日本史上最強スケーターの高木美帆が4日、現役を退く意向を示した。五輪2大会で高木を取材した林直史記者が「労う」。

×     ×     ×     ×

 レース後の涙。リンクへの一礼。テレビの画面越しに見たミラノ五輪の女子1500メートルは胸に迫り、この1レースにかけた覚悟に思いをはせる瞬間となった。

 2017年から24年まで8年間、担当として取材した。翌年の平昌五輪で金銀銅メダル。22年北京五輪は5種目に出場して金1銀3と、記録的な活躍を目にしてきた。当時、生活の全てを競技に注ぐストイックな姿を見てきた関係者の間で北京五輪シーズンを区切りとするのではないかとの見方もあったが、23年4月、新たな環境でミラノ五輪を目指すことを表明した。その際、掲げたのは「1500メートルの金メダル」。普段は記録や順位について口にしない高木が、珍しく掲げた具体的な目標だった。

 昨年、インタビューの機会があった。1500メートルが特別な種目だと感じたのはいつからだったのか。これまで改めて聞くことがなかった根本的な質問を投げかけると「うーん、いつでしょうね。

そこに関して振り返ってみたことはなかったな」と思案顔になった。

 記憶をたどった高木が挙げたのは、09年12月のバンクーバー五輪代表選考会だった。「自分の中で1つのターニングポイントでもあった」。同走は短距離を得意とする吉井小百合。「スプリントをメインにやっている選手との同走で序盤はすごく先行されて、それでも後半に追い上げて、抜き返してゴールして勝ち取った。最初速いだけでもいけないし、最後が強いだけでも勝てないという面白さを味わえた最初のレースだった」と振り返ってくれた。

 その後、海外を転戦する中で「強いな」「かっこいいな」と感じる選手も1500メートルが多かった。少しずつ育まれていった1500メートルへの思い。その存在の大きさに気付いたのは、五輪では2大会連続の銀メダルにとどまった北京大会後だった。進退に向き合う中で「世界記録保持者としてのプライドや意地、W杯での勝利数の多さ、そういうのを全部ひっくるめて、この舞台(五輪)で勝ちたいと思った。背負うもの、大事にしている気持ちが一番大きかった」と打ち明けた。

 この4年間は自身でチーム・ゴールドを設立し、目標を達成するための環境を整えることにも力を注いできた。

チーム運営など苦労は多く、競技成績も順風満帆ではなかった。仮に北京五輪同種目で金メダルを獲得していた場合、現役を退いていた可能性を聞くと否定しなかった。それでも「あの時、金メダルを取れていたら今はスケートをやってないはずだから、こんなにつらい思いをしなくて済んだのにとか、そういう考え方をしたことはない。うまくいかないことも多かったけど、この選択をしたことで、かけがえのない経験がたくさんできた」と、迷いのない口調で答えた。

 15歳から約16年間、思い続けた種目で望んだ結果には届かなかったが、ひたむきに挑戦を続けた姿は何よりも輝いていた。そしてもう一つ、高木が大事にしてきたのは全ての種目で速くありたいという気持ちだ。

 最後の舞台に選んだのはオールラウンドの世界一を決める世界選手権だ。今回と同じオランダで開催された18年に日本勢で初制覇。スケート大国の2万5000人の大観衆にスタンディングオベーションで祝福され「ずっと記憶に残る」と語っていた思い入れの強い大会だ。希代のオールラウンダーが見せる集大成の滑りを楽しみにしたい。(2017~24年スピードスケート担当・林 直史)

編集部おすすめ