卓球女子で24年パリ五輪シングルス銅メダルの早田ひな(25)=日本生命=がこのほど、スポーツ報知の単独インタビューに応じた。パリ五輪で負った左腕のけがを乗り越え、女子で史上4人目のシングルス4連覇がかかる20日開幕の全日本選手権(東京体育館)、その先の28年ロサンゼルス五輪に向かう現在の心境を明かした。

(取材・構成=林 直史)

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 早田は幼少期からの夢だった舞台でメダル獲得を果たしたパリ五輪後を競技生活における「シーズン2」と表現する。序章となる昨年は苦難の1年だった。五輪の女子シングルス準々決勝で負傷した左腕は痛みと怖さが消えず、6月にはしびれの症状が加わった。

 「とにかく1日1日を耐え抜いた感覚はすごく強かったです。手首に制限がかかっていて、以前と同じようにやってもうまくいかないことの方が多くて。(5月の)世界選手権までは怖さもあって、そこから練習量を上げていこうと思っていたら、しびれが2か月ぐらい続いてしまって。体のことを気にせずに練習できるようになったのは、9月ぐらいからでした」

 けがで離脱していた期間の世界ランキングのポイントが失効する状況もあり、国際大会だけで年間24大会に出場した。経験のない過密日程の上、パリまで約10年指導を受けた石田大輔氏が専属コーチを退任し、渡航日程一つを取っても、時差や調整を考えて自ら決める必要があった。負担は大きかったが、それは自身が望んだ環境でもあった。

 「今までは私が卓球のことだけを考えられるように、大輔先生が守ってくれていたと思います。そこを自分自身で乗り越えられる力を付けたいと思ったのも、離れる選択をした一つの理由でした。試合が続いて練習を積めなかったり、想像よりも苦しい時間が多くて自分の中の火が消えそうになりながらも、もがいて、縦軸ではなく横軸を広げられた期間。

責任と覚悟があるからやり切ろうと思えましたし、内側の部分をすごく成長させてもらえた1年だったと感じています」

 これまで詳細を語ることを避けてきた左腕の症状も公表することを決めた。「左尺側手根伸筋腱(けん)亜脱臼」。手首を返す動作で腱が動き、痛みに襲われた。病院で検査を受け、回復が確認されたのは8月末。受傷から約1年後だった。

 「たくさん心配してくださる方がいたので、公表しようと決めました。うまく動かないもどかしさがあって、自分の心が『もう大丈夫』と思えるまではあまり言いたくないと思っていたんですけど。今は痛みもほとんどなく、ミスや失点をした時に(けがの影響ではなく)自分の実力と思えるような状態になりました」

 左腕の不安がほぼ消えたことに加え、試行錯誤の成果も11月のWTTチャンピオンズ・フランクフルトで初優勝するなど形になってきた。年も変わり、20日開幕の全日本選手権は女子で92~97年に6連覇の小山ちれ以来の4連覇がかかる。

 「昨年は不安やどこかで諦めている自分もいて、負けを受け入れた状態で初めて入った全日本。何も考えずに最後まで戦術や駆け引きを純粋に楽しむことができて、引退まで、そういう全日本はもうないと思います。逆に言うと3連覇した感覚がなくて。

だから4連覇を目指している感覚も、プレッシャーも全くないです。強い選手もどんどん出てきているので、自分に期待しすぎず、試合を楽しみたいと思っています」

 全日本後の大きな目標も現時点で定めていないが、シーズン2の最終章は28年ロス五輪と決めている。

 「後悔してもどうしようもないことですけど、パリ五輪は打倒・中国を目指してきて、孫穎莎選手との準決勝は(けがで)本当に何もできず、記憶にも残らないような時間でした。もう一回、あの場に立ってちゃんと勝負ができるように。そして金メダルを取れるように頑張りたい。そこに向けて最後まで自分を進化させて、挑戦したいです」

 〇…早田は今年の抱負を「頑張りすぎないことを頑張る」と色紙に記した。過密日程の昨年を経験し「試合と練習、オンとオフのバランスは大事。そこが崩れると卓球が楽しくなくなってしまう」と実感。今でもオフを取ることに抵抗はあるというが、「人生の抱負にもなりそうです」と新たなスタイルを求めていく。

 ◆早田 ひな(はやた・ひな)2000年7月7日、北九州市生まれ。25歳。福岡・希望が丘高卒。

4歳から卓球を始める。21年アジア選手権シングルス優勝。世界選手権は女子ダブルスで17年銅、19年銀、21年銀。混合ダブルスが21、23年銀。シングルスが23年銅。全日本選手権はシングルスで4度優勝、23年に史上5人目の3冠獲得。世界ランク10位。左利き。167センチ。

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