◆報知プレミアムボクシング▽激闘の記憶 第11回 WBA世界ライト級タイトルマッチ12回戦 〇ヒルベルト・セラノ(TKO5回2分27秒)坂本博之●(2000年3月12日、両国国技館)

 平成のKOキング・坂本博之(角海老宝石)が最も世界王者に近づいたのが、WBA世界ライト級チャンピオンのヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)に挑んだ試合だった。3度目の世界挑戦となった坂本は、強打と打たれもろさを併せ持つセラノに、初回から襲いかかり、2度のダウンを奪う。

残り40秒であと1回ダウンを奪えばKO勝ちだったが、チャンスを逃すとその後は王者のパンチに顔面が腫れ上がり、5回にレフェリーストップとなるTKO負け。4回までの採点は勝っていただけに、悔やんでも悔やみきれない黒星となった。(敬称略)

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 会場が異様な空気に包まれた。5回、この試合3度目のドクターチェック。坂本のどす黒く腫れ上がった右目の診察が終わると、レフェリーは無情にも試合のストップを宣告した。「なぜ、まだ戦えるのに。おれが勝っているじゃないか」。坂本は心で叫び、リング上でぼう然と立ち尽くした。ダウンをしたわけではない。2度倒れたのはチャンピオンのセラノ。しかし、両目の腫れと流血は、負傷の深刻度を浮き彫りにした。

 「(ストップは)しようがない。

だが、こういう結果になるのだけは嫌だった」

 試合後の控室で口を開くと、サングラスの下に隠れた右目から涙のように血が一筋、流れ落ちた。

 誰もが勝利を確信した。開始のゴングから54秒。坂本の右が当たり、王者がいきなりダウンしたのだ。再開後は左フックで2度目のダウンを奪う。セラノも意地を見せ立ち上がるが、ダメージは見て取れた。WBAルールは、同じラウンドに3回ダウンすれば自動的にKO負けとなるスリーノックダウン制。残り40秒。決定打を打ち込もうと、距離を詰めようと低い姿勢で前に出た次の瞬間だった。王者のアッパーをまともに受けた。3度目のダウンを奪うことができずに終了のゴング。コーナーに戻る坂本の左目下には、パンチによる傷口が広がり、痛々しく流血していた。

2回には右目尻をカット。中間距離でセラノの鋭い左ジャブ、アッパーを受けた右目は大きく腫れ上がり、視界を遮った。それでも4回にはポイントを奪い返した。ストップのかかった5回、王者はロープに詰まり、スタミナ切れを露呈していただけに「あと1回あれば勝てた」と坂本陣営のイスマエル・サラス・トレーナーは悔やんだ。4回までの採点は3人のジャッジすべてが38―36で坂本を支持。天国から地獄へと突き落とされた。

 リングサイドには畑山隆則(横浜光)がいた。スーパーフェザー級で世界王座を失い、ウェートを上げライト級での再起を宣言。坂本が王座を獲得すれば、初防衛戦の相手に名乗りを上げていただけに「残念、対戦したかった」と肩を落とした。しかし、だ。セラノについては「俺だったら勝つ自信はある」と言い切った。その言葉通りに畑山は3か月後の2000年6月に、1年ぶりの再起戦でセラノに挑戦。

8回TKO勝ちで2階級制覇に成功すると、そのリング上で「初防衛戦は坂本選手とやります」と仰天発言。坂本の4度目の世界挑戦は、畑山との日本人ライト級NO1決定戦というスーパーファイト(畑山の10回KO勝ち)が実現する形となった。

 そして畑山以上にリングに熱い視線を送っていたのが、坂本が幼少期を過ごした福岡の児童養護施設「和白青松園」の園児10人だった。坂本はセラノ戦前に園を訪れ、後輩たちを前に誓っていた。「必ずチャンピオンベルトを持ち帰る」と。少年時代、施設のテレビで見た世界戦の映像に「自分も拳ひとつで成功してみせる」とプロボクサーを目指した。卒園後も頻繁に園に足を運び、子供たちにお菓子などをプレゼントをした。坂本は園児たちのヒーローだった。世界チャンピオンという夢は、園児たちの夢でもあり、その拳には多くの希望が託されていた。

 坂本は現在、東京都荒川区の西日暮里にある「SRSボクシングジム」の会長として、後進の指導に当たっている。ジムの壁には現役時代に園児たちからプレゼントされた寄せ書きなどが、今も大切に飾られている。ボクサーへの指導と並行して活動していることがある。

全国の児童養護施設を訪問し、子供たちに「夢を持つことの大切さ、夢を持つことで人間はこれだけ変われる」ということを伝えている。活動の名称はスカイハイ・リングス(SRS)。スカイハイは、「施設の子供たちも明るく高い青空に上がっていこう」、リングスは、「みんなが手を取り合い、大きな輪を作って上がっていく」。2010年に開設したジムの名称でもある「SRS」には、坂本自身のそんな強い願いが込められている。

 ◆坂本 博之(さかもと・ひろゆき) 1970年12月30日、福岡県田川市生まれ。55歳。埼玉・小松原高卒業後にボクシングを始め、91年12月にプロデビュー。全日本ライト級新人王になり、93年12月に日本同級王座獲得。その後、東洋太平洋同級王座も獲得。4度世界に挑戦するが、いずれも失敗。プロ戦績は39勝(29KO)7敗1分け。身長170センチの右ファイター。

引退後の2010年に「SRSボクシングジム」を開設。

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