サッカー元日本代表FW三浦知良(58)が9日、都内でJ3福島への入団記者会見を行った。プロ41年目、横浜FC時代の2021年以来、5季ぶりのJ復帰となる。

2月26日には59歳を迎えるレジェンドは、J復帰に向けた葛藤も明かした上で「情熱は増している」と宣言。半年間の特別シーズンとして行われる今季開幕戦の2月7日・甲府戦でピッチに立てば、Jリーグの最年長出場記録を58歳346日に更新し、Jでの出場は21年3月10日浦和戦(埼玉)以来、1795日ぶりとなる。

 再びJのピッチを目指す喜びを、カズは素直な言葉で表現した。「とても興奮しています。ここでチャレンジできることを幸せに感じています」。慣れ親しんだ背番号「11」。まだ見慣れない赤いユニホームに袖を通すと、笑顔がこぼれた。新たな挑戦への高揚が、2月には59歳となる全身からにじみ出ていた。

 アスリートとして、年齢にあらがい続けてプロ41年目。しかしJ1から数えて4番目のカテゴリーとなるJFL鈴鹿でプレーした昨季は、負傷を繰り返した。練習にも満足に参加できず、リーグ戦は出場7試合、0得点に終わった。その中で、上位カテゴリーに当たるJ3の福島からオファーが届いた。

「チーム(鈴鹿)が昇格しない限り、Jには戻れないだろうなと思っていた。その中でオファーをいただき、やはりJでプレーしてみたいという気持ちが膨らんだ」と言う。

 葛藤もあった。地域リーグに降格した鈴鹿に対する心情に加え、負傷を繰り返した体に対する不安がその一因だ。今季は半年間の特別シーズンとして、J3のみならずJ2クラブとも対戦する。その強度に耐えられるのか―。「自分がどこまで本当にこのオファーに応えられるかを、正直考えた」。それでもオフのトレーニングで、フィジカル面の回復に手応えをつかみ、心は決まった。「このチームで生かされて成長し、試合に出てチームの勝利のために活躍できたらいいなと、今は希望の方が大きい」とうなずいた。

 JFLでは22年に鈴鹿で2得点したが、Jでのゴールは横浜FC時代の17年3月12日の群馬戦(当時J2)までさかのぼる。5季ぶりのJリーグに向け、数字の目標は挙げず「その前に、試合にでないといけない。ぜひゴールなり、アシストなりできたらいい。

できたら本当は、左サイドをドリブルで駆け上がり、いいクロスをあげたい」とほほえんだカズ。還暦も近づく中で「情熱は増しているんじゃないかなと思っている」。常識を塗り替え続けるための芯となる部分は、まだまだ熱く燃えさかっていた。(金川 誉)

 ◆“キング”カズの言葉

 ▽高校時代(15歳) ブラジル留学をめぐって当時の監督から『人間100%はないが、お前は99%無理だ』と言われ

 「1%あるんですね。じゃあ僕はその1%を信じます」

 ▽90年(23歳) ブラジルから読売クラブ(現東京V)へ復帰した際に

 「日本代表をW杯に出場させるために帰ってきました」

 ▽92年11月3日(25歳) アジア杯イラン戦で終了間際に勝ち越しゴールを決め

 「魂込めました、足に」

 ▽98年6月5日(31歳) フランスW杯のメンバーから落選し、直前合宿地のスイスから帰国

 「代表としての誇りと魂は、向こうに置いてきた」

 ▽11年3月29日(44歳) 東日本大震災チャリティーマッチで日本代表を相手にゴール

 「本当にみんなの気持ちが一つになったゴール。東北の皆さんにきっと思いが届いたと思う」

 ▽17年2月26日(50歳) 50回目の誕生日でJリーグ最年長出場記録を更新し史上初の50歳選手に。

 「60歳まではやりたいね」

 ▽24年6月25日(57歳) 東京・国立競技場で保有権を持つJ2横浜FCからJFLのアトレチコ鈴鹿へ期限付き移籍の会見。

 「今の状況で辞める選択は僕の中ではない。どうやってこの情熱を出すか、表現できるかを考えた」

 ◆福島ユナイテッドFC ホームタウンは福島市を中心に、会津若松市、伊達市、国見町、桑折町、川俣町など福島県全域。2002年、Jリーグ入会を目指す「福島夢集団」を結成し、04年に「福島夢集団ユンカース」を創設、福島県社会人リーグに参戦。08年、株式会社フクシマスポーツマネジメントを設立し、クラブ名を「福島ユナイテッドFC」に改称。13年にJFL参加、Jリーグ準加盟クラブに。

14年にJリーグ入会、J3に参戦。J3での最高成績は21、24年の5位。昨季は10位。本拠地はとうほう・みんなのスタジアム(5710人収容)。

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