フリーアナウンサーの久米宏(くめ・ひろし)さんが1日、肺がんのため81歳で死去した。

 久米さんの話術はまさに「当意即妙」、「洒脱(しゃだつ)」。

久米さんがTBSに入局した1960年代のアナウンサーの話し方は「重厚」「正確性」が主流だったが、その個性をいかに獲得していったのか。そこには2年半の“電話番時代”があった。

 久米さんの自叙伝「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」(世界文化社)によると、久米さんは入社後、体調不良に苦しんだ。もともとアナウンサー志望ではなかったため、急に生放送でのしゃべりを求められたことでの過緊張による神経性の胃腸炎で食事がのどを通らなくなった。TBSラジオ「パックインミュージック」の金曜2部のパーソナリティーに抜てきされるも、栄養失調から肺結核となりわずか5週で降板。療養のため、規則正しい生活を送りながら軽い勤務の日々を過ごすこととなった。

 アナウンス室で電話番をしながら同僚の出演するラジオを聴き、テレビを見ながら過ごす。同期にも後輩にもあっという間に追い抜かされた。著書によると久米さんは「以前はこの時期を『不遇な時代』と思い込んでいたが、最近になってようやく、この時期があったからこそ今の自分があると思える」と回想した。同僚のアナウンスを研究し、感想を自らの言葉にする。その徹底的な分析こそがのちの久米宏の個性を作った。

 自らが編み出したのは「生活感のないアナウンサー」。季節の話や身辺雑事など、自らの半径の話ではなく、世界情勢や宇宙や自然についてを話題にする。普段の暮らしが見えないことを戦略化した。また自らの声質から、軽快なしゃべりが最も合っていると判断した。その分析力と自己実現力によって、ラジオ・テレビ界に大きな変革をもたらした。アナウンサー自身が個性を発揮する時代を彩る存在となった。

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