プロフィギュアスケーターの羽生結弦さん(31)が座長を務めるアイスショー「羽生結弦 notte stellata 2026」は7日、宮城・セキスイハイムスーパーアリーナで開幕した。11日で東日本大震災発生から15年。

「より一層、『輪』を『絆』を感じられるように」と願いを込めた。坂本龍一さんが音楽監督を務めた東北ユースオーケストラと初共演し、2つの新演目を含む4曲を披露。満員の6500人の観客の前で8か月ぶりに復帰した羽生さんの、現地での一問一答後半。

 ―充電期間を経て、新たな発見、フィギュアスケートとして発見があった?

 「体の動きをいろいろ勉強してきたんですけれども。いかに我流で今までやってきたのかっていうことを改めて発見しました。フィギュアスケートって本当に、人気はある競技ではあるんですけれども、実際やっている人口が多いかと言われたら、そんなに多いスポーツではないですし。また、科学的な根拠のある研究っていうものがたくさんあるかと言われたら、そんなこともないです。そういった、研究的には未開発なスポーツの中で、どれだけ根拠のない練習と、根拠のない技術を身に着けてきたっていうのを、なんか改めて実感しました。そういった上では、ちょっとずつですけれども、本当にそんな長い期間やってた、長い期間メンテナンスをできてたわけではないので。ほんのちょっとかもしれないですけれども、その、フィギュアスケーターとしてだけじゃなくて、スポーツに携わる人間、またはダンスに携わる人間として、こういう体の使い方をしなきゃいけないっていう基礎の基ぐらいは、ちょっと学んでこれたのかなっていう気はしています」

 ―震災を知らない世代も増えてきた。

 「実際に今回コラボレーションさせていただいた東北ユースオーケストラの方の中でも、震災後に生まれたよっていう方もいらっしゃるし、震災当時、まだ幼くて記憶がないよっていう子もきっといらっしゃって。そういった子たちがきっと、坂本龍一さんのおかげで、ずっとずっときっと、復興であったりとか、震災のことを考えて過ごしていると思うんですよね。

そういったことと同じで、僕も、当時16歳でしたけれども、やっぱりいろんなインタビューをしていただいたりとか、いろんな記事を書いていただいたりする中で、僕もやっぱり伝えるべき立場として、頑張っていかなきゃいけないというか、使命があるんだっていうことを、何かしら当時、若いながらに、何か使命を帯びたような気がしてたんですね。そして今、いろんな各地の能登であったりとか、大船渡もそうでしたけれども。胆振であったりとか、熊本であったりとか、東日本大震災だけじゃなくて、その後に起きた災害の地域にも行ったところ、やっぱりあれがあったから防災の意識が変わって、守られた命もきっとあって、守られた生活もあって。そういったことが伝わっているからこそ、どんどんどんどん減災っていうものは続いていくんだなっていうふうに思ってるんですよね。だからこそ僕らも、当時を知っている人間だからこそ、どんどん世代は若くなっていくし、生まれ変わってはいくし、新しい命も生まれるけれども、そこにこんなことがあったんだよって、こんなことがあったから、こういうふうに守るっていうことを学んだんだよっていうのは、ずっと続けていきたいなと思います」

 ―「八重の桜」を選んだ理由と込めた思い。

 「まず、コラボレーションをさせていただく中で、東北ユースオーケストラさんが弾きたい曲、弾ける曲っていうラインナップの中でまずいっぱい聴いて。選ばせていただいた中の一つ、です。僕自身、『天と地と』というプログラムをフリースケーティングの、最後のプログラムとして選んでいたんですけれども。なんかそれの続きとして『八重の桜』というものを演じたいという気持ちがありました。実際、大河で使われている楽曲ではあるんですけど、大河の内容自体にはそんなに干渉はしていなくて。どちらかというと僕自身が『天と地と』を滑り終わり、このステージに立って、どういうふうにこれからの人生を生きていきたいか。そして、最終的に僕が演技として、スケートとして、氷の上であったり、皆さんの人生のわだちの中に、何かを残してこれたかな?っていうようなイメージで、最後一つ一つ、なんか思い出を置いていく。

みたいなイメージで作りました」

 ―振り付けはご自身。

 「これは、デービッド(ウィルソン)と一緒に作らせていただきました」

 ―「Happy End」。今までと違う緊張感、静けさも。振り付けの中で重視したところは。

 「そうですね…。ダンス要素を増やしたなっていう感じはしてます。あとはなんか、体の使い方の話もすごくしてましたけれども、体の使い方の理論が分かっているからこそできる連動性であったりとか、で、実際ボクサーじゃないですけど、ボクサーのすごい強い人のパンチって、すごい綺麗に体が動いていて。曲線美って綺麗なものがあるんですよね。それと同じように、きっと僕らの身体表現っていう部分においても、理にかなっているからこそ、人間として綺麗だよねっていう動きがきっとあるなって思って。そういうのをひたすら、感情の土台として入れてったイメージがあります。平昌オリンピックの後に、表現って芸術って技術が基礎にあるよねっていう話をちょっとさせていただきましたけど、改めてそのメンテナンス期間を経て『あ、感情を乗っけるためには、やっぱりこういう技術的なこととか、基礎的なことがあるから、その上にやっと感情が乗せられるんだな』ということに何か気づきながら、一つ一つ丁寧に作ったプログラムではあります」

 ―スピンを多用。

 「あとスピンを、ステップの中に入れ切っちゃうというか。

スピンと、演技の境界線をなくすっていう気持ちもありました」

 ―メンテナンス期間にダンスの基礎的なことを。座学みたいなのも? 実際に踊る練習?

 「踊る練習の方が多かったですね。でも座学的なことも、結局その体の使い方という、いわゆるスポーツ的な考えの方の座学はすっごくやりました」

 ―実際に踊って。

「踊ったりとか、実際にトレーニングの手法をいろいろ考えたり、変えたりとかしてみたり。フィギュアスケートに何が合うのかなということを考えたりとか、そういう期間でした」

 ―体とか変わった。

 「なんか細くなった気がします」

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