ホワイトソックスなどでナックルボールを武器にして活躍したウィルバー・ウッドさんが、84歳で亡くなった。在籍していたホワイトソックスが17日に発表した。

通算2684イニングを投げ164勝156敗、防御率3・24。オールスターに3回選出された左腕で、1971年から1973年にかけて3シーズン連続でサイ・ヤング賞投票でトップ5入りを果たした。

 全盛時の1971年から75年にかけての5年間に1681回2/3を投げ、シーズン平均は約337回。昨季、メジャートップだったジャイアンツのローガン・ウェブは207回。約130イニングも多かった。

 ウッドは1971年に22勝13敗、7完封を含む22完投で計334回投げ、防御率は自己ベストの1・91を記録した。それでもサイ・ヤング賞投票はわずか1票(受賞は24勝8敗、防御率1・82のアスレチックスのバイダ・ブルー)で獲得とはならなかった。翌年の1972年にはリーグ最多の24勝(17敗)、防御率2・51。1900年以降歴代2位の49試合に先発、投球回376回2/3は、1916年殿堂入りの大投手グローバー・アレキサンダー(フィリーズ)の388イニング以来の投球回数だった。そんな疲れ知らずの左腕だったが、1976年タイガース戦でロン・レフレアの打球を受けて左膝蓋骨を骨折、それを機に成績を落として現役引退に追い込まれることになったことは、惜しまれた。

 ウッドだけが突出しているかのように思われるが、1970年代まではリーグ最多投球回投手の数字は300イニング以上がほとんどだった。メジャー各球団の先発投手のほとんどが、4人ローテーションで登板間隔は中3日だったからだ。

それが1990年代に各球団5人ローテーションになった上に、110球前後で交代するケースが増え、トップの数字も250イニング前後となった。2010年以降は100球交代が定着した上に、6人ローテーションのチームも。250イニングを超えたのは2011年ジャスティン・バーランダー(当時はタイガース)が最後となっている。

 300イニング超えは1980年フィリーズのスティーブ・カールトン(304回)が最後、日本でも1978年クラウンライターの東尾修(303回1/3)が最後で、日米通じて「不滅の数字」どころか250イニング超えも出てこないかもしれない。往年の投手たちから見れば200イニング前後投げて大金を稼ぐ現代の先発投手たちを、どう思っているのだろうか…。

※参考資料 米大リーグ公式サイト、ベースボール・リファレンス

 蛭間 豊章(ベースボール・アナリスト)

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