広島県尾道市。広島の観光地としても有名なこの街で、2008年に発足した「尾道空き家再生プロジェクト」。
空き家再生の第一歩は「壊すなんて、もったいない!」
近年、尾道では海沿いの施設がにぎわいを見せ、しまなみ海道を目指すサイクリストの街としても有名になっています。大林宣彦監督の『尾道三部作』をはじめとする“映画の街”、“猫の街”“寺の街”など、さまざまなイメージを持たれていますが、時代が変わっても変わらないのは“坂の街”というフレーズでしょう。

海を見下ろす尾道の“坂の街”らしい風景。車が入れない道も多く、斜面に沿って横方向に走る路地にはもっと狭い道も多い(撮影/古石真由弥)
尾道は山と海に挟まれた細長い土地に広がる街で、平地が少なく、山の斜面に多くの建物が立ち並ぶ独特の景観が特徴です。坂の街として、映画や小説で印象的に描かれてきましたが、現実的な課題として、土地が狭いため家と家は密集して建ち、細い路地を挟むだけというケースが少なくありません。現在の建築基準法ではセットバック(※)しなければ建て替えができず、現実的にそれは無理。そのため、老朽化が進めば取り壊すしかない建物がたくさんあるのです。
※セットバック/土地と前面道路の境界線を後退させること。建築基準法で定められた道路の幅が4m未満の場合に、建物を建築する際、敷地の一部を道路側に後退させ、道路幅を確保し緊急時の安全性を高める

海側の平地から山に向かって、折り重なるように建物が立ち上る様子(JR尾道駅近くの踏切周辺より)(撮影/古石真由弥)
NPO法人尾道空き家再生プロジェクトを立ち上げた豊田雅子(とよた・まさこ)さんが目の当たりにしたのは、まさにその問題の一端でした。現在、プロジェクトの象徴的な存在となっているゲストハウス「尾道ガウディハウス」の前身、旧和泉家別邸も、2007年当時、取り壊しの話が挙がっていました。
大正末期から昭和初期にかけての時代にはやった洋風建築で、わずか10坪の狭い敷地の中に建築技術の粋を集めて建てたようなハイカラな建物。
「壊すなんてもったいない!」
その思いがプロジェクトの発足につながっていきました。

プロジェクトの代表格ともいえる「通称 尾道ガウディハウス」を案内してくれる新田さん(撮影/古石真由弥)
再生事例1「北野洋品店」:人手がいる作業はワークショップ形式でDIY
ガウディハウスと同じ時期に豊田さんが個人で購入して再生したのが、NPO法人尾道空き家再生プロジェクトの事務所が入る「北村洋品店」です。この辺りはかつてたくさんのお店が立ち並び、にぎやかなエリアだったといいますが、現在は空き家も目立つ状態。昭和30年代に建てられたこの建物も、長年放置され、ひどく傷んだ状態だったそうです。

とんがり帽子のような三角屋根が特徴的な再生物件「北村洋品店」。JR尾道駅からほど近いこの建物の2階に、プロジェクトの事務所がある(撮影/古石真由弥)
とりあえず解体に待ったをかけたものの、規模的にも技術的にもすぐに手を付けることはできなかったガウディハウスと違い、北村洋品店はすぐにでも手を付けられる状態。「豊田自身が、もともと人が集まるサロンなどを考えていたこともあって、空き家再生の魅力も伝えられる建物&子育てサロンとして、改修を進めることになりました」(新田さん)

新田さんは、プロジェクト発足直後から、スタッフとして多くの建物再生に携わってきた(撮影/古石真由弥)
壁や柱など、建物の強度・安全性に関わる部分の改修はプロに依頼。その他多くの部分については、ワークショップという形で人を集め、学びながら家づくりを楽しむという手法をとりました。木工事や外壁のうろこ壁、2階の床材を張る作業や、モルタル、漆喰(しっくい)、ドイツ壁などの左官仕事など、多くの工程でDIYを実施。
たくさんの人の協力もあって、2009年2月、「子連れママの井戸端サロン 北村洋品店」がオープンしました。

建物に入ってすぐのスペースは吹き抜けの土間スペース。プロジェクトのパンフレットなども並ぶ。床のモザイクタイルは保育園の園児たちの協力でデザインを制作し、タイルで再現した(撮影/古石真由弥)

1階奥の和室がサロンのメインススペース。

和室に隣接した炊事場はほぼ購入時のまま。タイル使いにも昭和の雰囲気が残る(撮影/古石真由弥)

