◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽ノルディックスキー・ジャンプ(7日、プレダッツォ・ジャンプ競技場)

 【バルディフィエメ(イタリア)7日=松末守司】3度目の五輪代表、勢藤優花(オカモトグループ)は14位だった。

 6歳の秋から北海道・上川ジャンプ少年団で競技を始めた。

高梨沙羅(クラレ)は、幼なじみで幼稚園、小、中と同じ学校に通った。バレエ、陸上、ジャンプとずっと一緒だった。

 はじめは「遠い存在だった」が、高校3年時の雪印メグミルク杯で初めて高梨よりも遠くに飛び、その後、全日本選手権で初めて勝って優勝すると、「沙羅に勝ちたい」の思いが芽生えた。怖くて嫌いだったジャンプにのめり込み、勝ちたい気持ちが芽生えてきた。

 2015年に初めてW杯に出場し、それまで目標のなかった競技生活から世界と対峙(たいじ)したことで、悔しさを知り、世界の舞台での活躍が夢になった。

 前回22年北京五輪を終え、引退し、もう1つの夢でもある看護師になるはずだった。翻意したのは競技への思い。コロナ禍のなか、自分と向き合い「まだ私は何も成し遂げてはいない。このまま辞めたら中途半端になってしまう」と自分の心の声に奮い立ち、4年間の長い道のりを歩いてきた。

 3度目の五輪。考え方は独特。「優先順位はW杯の方が大会。

五輪でというよりはW杯で勝ちたい。その先に五輪がある」と話し、足もとを見つめながら世界への階段を上ってきた。五輪は「4年間の私がやってきたことの発表の舞台」と話す。

 前回五輪以降から、全日本のコーチも務め以前から指導していた鷲沢コーチにオーストリアなど海外勢の男子選手の動画などを参考にするようになった。動作の違いなどを指摘され、ヒントを与え力にしてきた。「顔の面が下を向きすぎているとか。空中のスキー板の開き方など、動画をコマ送りにしながら見比べて違いを探りました」と話す。

 ジャンプの改善に努めた。成果は、W杯代表選考もかかる本番会場で行われたサマーグランプリで2戦連続で表彰台に立ち、自身を深めた。「スタートした時にこの角度で斜面に持っていく角度があった。この感覚が大事なんだと気づいた。このジャンプ台はこれくらいの角度がいいと思えたのは大きい。

練習通りのジャンプができた大会だった」と手応えをつかんでいた。

 ただ、ジャンプ台は昨夏に行われたサマーGP以降に改修され、カンテ(飛び出し)の角度を下げる改修工事が行われたことで今までとは変化した。つかんだ感覚も変わり、ジャンプ台に合わせ切れずに結果につなげられなかった。「順位よりも内容。4年前より少しでも変化したことを応援してくれる周囲の人に分かってもらえれば」と話していたが、メダルには届かなかった。

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