◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽ノルディックスキー・ジャンプ 混合団体(10日、イタリア・プレダッツォ)

 【バルディフィエメ(イタリア)10日=松末守司】男女2人ずつで飛ぶ混合団体が行われ、18年平昌五輪銅メダリストの高梨沙羅(クラレ)、女子個人ノーマルヒル銅メダルの丸山希(北野建設)、前回北京五輪で金、銀2つのメダルを手にした小林陵侑(チームROY)、10日(日本時間)の個人ノーマルヒルで銅メダルを手にした二階堂蓮(日本ビール)の4人全員がメダリストという豪華布陣で挑んだ日本は銅メダルを獲得した。高梨は表彰台が決まると最高の笑みを見せたが、伊藤有希に抱きしめられると涙を流した。

 壮大なリベンジの道が完結した。前回22年北京五輪(2月7日)。高梨がスーツの規定違反で失格の憂き目にあい4位。高梨の頭には、引退がよぎるほど暗い影を落としたが、周囲の支えを受け、「何かを与えられる選手になりたい」との思いが沸き上がり、再び歩き出した。

 ジャンプと向き合い、助走姿勢など一からつくり直した。昨季からのルール変更により、足を前後して着地するテレマーク姿勢も手の上げる角度から足の開き方など、男子選手の映像と見比べながら理想を追い求めてきた。悔しさ、再起への思いは、決して忘れてことはない。「団体戦は独特」と話す。

 あれから4年。メンバーは入れ替わったといえ、同じように日本を背負って戦う仲間たちが「北京の悪夢」を振り払った。同種目は13年に当地で行われた世界選手権で初実施され、高梨を含めた日本が初代の勝者になった。原点の地で、お家芸復活とともに、高梨が輝くメダルを手にした。

▼高梨沙羅

―特別なメダル

「本当に、一緒に飛んでくれた仲間も含め、応援してくださった日本チームの皆さんのおかげで。練習以上に、そして個人戦以上にいいジャンプが出来たとは思うので、すごく支えられて飛ばさせていただいたラウンドだったと思います」

―チームに貢献できたのでは

「毎回チーム戦となると足を引っ張ってしまう試合が多くて。これまでずっと団体戦への苦手意識というか、つい固くなってしまって自分のジャンプが出来ないことが続いていたので、正直選ばれたときは自信もなくて、コーチに相談させていただいたときもあったんですけども、そこからトレーニングで自信を持って試合に臨めて、自分のジャンプが出来たのも自分だけの力ではなくて、本当に周りの人たちの支えがあってこの舞台に立たせていただけたので。そこでメダルを取らせていただけて感動しました」

―悔しさを晴らして意義のあるメダル

「本当にあの時に一緒に飛んでくれた(伊藤)有希さんや(佐藤)幸椰さんと取ることが出来なかったメダルを今こうして、自分もこの舞台に立たせていただけて取ることはできたんですけども、それでもずっと応援してくれる有希さんだったり、幸椰さんのおかげで今ここに立たせていただけているので、自分の取ったメダルではないと思うんですけど、本当にたくさんの方々の力があって取れたメダルです」

◇高梨の22年北京五輪 女子ノーマルヒルは2大会連続の表彰台に届かず4位。混合団体では103メートルを飛んだ1回目終了後にスーツの規定違反で失格。両太もも回りが規定より2センチ大きかった。日本は通過圏内ギリギリの8位で2回目に進出。高梨は2回目で98.5メートルを飛び、日本は追い上げたが、3位のカナダに8.3点届かず4位。高梨は「自分のせい」と号泣した。

 ◆混合団体 各チーム女子2人、男子2人の計4選手で構成され合計得点で争われる。順番は女子、男子の順に交互に2回飛ぶ。1回目の上位8チームが2回目に進む。

W杯では12年~13年シーズンの開幕戦で初実施。世界選手権は13年のバルディフィエメ大会で初採用され、伊藤有希、伊東大貴、高梨沙羅、竹内択で挑んだ日本が金メダルに輝いた。五輪では22年北京大会から正式種目として採用され、日本は4位だった。

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