立命大が誇る空手家の「リトルジャイアント」が、3年後にW金メダルを狙う。4年に一度実施され、昨年11月に東京で行われた聴覚障害者の国際スポーツ大会「第25回夏季デフリンピック競技大会」の空手道で、金メダルを形(かた)で、銅メダルを組手(くみて)で獲得した立命大・空手道部の森健司(産業社会学部3年)が3年後、ギリシャ・アテネで開催されるデフリンピックで、形、組手の両部門での世界制覇を目標にする。

「感謝」と「恩返し」の言葉を決して忘れない人格者が、空手道を極める。

 激しい気迫と勢いがみなぎる裂帛(れっぱく)の気合いと、空を切り裂くような技の迫力。そして持ち味のスピードと所作の美しさ。予選から決勝までの演武にはまるで乱れがなかった。17歳で初出場したブラジル大会では、個人形で銅メダル。その4年後、審判団や多くの観客を魅了し、当時の悔しさを見事に晴らした。前回は年齢的に出場できなかった組手でも、準決勝で優勝した屈強なウクライナの選手に敗れはしたが、堂々の銅メダル。「世界一を目指している人と、なった人とは違うと感じる。応援をしていただいた身として、結果となってうれしい」と、165センチ、55キロと小柄な森が感慨深そうに振り返った。

 まさに応援はパワーとなった。立命大の校友会関係者が横断幕を掲げ、「R」の応援ハリセンと掛け声で盛り上げる。関係者や、家族、友人らの知り合いまでが駆けつけ、手話での応援も含めてたくさんの勇気をもらった。

「間接的につながっている人まで現地に来ていただいた。輪が次第に広がっていったのかな。コロナ禍だった前回のブラジル大会とは大違い。背中を押していただいた」と、感謝を忘れない。79の国・地域から各国選手団約6000人(選手約3000人)が参加し、スポーツを通したインクルーシブ(全ての人々を平等に受け入れ尊重し、社会に包摂すること)なつながりが東京や日本で広がった中で、森はひときわ輝いて見えた。

 空手を始めたのは小学3年の時。兄の友人が通う大阪・茨木市の「陽明会練真塾」での練習風景を見学し、すぐに門をたたいた。当時、大好きだったアニメ「ドラゴンボール」と重なり「すごく格好良かった」と、笑みを浮かべた。中学卒業まで本格的に道場へ通ったほか、小学生から2歳上の兄・大智さんが取り組んでいたサッカー、5歳上の姉・彩乃さんも行っていた水泳に加え、ソフトボールにも慣れ親しんだ。運動だけではなく、書道と絵画も習った。「空手と絵画だけは自分からたやりたいと言った。周りに聴覚障害者がいなくても、一緒に練習できるように受け入れてくださった」。

自宅がある茨木市から大阪府立生野聴覚支援学校に通い、1週間ローテーションを組んで、夕方から各教室へ。「チームメートや周りの声が聞き取りづらいというのは、どうしてもあった。でも、聞き直しても理解してくれたので、恵まれていたのだと思う。支援学校に通っていると、健常な方と関わりを持つことが少なくなる。その分、習いごとで地域の活動を通して、広い視野でいろいろな人と交わるいい経験ができたかな」と、前向きな姿勢は幼い頃から変わらなかった。

 おかげで自然と身につけた観察力と洞察力が空手を上達させた。練習中は補聴器をつけるが、試合ではけがの恐れがあるため外す。「先生の指示が聞き取れなかった時は、周りの人の動きを見て真似をしたり、先生に聞き直すのではなく、周りの人にその人なりの解釈を聞き、自分なりに吸収することで大きなプラスになった。より練習の質が上がった」という。空手は「呼吸」が大事な競技。「補聴器を外すと自分の呼吸も聞こえづらい」上に、「オノマトベ(擬音語や擬態語)で指導されることがあり、それがちょっと分かりづらい」と打ち明ける。形の道着は硬めの生地のため布が擦れ、音が出る。

「音を出していい動きと出さない方がいい動きがある。(音を)出してはいけない時、出ているかどうか、自分では分からない」そうだ。組手も技が決まったかどうかは音で判断されることが多いが「判断しづらい」とも話す。審判から「やめ」の声が掛かっても聞こえず、攻め続けていると反則を取られる。「審判をちらちら見てしまい、試合に集中できないことも」。そんな困難の数々を乗り越えてつかんだ、重みのある東京大会の2つのメダルだった。

 中学2年になった頃、同支援学校のバレーボールの顧問で、今回の東京大会にも帯同していた中野智久先生から、デフリンピックの存在を聞かされた。当時、空手は五輪の種目になかった。「デフ空手なら(種目に)あるよ」。デフリンピック出場経験のある先生の言葉を受け「詳しく聞いて、目指そうと思った」と明かす。その数か月後、大阪でデフ空手の選考会に参加し、補欠合格。ジャパンクラスの強化練習にも加わるようになり、「空手部のある高校に行きたい」と決意した。

週2回、個別指導のある塾にも通い、晴れて北千里高へ進学した。

 同高は大阪府の公立高校大会で3位に入るなど、公立校の中では強豪でも、空手経験のある顧問の先生がおらず。週末に形は吹田市内の道場の先生、組手はOBの先輩に指導を仰いでいたが、基本的には学生が自主的に取り組み、レベルアップしていくしかなかった。そんな環境でも「どちらか1本に絞る選手がいる中で、形と組手、両方同じくらいに力を注ぐことができた」のは有意義だった。「基本が随所に散りばめられたのが形で、形の実践が組手。全部を含めて空手です。違うように見えてもつながっている部分がある」と、言葉に力を込めた。

