◆JERAセ・リーグ 巨人3―1阪神(27日・東京ドーム)

 プロ野球が27日、各地で一斉に開幕した。巨人は球団64年ぶりの新人開幕投手を務めたドラフト1位・竹丸和幸投手(24)が昨季王者の阪神を相手に6回1失点と堂々の投球を披露。

リリーフ3投手も無失点で切り抜け、球団初の新人開幕白星を挙げた。打線も1番トレイ・キャベッジ外野手(28)が球団19年ぶりとなる開幕戦先頭弾。さらに、第97代4番に抜てきされたボビー・ダルベック内野手(30)も1点リードの4回に来日1号。阿部監督は就任から3年連続の開幕戦勝利となった。

 歴史に名を刻んだ。竹丸はプロ初のお立ち台で、自分だけに注がれる大歓声を体いっぱいに感じた。「めっちゃうれしいです!」。6回3安打1失点でプロ初登板、初勝利。オープン戦最長の5回を超え、ウィニングボールを手にすると、「やったぜという感じ」。ポーカーフェースを崩して満面の笑みを浮かべた。

 開幕戦の独特の雰囲気の中、重圧を背負ってマウンドに立った。「大学以来」という緊張も感じたが「どの打者にも勝負していけた」ときっぱり。

“魔球”で猛虎打線を封じた。4回無死一、三塁でドラフト当日から対戦を熱望していた佐藤を空振り三振に仕留めると、5回無死の小幡、6回無死の中野も決め球・チェンジアップで空を切らせた。一番の武器と自信を持つ球を中心に、昨年の王者から5Kを奪った。

 阪神は幼い頃に応援していたチーム。「最初は(応援が)すごいなと。投げている最中はあまり聞こえなかった。でも、不思議な感じでした。どちらかというと楽しく投げられた」と心地よさも覚えた。

 忘れられない涙が2つある。一つは小学5年生の時。「最終回(6回)に逆転サヨナラ3ランを打たれて」。マウンドで悔し涙があふれ出た。

少年野球時代でたった一度だけだ。淡々と抑えているように見えるが「負けず嫌いですね」と、あの時の心は今も変わっていない。

 もう一つの涙は、背番号10だった崇徳3年夏の広島大会。中学時代も控え投手で実力に限界を感じ、高校で野球をやめると決意して臨んだ。4回戦の広島国際学院戦で先発し、4回1失点でチームは敗退。「ああ、野球人生が終わったな…」。涙が止まらなかった。人目もはばからず泣いた。

 だが、当時の応武監督の強い勧めで、広島を離れ城西大での野球継続が決定。「野球、やめなくて良かったです」。一度は諦めたからこそ、その思いは強い。道を切り開いてくれた恩師への感謝、大好きな野球ができる喜びを力に変え、成長した。

 前日には父・勝浩さん(64)から激励のラインが届いた。「力まずいつも通りで!」。「うん、分かった」。この日は両親、弟、祖母がネット裏からエールを送った。勝浩さんは50年来の阪神ファンだが、この日初めて巨人を応援。孝行息子は「さすがに褒めてくれるんじゃないですかね」。家族の応援が、快投の原動力になった。

 ドラ1左腕が最高のスタートを切った。「これからもこういう投球を続けて、優勝、日本一に貢献できたらいいなと思います」。新たな巨人の中心に、竹丸がいる。

(北村 優衣)

 ◆竹丸に聞く

 ―初登板を振り返って。

 「最初はちょっと緊張もあったんですけど、うまく入れた」

 ―お立ち台からの景色は。

 「あれがきょう、一番緊張しました」

 ―自信になったところは。

 「何球かですけど、真っすぐで空振りを奪えた。そこは良かった」

 ―6回79球の疲労。

 「イニングは最長だった。球数は前回と一緒くらいですけど、ちょっと違う疲れは明日以降、出てくるのかなと思います」

 ―球団の歴史に名を刻んだ。

 「それはすごいうれしいです」

 ―これまでの人生で何番目。

 「一番です」

 ―6回の後に監督から声を掛けられていた。

 「よくやったと。すごいなっていう言葉をいただきました」

 ◆竹丸 和幸(たけまる・かずゆき)2002年2月26日、広島市生まれ。24歳。崇徳では甲子園出場なし。城西大では2年春に首都2部リーグデビュー。

4年秋に1部に昇格して3勝1敗、防御率1・52。鷺宮製作所では25年3月の「JABA東京大会」で準決勝に先発し、8回2失点と好投するなど優勝に貢献。変化球はチェンジアップ、スライダー、カーブ、カットボール。179センチ、75キロ。左投左打。年俸1600万円。

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