元日本テレビアナウンサー多昌博志(たしょう・ひろし)さんが、7日に多発肝腫瘍のため、神奈川県内の病院で死去した。63歳だった。

葬儀は近日中に近親者のみで執り行われる。多昌さんの母校・中央大学のサークルの2年先輩で、卒業後も交流のあった元スポーツ報知記者の久浦真一が多昌さんを悼んだ。

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 ただただ、驚いている。言葉が出なかった。

 私が中央大学3年の時に、多昌君は新入生で、アナウンス研究会に入ってきた。頭が良くて、吸収力が抜群で箱根駅伝で言うところの「スーパー1年生」だった。録音構成番組を作るのに、私のアパートに泊まり込み、徹夜で作業した時も全力投球だった。

 彼が日テレに入社してからは、たびたび現場で会った。箱根駅伝では「今年もよろしくお願いします」と新年のあいさつに来て「今年は行けますかね」と母校のことを2人で“心配”した。1996年、32年ぶりに優勝した時には、「やりましたね!」と2人で跳び上がって、歓喜した。

 他局のアナウンサーと話している時に「多昌さんは、どんなスポーツでも安定感があって、とてもうまいですよね」という声を聞くたびに、誇らしかった。私が運動部から他部に異動になった時には「久浦さんがいなくなったら、バレーボールのことはだれに聞けばいいんですか」と気遣ってくれた。

 多昌君が、アナウンス部から営業局に異動になった時だった。「テレビ以外で稼げ、と言われているんですけど、めちゃくちゃですよね」と愚痴をこぼしていて、気の利いた言葉はかけられなかった。だが、日テレの知人は「後輩の私にも本当に気を遣ってくれました。グループ会社の(フィットネスクラブの)ティップネスに行かれてからも、様々なアイデアを出されていたと、聞きました」と、アナウンサー以外でも大活躍したことをうれしく思った。

 昨年6月、日テレ学院学院長に就任。「第二の多昌アナウンサー」育成が期待されたはずなのに残念でならない。早すぎるぞ、多昌!!

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