6日に開幕したミラノ・コルティナ五輪。元プロテニス選手でタレントの松岡修造(58)が夏季、冬季合わせて12大会連続でテレビ朝日系のメインキャスターを務める。

日本代表の応援リーダーも3大会連続で担当。「日本一熱い男」と称されることも多いが、話してみると冷静沈着。選手ファーストの軸を徹底して守り、揺るぎない地位を確立した。生涯応援を掲げる生きざまに迫った。(水野 佑紀)

 40度近い酷暑のオーストラリア・メルボルンで開催された全豪オープンから帰国した松岡は1週間ほど日本で働き、2月の頭から3週間にわたって冬季五輪を取材する。多忙なスケジュールに感じたが、松岡は「考えたこともなかったですね。昔は毎週、違う国に行ってましたから」。底知れぬ体力に驚かされた。

 04年のアテネから始まったテレ朝五輪のメインキャスターは、足かけ23年で12大会目。JOC応援リーダーは20年(開催は21年)の東京、24年のパリに続く3度目の大役。なぜ、ここまで支持され続けているのか。

 「一つは運ですね。

応援というのが生きがいで、僕の生きざまになっている。そこのポジションが自分に向いていて、うまくぴたっとハマった。JOCの応援リーダーは、自分にとってウィンブルドンベスト8以上の喜びでした」

 特に、今大会には強い使命感を抱く。それは、3大会連続で出場するフィギュアスケート女子の坂本花織(25)の存在が大きい。突出したスケーティング技術、感情の入った表現力、愛される人柄を武器に、ロシア勢不在のフィギュア界をリードした功労者は、今季限りで引退する。「多回転を持っていなくても勝てるんだという証明を最後のシーズン、五輪でやろうとしている。次世代への強いメッセージ性がある。個人戦はもちろん、団体への比重も高いのでは」

 1月18日に行われた日本代表の壮行会。坂本が「会場の皆さんをチームジャパンの一員に認定しちゃいたい」と、観客に応援を呼びかける姿を間近で見て、胸が高鳴った。

 「僕は応援リーダーという立場でしたが、彼女こそがリーダーでした。坂本さんはみんなと戦っている。みんなというのは、僕ら日本のみんな。

より彼女と日本のつながりを深めたい。メディアを通して応援を集められる、僕の責任とモチベーションがものすごく高ぶりました」

 気合は十分だ。体力面の心配もない。常日頃、旅行カバンは、チューブやメディシンボールなど、トレーニング用品で半分は埋まり、主に自重トレーニングに取り組む。45分~1時間かけるストレッチは欠かせないルーチンの一つ。食文化の違いは気にも留めない。「僕は食事に困ったことはないです。どの国、どんな物でも楽しめる。好き嫌いはない」。25年間リポーターを務めた「くいしん坊!万才」で鍛えた胃袋も強靱(きょうじん)のようだ。

 テニスに明け暮れた松岡とウィンタースポーツの出会いは、1998年の長野五輪。当時は日本テレビのメインキャスターで、松岡が同局に提示した条件が「実際に競技をやりたい」。

スキー、スケートやリュージュのほか、5メートル級のスキージャンプも体験した。

 「鮮明に覚えています。どれほど怖かったことか…。ただ、恐怖と人間が味わえない飛ぶ感覚を選手と共有できると思いました」

 体を張って競技の真骨頂を堪能し、選手への尊敬の念も深まった。そんな松岡だからこそできた質問がある。今季W杯初優勝を含む6勝を挙げたスキージャンプ女子・丸山希(27)を取材した時のこと。

 「全体重で足を踏んで、そこに集中するようになったら飛べるようになった。基本の『キ』を忘れていた」と語った丸山に対し、松岡が放った一言は「何で一番大切なことを忘れるんだ」。容赦ない言葉だが、強い思いが隠されていた。

 「絶対的な約束事として、インタビュー後に選手の自信や力になっているか。言語化することで五輪の時、私は今これが必要だ、目指しているんだって思い出せるようになってほしい。それが僕のやる意味合いだと思っています」

 冷静かつ瞬時に選手の言葉を分析し、課題を具体的な言葉として引き出すことで可視化させる。

あえて熱く厳しい言葉をかけることで、選手の記憶に深く刻み込もうとしているのだ。

 松岡が真っすぐに応援する姿は、イタリアメディアで報道されたことも。なぜ、そこまで熱くなれるのか。松岡の応援の原点は、現役時代に遡る。

 95年、ウィンブルドン3回戦。セットカウント1―2で負けていた4セット目のこと。「修造!! 自分を信じろ!」。知らない日本人の声が会場に響いた。

 「僕は負けると思っていました。『信じろ』って言葉で、まだ試合が終わっていないと気付けました」

 奮い立った。フルセットの激戦の末、辛勝した。その後、日本人初となるベスト8を成し遂げたのだ。

 「あの時、応援してくれた人は、僕以上に僕のことを信じてくれた。疑いを持って応援することはない。この人はできるんだって100%肯定。結果はどうであれ、応援するという考え方を植え付けてくれた」

 応援によって気付きを得たからこそ、今の松岡の姿がある。では、今後はどのように生きるのか。「決めていることがあります。それは、死ぬまで応援すること」。言葉に力を込める。

 「ロサンゼルス(28年夏季)、フランスアルプス(30年冬季)…、どういう形で携わるのか分かりません。時代も変わっていますし、見た目の熱さとかは、一つの流れの中にあると思います。ただ、僕が軸にしている“選手が主体であること”は何があっても変えない。変えない中でどれだけ伝えていけるのか、一つのチャレンジだと思っています」

 松岡修造の挑戦は終わらない。

 ◆松岡 修造(まつおか・しゅうぞう)1967年11月6日、東京都生まれ。58歳。慶応幼稚舎(小学校)5年でテニスを始め、慶応高から名門・柳川高に編入。同高2年で高校総体単優勝。85年に米国へテニス留学。86年に高校を中退してプロに転向した。95年のウィンブルドン選手権8強。98年に引退。妻は元テレビ東京アナウンサー・田口惠美子さん。188センチ、85キロ。

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