社会現象になった映画「国宝」(李相日監督)の人気。昨年6月の封切りから9か月たち、興行収入は203億円をこえ、1400万人をこえる観客を動員している。
ヒットは喜ぶべきだけれど、数字を更新する度、映画と歌舞伎の両方を取材する記者には少なからずの恐怖感が芽生え始めた。新作歌舞伎に対する影響だ。その懸念を最初に感じたのは昨年12月の東京・歌舞伎座「超歌舞伎 Powered by IOWN」のとき。超歌舞伎は中村獅童を中心に2016年に始まり、この公演が10年目の節目だった。人気シリーズのはずが、それまでより客足が少し緩やかになっていた。
映画「国宝」では「曽根崎心中」「鷺娘」「二人道成寺」「藤娘」「連獅子」「関の扉」など古典的な演目が多く扱われた。歌舞伎を見たことのなかった人たちの知識は一気に増した。これは同時に、歌舞伎を実際に生で見るスタートラインのレベルが跳ね上がったことも意味する。「難しく、分かりにくく、取っつきにくい」という従来の先入観が薄れたのは、すばらしいが、古典だけが歌舞伎ではない。
いま注視している演目がある。3月に東京公演を終え、名古屋・御園座で片岡愛之助を中心に始まった新作歌舞伎「流白浪燦星 碧翠の麗城(ルパン三世 へきすいのれいじょう)」の“動向”だ。この後、南座、博多座も控えている。
驚くほどテンポが良く、劇中では「封印切」「四谷怪談」「金閣寺」など古典の名場面やパロディーも散りばめられている。歌舞伎初心者もイヤホンガイドを使えば、どこがその場面なのか教えてくれる。新作はハードルが低いだけでなく、背景や仕掛けが分かると面白さは倍増する。個人的にはそれなりに楽しめた。役者たちは歌舞伎の芸の基礎が体に染みこんでいるからこそ、新作に応用できる。その柔軟性も再確認させられた。
この数か月間、「国宝」のヒットは新作歌舞伎を見ようとする人々に、逆に迷いを与え始めたのではないか、という悶々としたものを抱えていた。それが少し解消する出来事があった。先ごろ、日本外国特派員協会で会見したときの8代目尾上菊五郎の言葉だ。
8代目は「国宝」の吉田修一氏による原作小説のオーディブルも担当しており、「国宝」の世界観は熟知している。名門、音羽屋に生まれ、育ちながら「NINAGAWA十二夜」「極付印度伝マハーバーラタ戦記」「風の谷のナウシカ」「ファイナルファンタジーX」と新作歌舞伎にも挑んできた。
菊五郎はこんな風に言っていた。「新作歌舞伎には古典歌舞伎とはまた違うところで、一座がより一丸となれるところがあるんですね。あくまで古典歌舞伎をベースにしながらも、新作歌舞伎の場合、はっきりとした正解というものがありません。なので、門閥など関係なく、それぞれ知恵を皆で出し合い、一座全員で作っていくことができる。新作にはそういう醍醐味がある」と。
もやもやしていたものが、晴れるようだった。これから、新作を見ようか、迷っている方がいたら。

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