大相撲の元大関・若嶋津で15日に肺炎のため69歳で死去した日高六男さんの告別式が24日午前、千葉県市川市内で営まれた。角界出身者ら約300人が弔問に訪れ、「南海の黒ひょう」と呼ばれた昭和の人気力士との最後の別れを惜しんだ。

喪主は妻で元人気歌手のみづえさん(旧姓高田)が務め、現役時代からの盟友の元大関・琴風の中山浩一氏が弔辞を呼んだ。

 ▽元大関・琴風の中山浩一氏の弔辞全文

 弔辞

 親方の突然の訃報に深い悲しみの気持ちでいっぱいです。親方との様々な場面がよみがえり、その日は朝まで一睡もできませんでした。

 2月半ば、大阪への出発を前に、会いに行った時には握手をして笑顔で別れただけに、このような形での再会は悲しすぎます、親方。

 親方、昔から二所の荒稽古という言葉があったけれど、あの時代の激しい稽古、火花が散るような切磋琢磨の日々は、ただの勝負を超えて、お互いを高め合う同志のようでした。

 当時の親方が、大関若嶋津関は組んでよし、離れてよし、スピード感あふれる相撲で、私にとっては嫌な対戦相手でした。同門と言えど会えば、当時は仲良く酒を飲んだり、食事を楽しむことなんてなかった。

 やがて引退、親方となり、互いに自分の部屋を持ち、力士たちの育成に力を注いだ日々。現役時代とは違う苦労が次から次へと押し寄せて、本当に苦しい時もありました。そんな中でも互いに子も持つ親同士として、家族ぐるみの付き合いと広がっていきました。旅行や食事会など忘れられない楽しい思い出がたくさんあります。この温かく太い絆はこれからも切れることなく、ずっと続いていきます。

 だから親方。親方の大切なおかみさんのこと、心配しないでいいから。どこまでも皆で全力で支えていくから、どうか安心してください。

 14年前、巡業先で私が大けがをして、全身麻痺となり、首から下、全ての機能が奪われた時、親方がそっと寄り添い、しっかり背中を押してくれました。私が退職を考え、心が揺れた時、涙を流しながら、ともに頑張ろうと、引き止めてくれた。その思いがあったから、あんなに苦しいリハビリにも私は頑張れたんだと思います。

 そしてその後、親方自身もまた大きなけがをしました。しかし、次から次へと目の前に立ちはだかる大きな壁をすべて乗り越え、見事に仕事にも復帰。その姿は言葉以上の説得力で、部屋の力士たちを始め、周りのみんなにも倒れてももう一度立てるということを教えてくれました。

 親方は何でも話せる、何でも相談できる私の大切な親友でした。それは気が合うなどという簡単な言葉では説明のつかない、ともに戦い抜いてきたからこそ、共感をし合える特別な思いが、そこには間違いなくありました。

 親方、覚えていますか。

歌なんてあんまり歌わないのに、自らマイクを握り、四季の歌を歌ってくれたこと。決してうまいとは言えなかったけれど、その優しい気持ちは、大けがの後遺症に苦しむ私の心には深く染み入りました。またいつか四季の歌を一緒に歌いたいです。

 私は神様が許す限り、もう少しこちらの世界で頑張ってみようと思っています。親方の笑顔が今も目の前に浮かんできます。またいつか会いましょう。そして大好きなお酒を飲みながら、思い出話をしましょう。その時を楽しみにしています。親方、ひとまずさようなら。そして、お疲れ様でした。

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