「超音楽列伝」は、音楽の気になる話題を深掘りする「日曜音楽堂」にリニューアルします。第1回は演歌歌手の細川たかし(75)。

この4月に芸道51周年を迎えたが、半世紀以上の歌手人生には、さまざまな流行歌との出会いがあった。デビュー曲「心のこり」や「北酒場」「矢切の渡し」などヒット曲を振り返りながら、今でも自身の礎にあるのは「流行歌を歌う」ということ。新しい才能や大物アーティストとの異色コラボレーションにもラブコールを送る。(宮路 美穂)

 1975年4月1日に「心のこり」でデビュー。芸道50周年の節目を過ぎ、歌手人生の新たなスタートを切った細川に、「この先の未来で、どんな歌が歌いたいですか」と投げかけた。無粋な質問だとは思ったが、演歌・歌謡界のスターが何を思って日々ステージに立っているのかが知りたかった。「それはやっぱり、流行歌でしょうね」。帰ってきたのはシンプルで、本質をつく答えだった。

 「流行歌…みんなが歌える、作品的にいい歌のこと。どの人の歌でも、売れた歌っていうのはすべて、本当にいい歌。詞と曲と歌い手。ピタッと合ったら大ヒットしますよ」。

半世紀を数々の流行歌とともに過ごした男の言葉は重い。

 流行歌の申し子の歴史は、まさに「心のこり」から始まった。「昭和49年(1974年)の秋ですね。(デビュー候補が)10曲ぐらいあるなかで、結局全員が気に入ったのが、なかにし礼さんの『私バカよね』。新人なのでデビューの時にこのタイトルはないだろうと、なかにしさんが考えてくれたのが『心のこり』だった」

 レッスンでたたき込まれたのは歌い出し。「頭の『私バカよね おバカさんよね』を気持ちを込めて歌えと。歌い出しが決まったら細かいことは言われなかった」。リリースからすぐに火がついた。「マージャンで振り込んだら『私バカよね』、ゴルフでOB出したら『私バカよね』って。社会現象が起きるっていうことは間違いないんですよね」

 初の日本レコード大賞を受賞した82年「北酒場」のヒットの恩人は萩本欽一(84)。アキレスけんを断裂し療養明けだった細川がテレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの!」に出演することになり、毎週「北酒場」の歌唱中に欽ちゃんに止められる演出が大ウケとなった。「半年近く休んで『北酒場』と出会って、萩本さんと出会った。

明るいイメージでまさにドーンといって。運ですよね。そこから『矢切の渡し』に続いていくわけで…」

 83年の「矢切―」はもともと、ちあきなおみのB面だったことはよく知られた話だ。「軽く歌ってみて、『北酒場』とはまるで違う歌だから(レコードを)出しとけ、みたいな軽い発想だった。まさか、あそこまでいくとは思わなかった。売れてみて(周囲も)『ヤバッ?』となった(笑)」。細川版を筆頭に、「矢切―」はその年に多くの歌手が競作する一大ムーブメントに。「葛飾柴又の船に1日に1万5000人が来たとかいう変な話になってきて、夏頃には雰囲気が変わってきた」。当初の予想を大幅に裏切るレコ大連覇だった。

 「歌というのは分からないですね。その人の歌の使命というか、運というか…」。そう語る細川だがオリジナルと異なり、細川版「矢切―」で心がけたのは「軽さ」という。

声量は演歌・歌謡界屈指だが「(声量を)出さないで軽く歌うということも難しいよね」。引き算の美学で生涯最高の売り上げ楽曲が生まれた。

 細川が「日本の演歌の神髄」とある種、演歌の完成形として捉えているのが「望郷じょんから」。その年の「古賀政男記念音楽大賞」を取るために作られた曲で、ヒットさせることは考えていなかったという。

 「あれを聴くと、雪が降って津軽三味線が鳴って、『津軽は雪ん子…』と。紋付きはかまを着て、三味線と尺八が鳴る。あれは一番絵になるでしょうね。良い歌には詞とともに、自分の風景が見える。地方から東京に出てきて頑張ってるんだ。でもやっぱりふるさとが気になるみたいな。すぐには売れなかった。浸透して、浸透して、紅白で何回も歌わせていただける曲になっていった」

 半世紀の歌手人生において、これだけ流行歌に恵まれた歌手もそう多くないだろう。

「応援歌、いきます」「浪花節だよ人生は」。タイトルを見ただけでメロディーが浮かぶ。その歌唱を支えてきたのは「歌の幅広さ」。デビュー前の札幌でのクラブ歌手時代に裏打ちされているという。

 「20歳前後の頃はいろんなパターンを勉強していた。ここのクラブでは懐メロでおじいさんが喜ぶような曲。深夜2時半ぐらいからはナイトクラブで最近の曲。そうやって歌い分けができていないと、同じ歌ばっかりじゃダメなんです。弟子たちにも『ワンパターンになるな』と伝えています」

 変化を柔軟に受け入れること。細川は新曲の芸道50周年記念曲第2弾「カムイ岬」では最新生成AIを融合させた超次元のミュージックビデオをリリースし、SNS上を騒がせた。「若い人たちが提案してくれていることは面白い。年取ってくるとなかなか認められなくなってくるけど、いいところは認めたい」とTikTokやYouTubeなどの配信メディアにも意欲的に取り組んでいる。

 「私はまだ、欲や野心があるんですよ」と語る細川。さらなる流行歌を歌うべく、日々精進が続く。「いい作詞家、作曲家がどんどん生まれてきてほしい。桑田佳祐くんとか(藤井)フミヤくんとか玉置浩二ちゃんとかが演歌っぽい流行歌を書いてくれないかな。そんな曲ができたらもっと面白いものができると思うんだよね。この機会に報知で書いておいてよ」。75歳、芸道50年を超えてもなお、未知のものに出会うのは楽しい。流行歌のレジェンドの野心は尽きることはない。

 ◆細川 たかし(ほそかわ・たかし)1950年6月15日、北海道・真狩村生まれ。75歳。75年「心のこり」で歌手デビュー。82年「北酒場」、83年「矢切の渡し」で史上初の日本レコード大賞2連覇。

他に「浪花節だよ人生は」「望郷じょんから」などヒット曲多数。紅白歌合戦は通算40回(うち1回は企画枠)。民謡三橋流の名取(三橋美智貴)。趣味はゴルフ、スキー。

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