タレントの西村知美(55)が、デビュー40周年を迎える今月20日に、38年ぶりとなる単独ライブを開催する。近年はバラエティー番組での活躍が目立つが、シングル22枚、楽曲100曲以上を発表した「80年代アイドル」として原点に立ち返る。

2002年に挑戦した日本テレビ系「24時間テレビ」での100キロマラソンや数多くの資格取得など、激動の芸能人生を振り返った。(堀北 禎仁)

 西村が話せば話すほど、どこまでも謙虚な人柄が伝わってくる。「まさか40周年まで芸能界で生き残っているなんて。どこかでフェードアウトして消えていこうと思っていましたから」という言葉にも、全くウソがない。瞬く間に周囲が笑顔になった。

 姉が応募した雑誌「Momoco」のオーディションでグランプリに輝き、15歳で上京した。「半年ぐらいは本当にしゃべれなかった。歌も苦手、演技も苦手。『これだけは負けない』みたいなものがなかった」。それでも1986年3月20日に発売したデビュー曲「夢色のメッセージ」がヒットし、同年9月リリースの「わたし・ドリーミング」で日本レコード大賞新人賞を受賞した。

 移動中も雑誌などの取材を受ける多忙ぶり。睡眠時間は平均3時間ほどで、徹夜もざらだった。

「毎晩泣いていた。かといって、地元の山口へ帰るチケットの買い方も分からなかった。(堀越高校に)通学する電車の反対のホームから乗って、失踪しようと何度も思った」が、迷惑がかかると考えて踏みとどまった。

 転機となったのは、三宅裕司がパーソナリティーを務めるラジオへの生出演。「初めて自分の言葉でプライベートの話をしたら、水を得た魚のようにしゃべってしまって。『しゃべるってこんなに楽しいの?』と初めて感じた仕事だった」。直後に出演した大竹まことのラジオでも絶好調。ファンから「同じ人とは思えない」というほどの変貌(へんぼう)をもたらしてくれた2人の先輩に「恩人です」と感謝する。

 トークの面白さが評判となり、90年代に入るとバラエティータレントに「まさかの転職」を遂げた。TBS系「さんまのSUPERからくりTV」には92年の初回から出演した。

 明石家さんまの圧倒的な司会力は忘れられない。「聖徳太子みたいに、小さい声でも拾ってくださる。

あと1対1で目を見てしゃべってる時に、もう次の人に合図を送るんですよ。さんまさんの優しさは、目を見てちゃんと判断してくれること。アイコンタクトで(話を振られて)ダメと分かっても、ちゃんとオトしてくれる。そこが天才」。番組に貢献できていないとして卒業を考えたこともあったが、さんまの信頼を感じ「最後までついていこう」と決心。産休期間を挟み、番組終了まで22年半レギュラーを務め上げた。

 まだ20歳だった91年に「初めて苦手なことに挑戦した」というホノルル・マラソンも、西村の人生を変えた。7時間20分で完走し「41キロまでは『もう二度と走らない』と後悔したけど、ゴールした途端に次の目標を決めていた」。94年の同マラソンでは、約1時間タイムを縮めて“有言実行”。同年のリレハンメル冬季五輪では聖火ランナーも務めた。

 2002年には「24時間テレビ」で、女性ランナーとして初めて100キロマラソンを完走。当初は「絶対無理」とオファーを2回断ったが、当時のプロデューサーから「今まで会ったことのない自分に会ってみないか」と説得されて翻意した。

「まだ私の知らない私がいるのかな、と思った。1人で走るわけじゃなく、300人のスタッフの上に乗っかって運んでくださる。みんなを信じて頑張った。本当にやってよかったお仕事」。ゴール時は意識がもうろうとなり、伴走者として肩を貸した夫に気づかず。翌朝の新聞で写真を見て驚いたという。

 デビュー40周年記念日の今月20日には、まだ昭和だった88年のツアー以来となる単独ライブを東京・渋谷のJZ Brat SOUND OF TOKYOで開催する。きっかけはコロナ禍に始めた音声メディア・VoicyやYouTube配信だった。100曲を超える自身の楽曲の魅力に気づき「コンプレックスだった歌を避け続けていたけど、私の都合で眠らせているのはもったいない」と一念発起した。

 「私を応援してくださっている方は、歌が苦手な私も全部ひっくるめて応援してくれている。安心して歌える。等身大で100%の“とろりん(アイドル時代の愛称)”を楽しんでいただきたい。

喉が続く限り、皆さんが飽きるまで歌おうと思ってます」

 最初で最後の気持ちで臨むライブだが、応募が殺到して追加公演を含めてソールドアウトに。ライブ後の歌手活動について「ファンミーティングでも感謝祭でも、違った形で歌をお届けする機会があったら」と含みを持たせた。

 西村は芸能界屈指の資格マニアとしても知られる。マラソンと同様に「自分に自信がないから、何か一つでも自信を持てるように」と始めた。98年に取得した「甲種防火管理者」など59もの資格を持つ現在も「キャンプインストラクターや防災士など、取りたい資格をリストにしている」と向上心を見せた。

 一人娘が大学生になった時には「心理学を勉強したい」と、自身も入学寸前まで手続きを進めたという。現在はライブの準備で手いっぱいだが「60歳を超えたらそういう時がくるかな」と、大学進学の夢も諦めていない。

 これまで頻尿やいびきといったデリケートな悩みも明かしてきた。「隠して後から説明するよりは、最初からオープンにしちゃった方がいい。カミングアウトしたことで、いろんな情報が入ってきた。同世代でこんなに悩んでいるのを知れたのも心強かった。感謝もされた」と前向きだ。

 「永六輔さん、さだまさしさん、うつみ宮土理さん…。大御所の方にかわいがっていただいたからこそ、芸能界で続けてこられた。きれい事ではなく、心の底から感謝の気持ちを持つと人生が変わる。その集大成が40周年。今年は感謝の言葉を形にして表現していきたい」。マラソンやリスキリング(学び直し)にブームのはるか前から取り組んだ“先駆者”は、愛されながら学ぶ達人だった。

 ◆西村 知美(にしむら・ともみ)本名・西尾知美。1970年12月17日、山口県宇部市生まれ。55歳。86年3月に映画「ドン松五郎の生活」で主演デビューし、同時に主題歌「夢色のメッセージ」で歌手デビュー。97年に元タレントの西尾拓美さんと結婚。03年に長女を出産。

近年は80年代アイドルを中心としたコーラスグループ「ネオ☆スターズ」としても活動。身長155センチ。血液型O。

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