◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽ノルディックスキー・ジャンプ(7日、プレダッツォ・ジャンプ競技場)

 【バルディフィエメ(イタリア)7日=松末守司】2018年平昌五輪銅メダルの高梨沙羅(クラレ)が、合計238・9点で13位だった。

 2大会ぶりの表彰台には届かなかったが、日本勢メダル1号となる銅メダルを獲得した丸山希(北野建設)に駆け寄り祝福。

「なかなか応援してくれる皆さまに楽しんでもらえるようなパフォーマンスはできなかったと思うけど、(丸山)希ちゃんが銅メダルを取る姿を間近に見られてすごく幸せな気持ちになった。五輪という試合をすごく楽しめた一日だった」と笑顔で語った。

 またしても五輪が試練の場になった。初出場の14年ソチ大会は金メダル有力候補として乗り込んだものの4位にとどまった。続く18年平昌五輪では、その雪辱を果たして自身初の五輪メダルとなる銅メダルを獲得したが、目指した金メダルを逃した。

 そして、前回北京五輪の混合団体。スーツの規定違反で失格となった。それでも2回目を意地で飛んだが日本は4位。あと一歩で表彰台を逃し、泣き崩れた。試合後に自身のインスタグラムに黒一色の画像と共に謝罪の言葉を投稿。「現役を引退するつもりだった」(高梨)が、ファンや多くの支えてくれる人たちの言葉を心に刻んで再び歩き始めた。

 五輪の借りは五輪で返す―。

芽生えた思いはただ自分のために飛ぶわけではない。「みてくれている人に何かを与えられれば」とビッグジャンプで勇気を届けることを決意に変えてきた。

 小2からジャンプと向き合う生活が始まった。低い助走姿勢から鋭い飛び出しを武器に10代の頃から世界で活躍し続けた。

 14歳だった11年1月10日のHBC杯。強い風が吹く札幌・大倉山ジャンプ競技場で大きな飛行曲線を描いて141メートルの大飛躍を披露した。会場は沈黙後、大歓声に包まれた。「ふわっと飛ぶような感じで楽しかった」。高梨が全国区になるきっかけの大会だった。その後、W杯の勝利数は男女を通じて最多となる63勝を積み上げ、W杯個人総合も4度獲得するなど、女王に君臨した。

 4度目の五輪を前にジャンプを一から作り直した。助走路でどうしてもお尻が下がり、持ち前の踏み切りで力を伝えられないでいた。

陸上トレーニングから取り組み、助走姿勢から丁寧に、丁寧に取り組み、ヒットアンドエラーを繰り返しながら理想の形をつくりあげた。

 24~25年シーズンは、自身初めてW杯の表彰台を逃した。課題にしていた足を前後に開いて着地するテレマーク姿勢に苦戦。「昔から練習してこなかったつけが回ってきた」と話すが、諦めずに重点的に改善に取り組み続けた。ようやくW杯でも飛型点で得点を出せるようになったものの、届かなかった。

 「メダルを取らないとみんなに見てもらえない」。今後は選出されれば混合団体(10日)、個人ラージヒル(LH)に出場。輝くメダルを手にするチャンスはまだある。

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