スピードスケート女子の高木美帆さんは3月に今季限りでの引退を表明した。五輪女子最多10個のメダル、日本勢初の世界選手権オールラウンド部門優勝など数々の記録を打ち立てたレジェンドがリンクに別れを告げた。

多くの功績を残したレジェンドを今年2月のミラノ・コルティナ五輪で現地取材した富張萌黄記者が「労う」。

 ミラノ五輪で見た様々な高木さんの表情が印象に残っている。3個の銅メダルを獲得したが、種目ごとに意味合いは違った。だが、最も思い出深いのは、やはり最後に行われた本命の1500メートル。6位にとどまり、ヨハン・デビット・コーチと40秒以上、抱き合いながら涙を流した。レース後に発した「自分の挑戦は終わったんだ」という一言がじーんと胸に響いた。この種目にかけてきた思いが大きく伝わってきた。

 昨年5月。五輪担当となり、スピードスケートを任された。31歳で迎える4度目の五輪が最後となるのでは、という声も多く聞こえた。ラストとなるかもしれない大一番を、わずかな期間しか取材しない自分が見届けていいのだろうかという戸惑いもあった。

 初めて高木さんの取材をしたのは同8月。

帯広での「チーム・ゴールド」の合宿中のことだった。15分ほど設けられた貴重な取材機会。どんな質問にも自分自身の言葉を紡ぎ、表情豊かに感じていることを誠実に話す人だという印象を受けた。初対面の記者にも柔らかい表情で受け答えをしてくれたことを鮮明に覚えている。

 海外転戦も多く、そんな中でも常に感じたのは、スケートへのこだわりだった。今季初戦を前に変更したブレード(刃)。課題にし続けたラスト1周の減速。滑りでこだわる点。1500メートルへの思い。頂点に立つために、どんなときもスケートを一番に考えているんだというのが言葉の節々から感じることができた。チームメートだった佐藤綾乃さんも「真摯(しんし)に向き合う姿は美帆さんからしか感じられない。スケートを人生の一部にしている」と話し、ほかの後輩選手も学ぶことが多いと口にしていた。

 ある時、高木さんが言った。「スケートは良くも悪くも、私を本気の沼に導いてくれるもの」。史上最年少の15歳で五輪に出場し、「スーパー中学生」と呼ばれ、最終戦の世界選手権では「生きる伝説」と称された。

 ミラノ五輪ではスケート大国オランダのファンから「ミホコール」も湧き起こった。その瞬間を目の当たりにした。最後の最後まで沼にはまり続けたからこそ、日本中だけでなく世界のスケートファンにも認められた存在となった。私自身もミラノ五輪では金メダルを獲得してほしい気持ちがあふれ、気づけば記者席から祈るような気持ちでレースを見守っていた。10か月間のうちに、知らぬ間に高木さんの魅力に引き込まれていた。感謝と敬意の気持ちを込めて、長い競技生活、本当にお疲れさまでしたと伝えたい。(スピードスケート担当・富張 萌黄)

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