 高校時代はコロナ禍。2022年5月、ブラジル開催のデフリンピックに駒を進める全国規模の標準大会がほとんど開かれず、同年2月に行われた「J DKF、空手道競技大会」(国内初の審判員の合図とともに発光するライトの設置や手話通訳の配置などで視覚的情報保証を完備して運営した大会)に臨み、高校・一般男子の形の部で準優勝に輝き、17歳で一気にブラジルへ。「外国人選手と戦うのは初めて。海外は美しさよりパワーで、体格を生かした力強い空手をしている。(銅)メダルを取れたうれしい思いと同時に、2位との差がすごく大きくて…」と、その悔しさをバネにした。

 進学した立命大では当初は学びを深めることに重点を置き、空手を学生生活の真ん中に据え置いていたわけではなかった。「入学してから空手道部があるのを知って、それなら入ってみようかな」。入部した途端、直面したのは流派の違いだった。それまでの糸東(しとう)流から剛柔(ごうじゅう)流へ。「基礎が違う難しさがあった。糸東流は鋭さや直線的な動きなのに比べて、剛柔流は円運動で鋭さより粘り。曲線的で柔と剛のバランスを意識する」という。さらに呼吸、立ち方も違う。「大学でもう一度、基本をやり直す。立ち返るいいきっかけになった」と、1、2年生の途中までは新たな流派に慣れるため練習漬け。鏡を見て、動画をチェックして、一から学び直して2つの流派を肌で体験した結果、「表現に深みが出た」と、自信をつかみかけた。だが、アクシデントは尽きない。

2年生の6月に第4腰椎を疲労骨折。高校時代に組手の試合で痛めた古傷が悲鳴を上げた。コルセットをして運動禁止。半年間、動けなかった。それでも負担がかからない呼吸の練習と、イメージトレーニングだけは欠かさなかった。

 さらにメンタルトレーニングだ。小学校の教師を務める先輩のOB、吉田真澄さんとともに、京都市内の「教師塾」の講義に1年間通い、自分に向き合った。「自分だけではたどり着けない自分の核心に到達できた。メダルを取ることが目標だけど、メダルを取って終わりではない。取ってからどうしたいか。未来志向が重要で、メダルを取ったら誰に影響を与えるか。メダルは手段で真の目的を達成しようという意味を持たせるもの」。それが応援していただいた方への感謝と恩返しにつながり、今は「デフ空手は知名度も低いし、競技人口も少ない、子供たちが挑戦したいと思った時、ロールモデル的存在になりたい。そういう活動を通じて最終的には社会的な聴覚障害者の理解という所につながればいいな」と、夢を広げた。

 大学入学時の思惑とは違い、空手一筋の生活。1年生の7月に竣工した、京都駅近くの大学の道場「立空館」や衣笠キャンパスで汗を流し、形・組手の「二刀流」を追い求め、次回のギリシャで挑むW金メダル。「東京ではスピードは負けていなかったけど、力強さという点で劣っていた。フィジカルの強化と、もっと基本を追求したい」。組手の60キロ級は一番の激戦ゾーン。試合は3分間でも、審判の「やめ」や仕切り直しがあるため、実際に試合に要するのは約4分間。「その間、集中し続けて体を反応させるのは結構しんどい。次の試合に疲労を残さずリセットしないといけないし…」と、海外のパワーある選手に当たり負けしない体作りに余念がない。

 春からは創部90周年を誇る名門の主将を務め、4月に入ると関西の大会で大学ラストシーズンのスタートを切る。空手の魅力は「人は鏡」。「人柄、性格が表れるし、歴史ある武道の道を歩む者として、ふさわしい心持ちで取り組み、自分自身が律される。人間的にも成長できる」と、力強く言い切る。卒業後はデフ空手に理解のある企業に就職する予定。「普通のことをしていたら突き抜けられない。興味や関心を自分で潰さない。突き抜けてこそ見える世界がある」と、言い聞かせる森。ダブル世界一で最高の恩返しを目指す。

 ◆森 健司(もり・けんじ)2004年、大阪・茨木市出身。立命大産業産業社会学部、現代社会学科専攻の3回生。4年生となる今春から空手道部主将。「両側性感音難聴」のため、家族で唯一、先天的に耳の聞こえが悪く、補聴器をつけて生活する。小学3年から空手を始め、22年のデフリンピックの形で銅メダル。24年の世界デフ空手選手権の形、組手で銅メダル。昨年の東京デフリンピックの形で金メダル、組手で銅メダルを獲得し、京都、大阪府などから表彰されたほか、茨木市民栄養賞を贈られた。5歳上の女子空手、小倉涼選手(東京デフリンピック組手で金メダル、形で銅メダル。前回大会はダブル金メダル)とは仲が良く、アドバイスしてくれる間柄。東京大会の形で銅メダルの北村陽選手には直前まで練習に付き合ってもらったという。今回の東京で最多の100個のメダルを獲得した空手の強豪、ウクライナなど海外の選手とも交流が深く、普段はSNSなどでつながる。「紳士で誠実で、強い選手は人柄がいい」と、試合後はTシャツなどを交換する。体質的に太れず高校時は49キロ、大学入学時は53キロ。筋力トレも行うが「スピードが大事なので、ただ増やすのは良くない」そうだ。高校時に通った塾で講師(英語と国語)のアルバイトをし、道着などの購入費に充てている。剛柔流や糸東流に伝わる非常に高度な最高峰の形「スーパーリンペイ」にこだわりを持つ。サカナクションなど好きなバンドの音楽を聞き、気持ちを整えている。

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