和への思いは誰よりも強く、私財を投じて東京・上野公園に「時忘れじの塔」を建立した。

 増位山太志郎さんの74年のヒット曲「そんな夕子にほれました」の作詞を手がけるなど、作詞家としても才能を発揮。2023年には反戦歌「ババちゃまたちは伝えます」を作詞。絶対に戦禍を繰り返してはならないという強い思いを込めていた。

 ◆海老名 香葉子(えびな・かよこ)1933年10月6日、東京・本所(現・墨田区)生まれ。52年に落語家の初代・林家三平と結婚し2男2女をもうける。夫の死去(80年)後も一門を支え、作家としても活躍。主な著書に「ことしの牡丹はよい牡丹」「うしろの正面だあれ」など。3番目の兄は竿忠4代目で名誉都民の中根喜三郎さん。

 ◆お別れの式

 ▼日時 2026年1月9日、午前11時

 ▼場所 東京都台東区上野公園14の5 東叡山寛永寺輪王殿・第一会場

 ▼喪主 長男・林家正蔵

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