国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンさん(享年63)のパートナーで女優の池田有希子が1日に自身のインスタグラムを更新。ロバートソンさんは昨年8月に食道がんの診断を受けたと明かし、亡くなった経緯を説明した。

 池田は「皆様へ。私のパートナー、モーリー・ロバートソンが亡くなりました。生前お世話になった皆様へ故人に代わり心より感謝申し上げます」と改めて死去を報告した。

 1日、ロバートソンさんの公式SNSで死去が報告された。池田と「オフィスモーリースタッフ一同」の名義で「かねてより食道癌療養中でございましたが去る一月二十九日 午前〇〇時五十六分 六十三歳にて永眠致しましたことを謹んで御報告申し上げます」と、1月29日に死去したと発表した。

 池田は、ロバートソンさんが亡くなるまでの経緯を説明。「昨年8月に食道癌(がん)の診断を受け、治療を開始しました」と明かす。「肝臓にも転移していましたが、体調の良い時期には外でお茶を飲んだりお散歩したりを日課に過ごしました。昨年のクリスマスディナーと今年のおせち料理をじっくり味わいながら食べました。生まれて初めて朝ごはんを作って、私を稽古に送り出してくれました。上手に目玉焼きをお皿に移せるようになった頃、ぱったり食欲を失い、吐き気で水分補給も難しくなり再入院、積極的治療をせず緩和に移行しましょうと話し合った矢先の急変でした」と振り返った。

 食道がんの診断から約5か月でこの世を去った。

ロバートソンさんの最期について「私が病室に泊まり込むことにした初日の夜に急に息が荒くなりました。ずっと耳元で呼びかけながら、荒い息が静かな小さい呼吸になり、その間隔が徐々に開いていき、砂粒が手のひらからこぼれ落ちるように魂が肉体から離れてゆく最期の瞬間を見届けました。あっけなく、腹の立つほど儚い」と回顧した。

 葬儀は生前の遺志により近親者のみで執り行った。「それからは怒涛の忙しさを家族と仲間に支えられながら、一つずつやるべきことをこなし、過ごしています。人生の大事な瞬間というのはいつもリハなしゲネプロなしのぶっつけ本番ですね。人生初の喪主という役割を、皆のサポートにたよりながら本番一発勝負でなんとか終えました」という。

 最愛のパートナーを亡くし「今こうやって文章を書いていて、悲しさの波の中で少しずつ息継ぎをするタイミングを見つけられてる、ような気がする」と怒涛の日々を回顧。「冷蔵庫にモーリーの飲みかけのバヤリースを見つけた時、携帯のアルバムが自動でモーリーの元気だった頃の写真をおすすめして来る時、不意打ちの寂寥感に崩れそうになります。今までの自分の鈍感さが恥ずかしい。悲嘆の浅瀬で分かったふりをしていた自分を張り倒したい。そういう意味では、私は役者でいることで助けられているのだな、この経験が無駄ではないのだから。

もう前の自分には戻れない。恐怖と悲しみと厳かさと責任感と…色々な思いが束になって心が忙しい」と心境を吐露した。

 長文の最後には「最後に、モーリーを手厚く診察治療してくださった広尾・日赤医療センターの先生方、医療従事者の皆様。モーリーが食欲のない時でも口にできた唯一の食べ物、ガリガリ君。モーリーに生きる希望を与えてくれた全ての人、もの、音、光に、感謝を」と感謝の気持ちを記し、「私の最愛の人でした。モーリーといた20年間、幸せでした。心からありがとう」とロバートソンさんにメッセージを寄せた。

【池田有希子の投稿全文】

皆様へ。私のパートナー、モーリー・ロバートソンが亡くなりました。生前お世話になった皆様へ故人に代わり心より感謝申し上げます。

昨年8月に食道癌の診断を受け、治療を開始しました。肝臓にも転移していましたが、体調の良い時期には外でお茶を飲んだりお散歩したりを日課に過ごしました。

昨年のクリスマスディナーと今年のおせち料理をじっくり味わいながら食べました。生まれて初めて朝ごはんを作って、私を稽古に送り出してくれました。上手に目玉焼きをお皿に移せるようになった頃、ぱったり食欲を失い、吐き気で水分補給も難しくなり再入院、積極的治療をせず緩和に移行しましょうと話し合った矢先の急変でした。私が病室に泊まり込むことにした初日の夜に急に息が荒くなりました。ずっと耳元で呼びかけながら、荒い息が静かな小さい呼吸になり、その間隔が徐々に開いていき、砂粒が手のひらからこぼれ落ちるように魂が肉体から離れてゆく最期の瞬間を見届けました。あっけなく、腹の立つほど儚い。

それからは怒涛の忙しさを家族と仲間に支えられながら、一つずつやるべきことをこなし、過ごしています。人生の大事な瞬間というのはいつもリハなしゲネプロなしのぶっつけ本番ですね。人生初の喪主という役割を、皆のサポートにたよりながら本番一発勝負でなんとか終えました。

今こうやって文章を書いていて、悲しさの波の中で少しずつ息継ぎをするタイミングを見つけられてる、ような気がする。冷蔵庫にモーリーの飲みかけのバヤリースを見つけた時、携帯のアルバムが自動でモーリーの元気だった頃の写真をおすすめして来る時、不意打ちの寂寥感に崩れそうになります。今までの自分の鈍感さが恥ずかしい。

悲嘆の浅瀬で分かったふりをしていた自分を張り倒したい。そういう意味では、私は役者でいることで助けられているのだな、この経験が無駄ではないのだから。もう前の自分には戻れない。恐怖と悲しみと厳かさと責任感と…色々な思いが束になって心が忙しい。

最後に、モーリーを手厚く診察治療してくださった広尾・日赤医療センターの先生方、医療従事者の皆様。モーリーが食欲のない時でも口にできた唯一の食べ物、ガリガリ君。モーリーに生きる希望を与えてくれた全ての人、もの、音、光に、感謝を。私の最愛の人でした。モーリーといた20年間、幸せでした。心からありがとう。

池田有希子

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