子ども服などのリサイクル販売などを行う2階の天井には、「太陽をイメージして、地元のアーティストの方に制作してもらいました」(新田さん)(撮影/古石真由弥)
再生事例2「通称 尾道ガウディハウス」:さまざまな助成を受けながらの修復。技術の粋を集めた大正期のモダン住宅
ガウディハウスの通称が生まれたゆえんは、この建物に連なる屋根やうだつの様子が装飾過多で、本家のガウディ作品にも通じるから。また、修復完成まで長い年月を要し、「いつ終わるともわからない」という印象が、かのサグラダ・ファミリアを思わせていたからともいいます。
建物が建てられた当時、西洋建築を取り入れた住まいが流行していたといい、尾道にも和洋折衷の建物が多く存在するそうです。その中でも、坂の途中の狭小地に沿うように建てられたこの建物は、意匠も用いられた技術にも、目を見張るものがあります。

小道の上から見ると、この建物がいかに困難な立地にあるかが分かる。同時に、屋根が重なるユニークな外観の特徴も伝わりやすい。左の路地を上がった先には洋館部分がある(撮影/古石真由弥)

洋館部分外観。手前には土地の貸主所有の建物が迫っているため、壁がそびえるようなデザインに。小道側(写真右側に少し見えている部分)のドイツ壁はワークショップで修復した(撮影/古石真由弥)

木造部分の壁は、傷んだ木材を部分的に交換して修復。
「この建物の再生にはお金も時間もかかる……。そこで、予算の捻出のためにも、受けられる補助金や支援してくれる企業や団体を探したり、建物の中にあったものをのみの市のように販売したり、ワークショップやアートイベントで建物を活用したりと、修復過程でもさまざまなやり方で予算を工面してきました」と新田さん。その分、地域住民や学生など、多くの人がかかわり、注目を集める事例となったようです。
段階的な修復を重ね、一部意匠修復は続くものの、一応の完成を迎えたのが2020年。現在は一棟貸しのゲストハウスやレンタルスペースとして活用されています。

主寝室として使われている2階の和室。襖紙も残せる部分を活かし、修復個所を半円のデザインに仕上げてモダンな雰囲気に(撮影/古石真由弥)

1階の和室は欄間や建具のデザインがとにかく美しい。比較的傷みが少なかったこの部屋は、建具などはそのまま活かされている(撮影/古石真由弥)

昭和の暮らしを今に伝えるまるで博物館のような台所。収納扉のデザインにも手抜きがない。右下に見えるのは防空壕(ごう)を兼ねていたと思われる地下室への下り口(撮影/古石真由弥)

小道が交差する建物の角に沿った三角形の空間には、洗面所とお手洗いが配置されており、洗面所も細長い三角形になっている(撮影/古石真由弥)

特に傷みのひどかった洋館部分1階は、ゲストハウスに必要な水回りスペースとして再構成。洗面台には元あった収納の引き出しを転用している(撮影/古石真由弥)

バスルームからは建物が面している坂の壁が見えるつくりに。この建物の立地に改めて思いをはせることができる(撮影/古石真由弥)

階段の左側は坂道に沿った斜めの壁、右側はアールを描く曲線構造で、途中には曲線に沿った扉付きの収納まで設けられている。

洋館2階は書斎で、上下の開閉窓が洋館らしい意匠。もともとこの部屋には左官仕事で天井の細工が施されていたそうで、現在も職人が研究を重ねているため完成を待っているという(撮影/古石真由弥)

所在の一角には変形の造作家具。収納の引き出しも手抜きなく台形につくられている。上に並べられたのは、かつて天井を飾っていた漆喰の細工(撮影/古石真由弥)
再生事例3「三軒家アパートメント」:古いアパートを改修してサブリース。チャレンジショップ的な活用も
3事例目にご紹介いただいたのは、「北村洋品店」から細い路地を入った先にある「三軒家アパートメント」です。
元は、「楽山荘」という名の、風呂なし・トイレ共同の昭和のアパート。
「最中心部から離れた住宅地が空洞化する地域の課題、さらに接道問題で建て替えもできず、ポツンと時代に取り残されてしまったアパートでした。ですが、私たちの活動を知った所有者の方が『何か面白いことに使ってくれるなら』と、手を入れて貸し出すことを許可していただきました」(新田さん)

中庭の奥に見える棟の1階にカフェや古道具屋、扉が映る右の棟にレコード店や古本屋などが入居する(撮影/古石真由弥)

