◆全国高校ラグビー ▽決勝(30分ハーフ) 桐蔭学園 36(5―5、31―10)15 京都成章  (7日、花園ラグビー場)               (京都)

 決勝が行われ、桐蔭学園(神奈川第1)が京都成章(京都)を36―15で下し、史上6校目となる3連覇を達成した。3月の全国選抜大会との春冬連覇で、関東勢では最多の歴代5位タイとなる6度目の優勝を果たした。

準決勝(5日)で右肩を負傷も強行出場した高校日本代表候補フッカー・堂薗尚悟主将(3年)の気迫と共に、後半3連続トライなど試合巧者ぶりを発揮。2度目の決勝で初優勝を目指した京都成章を退け、来季は史上3校目の4連覇に挑む。

 満面の笑みで両手を広げ、堂薗主将は3度舞った。桐蔭学園が、史上6校目となる大会3連覇を達成。「勝つために苦しいこともやってきた。最後にここで勝てて、本当にホッとした」。春の全国選抜に続くV。2回戦から史上初めて常翔学園、東海大大阪仰星、大阪桐蔭と“ラグビー王国”の大阪3強を乗り越えた強さを、決勝でも発揮した。

 気迫がチームに乗り移った。堂薗は準決勝・大阪桐蔭(24〇21)との死闘で右肩を脱臼。フッカーでスローができないほどの状態だったが、この日の朝、強行出場を決めた。「めちゃくちゃ痛かった」。

それでも「最後、ラスト60分、肩が取れるまでやろうと思っていた」と、意地で体を張り続けた。前半14分に先制されても、チームは動じず。劣勢もシミュレーションしていた。5―5の後半4分から3連続トライ。堂薗が後半15分に退いても36―15と王者の貫禄。3年生で2か月考え抜いた今季のスローガン「氣」を胸に、60分間を戦い抜いた。

 常勝軍団の主将。重圧に苦しみ続けた。口下手な18歳は就任当初、チームに自身の思いを伝えることに苦心。昨冬、練習見学に訪れた前主将の申驥世(しん・きせ、慶大1年)は「自分のマネをしようとしていた」と明かす。言葉でも影響力のあった申の背中を追っていたが「自分の言葉ではなかった」。申は伝えた。

「なぜ、藤原先生がお前を主将にしたかを考えろ」。うまく話せなくても背中で引っ張る―。「声を出して、体を当てる」というスタイルに導かれた。

 5月の国際交流大会で大阪桐蔭に10―20、関東大会決勝では国学院栃木に7―50と敗れた。ミーティングでは、SO竹山から「このままならお前はキャプテンにいらない」とも言われた。チームをまとめるため、毎日のように「ちゃんと話せていた?伝わっていた?」と聞いて試行錯誤。厳しい言葉にも「竹山の言葉がなかったら、成長できなかった」と、感謝した。

 直近7大会で5度の優勝。関東勢では単独最多の優勝回数となり、来季は史上3校目となる4連覇に挑む。決勝でも自分の主将像を示した堂薗は「最初は失敗があると思う。そこから自分たちが何をしないといけないか、チームで話し合えば成長していく」。自らが見せた背中を、後輩たちに引き継いだ。

(大谷 翔太)

 ◇全国高校ラグビー決勝の記録

 ▽大会6度目Vは5位タイ 桐蔭学園の6度Vは天理(奈良)、東海大大阪仰星に並び5位。国学院久我山、目黒(現目黒学院。以上東京)の5度を抜き、関東勢最多

 ▽神奈川県勢9度目V 神奈川代表の優勝は54年の慶応、93、94年度の相模台工、10、19、20、23~25年度の桐蔭学園で計9度目。最多Vは大阪の22度で、東京16度、京都と秋田15度と続く

 ▽選手でも監督でも花園V 桐蔭学園・藤原監督は85年度の大東大一(東京)WTBで花園V。伏見工(現京都工学院)SHだった高崎利明監督、東海大大阪仰星フランカーだった湯浅大智監督は母校で達成している

 ※年またぎ開催となった78年から年度表記

 ◆堂薗 尚悟(どうぞの・しょうご)2007年8月14日、神奈川・相模原市生まれ。18歳。兄2人の影響で2歳からラグビーを始め、相模原ラグビースクール。相模原市立上溝南中までCTBだったが桐蔭学園進学後、フッカーに転向。2年時にU17日本代表、高校日本代表候補。次兄の昂修(中大4年)も桐蔭学園で101回大会準決勝進出。174センチ、99キロ。

 ◆桐蔭学園 1964年創立の私立共学校。

ラグビー部も同年創部で現部員は91人。花園は96年度大会に初出場して以来、優勝6度、準優勝5度。主な同校OBはFB松島幸太朗(東京SG)、日本代表SH斎藤直人(トゥールーズ)、高橋由伸(元巨人監督)、織田裕二(俳優)ら。所在地は横浜市青葉区。

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