大相撲初場所(11日初日、東京・両国国技館)で9場所ぶりに幕内へ返り咲いた朝乃山(31)=高砂=が6日までにスポーツ報知の単独インタビューに応じた。大関だった21年に新型コロナウイルス感染対策のガイドライン違反で6場所連続出場停止を受け、24年名古屋場所では左膝を大けがして3場所連続の全休。

三段目転落から2度の幕内復帰は史上初だ。一時は引退も頭をよぎった元大関は「不屈」の闘志で年内の三役復帰を目指し、「もう一回優勝」と完全復活を誓った。(取材・構成=山田 豊)

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 11日の初場所初日を控え、朝乃山は6日、出稽古に訪れた横綱・豊昇龍(26)=立浪=と部屋で相撲を取った。三段目転落からの幕内復帰2度は史上初だが年明けから表情は明るい。「再入幕なので頑張りたい。今年はまず三役復帰を目指す。そして、来年には大関に挑戦できればいい」

 何度も心が折れそうな中、支えになったのが大相撲愛。24年名古屋場所の一山本戦で左膝前十字靱帯(じんたい)断裂などの大けがをし、即手術となった。大関だった21年の6場所連続出場停止から、一時小結まで番付を戻していたが、またも関取の座を失った。

 「元々、けがをしにくい体だったが30歳を超えて大事な膝を大けがした。正直、(現役を)あきらめるくらい追い込まれた。でも、気付いたのは相撲が好きだなということだった。

何より大相撲に未練があり、けがを理由に引退したくなかった」

 幕下だった翌25年初場所で、出場の可能性も模索したが三段目転落を覚悟で同3月の春場所まで患部の回復を優先させた。

 「医師に復帰は早くて(25年)3月頃と言われており、初場所ではリスクがあった。年を重ねて、失敗はできなかった。大事を取って5月の夏場所まで遅らせる考えもあったが、腹をくくって春場所で出た」

 6場所連続出場停止と同じ三段目から再出発。幕下以下がつける黒まわし姿での全勝Vを決めた。

 「(出場停止の)21年は自分の過ちだけど、今回は大きなけがから戻ってきたので、違いましたね。黒まわしは入門時を含めて3回目だけど、相撲を取れる喜びがあったので、全然苦ではなかった」

 当初の目標だった25年九州場所での幕内復帰からは1場所だけ遅れたが、新たな思いも芽生えた。

 「前より声援はより一層大きくなった。師匠の高砂親方(元関脇・朝赤龍)、地元・富山の後援会ら協力してくれた人たちのおかげで、心が折れなかった。1人の力では戻れなかったことに気付かされた」

 休場中に横綱・照ノ富士(現・伊勢ケ浜親方)、大関・貴景勝(現・湊川親方)が引退。一方で、大の里が横綱、安青錦(21)=安治川=が新大関になるなど勢力図は大きく変わった。

 「顔ぶれがだいぶ変わった。

大の里も安青錦も対戦したことがない。31歳だけど(昨年11月で)41歳の玉鷲関(片男波)と比べるとまだまだ。若々しさを出したい。早く横綱、大関と戦える幕内後半に戻りたい」

 平幕だった19年夏場所で初優勝し、トランプ米大統領から土俵上で表彰もされた。苦難を経て7年ぶりの優勝への思いを問われ、大きく息を吐いた。

 「もう一回優勝したいですね…。僕だけでなく応援してくれた人皆がそう思ってくれるはず。(21年8月に64歳で逝去した)父(石橋靖さん)に報告したいし、親方に恩返ししたい」

 幕内復帰を知らせる昨年12月22日の番付発表時には「これがラストチャンス」と不退転の決意。いよいよ勝負の26年が始まる。

取材後記 朝乃山に26年の抱負を書いてもらおうと色紙を差し出した。しばらく考え込み、「1文字じゃなくてもいいですか?」と悩んだ末に、力強く「不屈」と記してくれた。その理由は「自分自身がとても我慢強くなったし、何より相撲が好きだと気がついた。

その思いを忘れないように『不屈』にした」。手術後は左膝が思うように動かせず、「脳ではすり足をしようとしているのに全く動かない。自分の足ではないみたいだった」という。懸命にリハビリをこなす中、「40歳まで幕内でやることも目標の一つ」と新たな夢も出てきた。砂にまみれても、はい上がる姿こそが朝乃山の真骨頂。元大関の復活ストーリーは大相撲ファンの夢でもある。

 ◆朝乃山 広暉(あさのやま・ひろき)本名・石橋広暉。1994年3月1日、富山市生まれ。31歳。小4から相撲を始め富山商から近大に。16年春場所に高砂部屋から初土俵。17年春場所の新十両を機に本名の石橋から朝乃山に改名。

同年秋、新入幕。19年夏場所で幕内初優勝し、20年春場所後、大関昇進。得意は押し、右四つ、寄り。188センチ、170キロ。

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