◆全国高校サッカー選手権 決勝 神村学園(鹿児島)3―0鹿島学園(茨城)(12日・MUFG国立)
大会史上最多の6万142人を集めて決勝が行われ、神村学園(鹿児島)が悲願の初優勝を達成した。前半、FW日高元(3年)が得点ランキングで単独トップとなる今大会7点目を決めて先制し、鹿島学園(茨城)を3―0で下した。
ついに頂点にたどり着いた。試合終了の笛が鳴ると、神村学園のイレブンから笑顔が生まれ、ピッチの中で歓喜の輪ができた。県勢としては21大会ぶり、同校としては初の栄冠。興奮冷めやらぬスタンドに、主将のDF中野は「鹿児島県民の皆さん、夏冬2冠を取ったのでさらにサッカーを盛り上げましょう!」とマイク越しに声を届けた。
夏の総体を制した王者らしい試合運びだった。前半19分にFW日高が単独得点王に躍り出る先制弾を決めると、攻守の切り替え、球際の強さで、カウンターを狙う相手を止め続けた。最後まで攻め続け、3755校の頂点に立った。有村監督は「一つ一つ積み上げた子供たちの努力の結晶。我々がやりたかったことを子供たちが体現してくれた」とたたえた。
鹿児島実魂を継承してきた。同校を長年率いた松沢隆司氏(故人)が掲げた「疾風怒濤(どとう)」のキャッチフレーズを同校OBの有村監督も引き継ぎ、フィジカル強化に重点を置いた。選手権を2度優勝した名門は猛練習による運動量と球際の強さが売りだったが、有村監督も日頃から「走れない選手はダメ」と口酸っぱく言い続け、即時奪回を意味する「5秒で奪い返す」を求めた。
毎週火曜日をフィジカル練習日に設定。筋肉の肥大と俊敏性の強化を目的にしたメニューは全部で8つあり、尻回りを中心に下半身強化を進めた。ピッチの横幅の長さである68メートル走のメニューもあり、スプリント(時速24キロ)のタイムを設定し走力を鍛えた。多くの部員が高校3年間で5~10キロ体重を増やし、力負けしない集団にした。力強さだけでなく、ボールを動かすサッカーも志向し、鹿実スタイルとの「ハイブリッド」を追求した。
精神面も鍛え上げた。昨夏の総体で初の全国制覇を果たしたが、祝勝会は一切設けず、翌日から超過密日程の遠征を敢行。福島から始まった旅は1か月ほど続き、1日2試合以上のペースで連戦を続けた結果、心身ともにタフになった。中野は「王者として負けられないという、精神的なつらさもあった」と振り返る。
神村学園には学校全体のモットーの「やかぜ」という言葉がある。意味は「やればできる、必ずできる、絶対できる」。22年にはベリーグッドマンによって楽曲化され、学校独自の応援歌になった。「やかぜ」の音色に包まれた聖地。優勝できる、と信じて疑わなかった神村学園の夢が結実した。(浅岡 諒祐)
◆夏の総体と冬の選手権の2冠 首都圏開催に変更された1976年度以降では6例目。過去には97年度、2015年度に東福岡(福岡)、00年度と03年度に国見(長崎)、21年度に青森山田(青森)が達成。神村学園は青森山田以来、4大会ぶりの夏冬連覇となる。
◆神村学園の遠征 福島県内で開催された総体を終えると、県内にとどまり尚志らと対戦。次に北海道へ移動し練習試合などを行うと、すぐに大阪へ移動。昌平、奈良ユースらと試合を重ねた。大阪での活動を終えると鹿児島に戻り、1日だけオフが設けられたが、またすぐに宮崎へ移動。
◆神村学園 1956年に串木野経理専門学校として開校。串木野商女、串木野女を経て90年から現校名。97年に中等部、98年に高等部を男女共学化。幼稚園、初等部、中等部、専修学校を併設。サッカー部は2002年に創部。卒業生に福元美穂(女子サッカー日本代表GK)、大山百合香(歌手)ら。所在地はいちき串木野市。

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