車通りに面した「北村洋品店」の壁に設置された案内看板。ここから右手に細い路地を抜けた先が「三軒家アパートメント」(撮影/古石真由弥)
入居者の交流の場にもなっているスペースを入口に、2棟全10戸。
「いつものように人海戦術で中のものを片付けた後は、解体で出たものを再利用しながら、改修を進めました。一部上下階をつないで吹き抜けにしていますが、ほとんどは元の居室の配置を活かしながら手を入れています。居住用ではなく、創作活動をする人や、ちょっとお店をやってみたいという人が活用できる場になればと思っています」(新田さん)

アパートの雰囲気を残した案内看板(撮影/古石真由弥)

空き家再生の際の片付けなどで出てきた古い道具類を、きれいにしてお手頃価格で販売する「古物屋」。
建物は所有者の方から借り、入居者へはNPOが貸し出すサブリースの形。
「私たちは物件を購入して再生することは基本的にしていません。限られた予算の中で物件を所有するのはリスクが高いからです。だからこそ、その先の活用法も含めて、所有者の方の理解がとても重要です」と新田さん。三軒家アパートはそこがうまくかみ合った好例だといえるかもしれません。
再生事例4「オノツテ ビルヂング」:尾道市街中心部で、空き家と人をつなぐ拠点に
そして近年、再生に関わった大きな物件の一つが、尾道の中心市街地で解体の危機にあった「旧小野産婦人科医院」です。
元院長である「小野鐵之助(テツノスケ)」という人物は尾道の名誉市民である画家・小林和作氏と親しく、この医院の1階には貴重な小林氏の壁画が残っていました。建物自体も重厚な近代建築で、尾道に歴史を刻んだ貴重な建物の一つとして、後世に残したいたたずまい。
「解体は忍びないと、再生に手を挙げました。所有者である元院長の娘さんたちも、小林氏の壁画の貴重さや、後世に残すことの意義を理解していただき、取り壊しから再生へと動いてくださいました」(新田さん)

「旧小野産婦人科医院」外観(画像提供/オノツテ ビルヂング)
建物の1階は複数の店舗や事務所、2階は1カ月以上の中長期滞在施設「ONOMICHI STAY オノツテ」として再生されました。尾道でのワーケーションやアーティストインレジデンスとしての活用、移住検討のための滞在施設などとして、活用を想定しているといいます。

「オノツテ」滞在施設の共用部。

旧医院の待合室は、チャレンジショップなどに活用できるポップアップストアとして活用(画像提供/オノツテ ビルヂング)

プロジェクトが新たに立ち上げた、「尾道瀬戸際不動産」事務所。建物を残すことに焦点を当てた調査や補助金申請支援などを行う。実店舗を構えることで物件の所有者からの相談を受けやすくする狙いも(画像提供/オノツテ ビルヂング)
「旧小野産婦人科医院(オノツテ ビルヂング)」は、2024年に国の登録有形文化財に登録されました。
「この建物の再生は、今後の保存活動にも大きな意味を持つ」と新田さんは言います。
NPO発足から十数年の間に、プロジェクトは尾道市の空き家バンクの運営を受託。収入の一つの柱を得たといいます。また同じ期間に20棟もの空き家再生を実現し、他にはないノウハウを蓄積するとともに、多くの関係者とのつながりを結んできました。
「ただ、NPOだけで空き家再生を広げていくには限界があります。スピードを上げながら多くの空き家を再生していくためには、もっと官民の理解や協力が不可欠だと感じています。この『オノツテ ビルヂング』は、規模感からも、活用への経緯からも、その流れの象徴ともいえる物件になるでしょう」
一方で、「空き家再生には、いろんな人がいろんな立場で提供するさまざまな視点や、時には人海戦術で大きな仕事をなせる人の輪、そして何より『何か楽しそうなことやっているな』という雰囲気づくりが大切だと思っています。それが私たちの役割の一つですね」と新田さん。
今回の取材を通して感じたことは、尾道という街が結ぶ、人のつながりです。
地域によっては、PTAや自治会など、さまざまな団体が姿を消している今のご時世。自分のことに必死で、誰かと協働するという意識が薄れていると感じられる時代にあって、声をかければ人が集まり、楽しみながら作業ができる、そんなすてきな人のつながりを育んでいることが、プロジェクトの最大の魅力だなと感じました。
こういう地盤があってこそ、さまざまな年代、立場の人を上手に巻き込みながら、次代のまちづくりをしっかりと考えていけるのかもしれません。
ワクワクするような尾道の空き家再生に、これからも注目していきたいですね。
●取材協力
尾道空き家再生プロジェクト
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