ミラノ・コルティナ五輪は6日で開幕まであと1か月に迫った。本大会で注目を集めることになるのが、男子の堀島行真(28)=トヨタ自動車=を筆頭にメダル獲得の期待が高いフリースタイルスキー競技のモーグルだ。

1998年長野五輪で冬季五輪の日本女子で初めて金メダルを獲得した里谷多英さん(49)がスポーツ報知の単独取材に応じ、五輪女王に輝いた当時の思い出や競技の歴史、ミラノで新たな歴史を紡ぐ後輩たちへのエールと熱く語った。

 長野五輪のサプライズ金メダルの衝撃から28年。地元開催の五輪で日本中の注目を浴びたのが、当時21歳で日本人初のモーグル女王に輝いた里谷さんだ。

 アクロバティックな3Dエアとスタイリッシュに滑走する雪上競技で、冬季五輪日本女子初の金メダル。歴史と伝統のアルペンと比べ、モーグルが五輪に正式採用されたのは92年のアルベールビル大会と歴史も浅く、里谷さんが始めた当初も「全然、誰も知らなかった」というマイナー競技だったが、長野の大金星で知名度を一気に押し上げ、後にW杯が日本で開催されるなど、競技の灯をともした。

 当時18歳だった上村愛子さんも長野五輪で五輪デビュー。ともに長野から5大会連続で出場した。上村さんは五輪メダルはかなわなかったものの、09年世界選手権で日本人初の2冠に輝くなど、2人が主軸となって長らく女子をけん引した。里谷さんは「私はたまにしか声はかけられませんでしたが、愛子人気はすごかったですね」と当時を振り返る。

 里谷さんたちが切り開いた長野から2月のミラノ・コルティナ五輪で8大会。五輪のメダルは18年平昌大会の原大智、22年北京大会の堀島(ともに銅メダル)が獲得し、世界のトップ選手たちとの戦いはいまも絶えず続いている。その灯をつないでいくためにも、今大会での活躍が期待される。

 起爆剤になるのは堀島だ。採点競技のモーグルはターンの配分が60%を占める。エアが得意だが、18年平昌五輪後、ターンの課題と向き合い、板を縦に走らせ直線的に滑る「カービングターン」が世界一と言われるまでに成長した。この高難度ターンは里谷さんの武器だった。幼少期から父に「縦に滑ることを常に言われてきた」と話すようにこの技術で世界を極めた。

 ただ、この技術は、板を横や斜めにずらして安定して滑ることのできるスライドターンと比べると、もろ刃の剣でもある。板がはじかれミスにつながると大きくタイムロスをする。「左右が非対称だったりすると一気に点数が引かれ、安定して滑れるスライドの方が点が高くなる時もある。男子はできますが、女子はあまりいないのかな」と里谷さんもその難しさを話す。

 初の金メダルを目指す堀島について、里谷さんは「行真選手の滑りは直線的で、スピードがやっぱりすごい。(世界王者のミカエル・キングズベリーと比べても)うまい気がします。何とか頑張ってほしい」と高く評価している。

里谷さんから紡いできたバトンを後輩たちが、どうつないでいくのか。ともしたモーグルの灯が、ミラノで再び輝きを放つ瞬間を待つ。(松末 守司)

 ◆里谷さんの98年長野五輪金メダル 予選を11位で通過し、決勝は6番滑走。決勝は「記憶がすっぽりないんですよ」と話すように、まさに「無の境地」。左胸ポケットに前年に亡くなったスキーの師でもある父・昌昭さんの写真をしのばせ挑み、第1エアをクリアをすると、持ち前のターン技術とスピードで軽快なリズムを刻みコブを次々とクリア。第2エアでは足を大きく開脚して飛ぶ「コザック」を決め、大歓声を浴びてフィニッシュした。掲示板には自己最高の25・06点が表示。それまでW杯での勝利もなかったが、日本冬季史上初の金メダルを手にした。

 〇…99年にフジテレビに入社した里谷さんは現在、イベント事業局イベント販売企画部で副部長を務めている。13年の引退後から社業に専念。「最初はエクセルを学ぶためパソコン教室に通いました。良い同僚に恵まれて今までやってこられました」と感謝する。

イベント関連の業務が多く、営業先で名刺を出すと「お名前知っています」と言われることも。今も変わらず「自分のやるべきこと」にまい進している。

 ◆里谷 多英(さとや・たえ)1976年6月12日、北海道・札幌市出身。49歳。4歳からスキーを始め、モーグルは11歳から。東海大を卒業後、99年にフジテレビ入社。94年のリレハンメル大会(11位)から5大会連続で五輪に出場。98年長野大会で、日本女子で冬季五輪史上初となる金メダル。2002年ソルトレークシティー大会では銅メダル。06年トリノ大会15位、10年バンクーバー五輪は19位。13年に引退。

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