ポーランド出身の画家、マテウシュ・ウルバノヴィチさんは、水彩の柔らかなタッチで東京のお店や街並みを表現したリアリティのあるイラストで人気を集めています。現実世界を詳細に観察し、表現してきたウルバノヴィチさんは、2025年には空想の街を舞台とした『空想店構え』(エムディエヌコーポレーション 刊)を上梓しました。

なぜ日本の街並みに惹かれるのか、そしてなぜ現実から空想へと描く対象を変えたのか、東京近郊のご自宅に構えるアトリエで語っていただきました。

絵を学びにポーランドから日本へ。街並みに夢中になる

新海誠スタジオ出身の画家が描く、失われゆく日本の風景。ポーランドから移住し見つけた”日本の街、東京の魅力”とは マテウシュ・ウルバノヴィチさん

マテウシュ・ウルバノヴィチさん。妻の香苗さんと共有で使用している自宅のアトリエにて(写真/筆者)

ウルバノヴィチさんが日本で暮らし始めたのは15年前の学生時代。ポーランドで行われた、日本のメーカーがペンタブレットを紹介するイベントに訪れたことがきっかけでした。
「旧ソビエト連邦の影響下にあったポーランドでは、当時は絵のプロでないと本格的に絵を描くための画材すら満足に入手できない状況でした。そんななかペンタブレットを使って絵を描くことができるのだと知り、日本でもっとその技術を学びたいと思ったんです」(ウルバノヴィチさん)

新海誠スタジオ出身の画家が描く、失われゆく日本の風景。ポーランドから移住し見つけた”日本の街、東京の魅力”とは マテウシュ・ウルバノヴィチさん

机に向かうウルバノヴィチさん(写真/筆者)

絵を学ぶため、神戸芸術工科大学に留学したウルバノヴィチさんは、それまでアニメで見ていた日本の街並みが目の前に広がっていることに興奮しきりだったといいます。
「日本の街を歩いていると、初めて見る光景なのにどこか懐かしさを感じるんです。その感情がどこから来るものなのか、正確にはわからないのですが、ティーンエイジャーのころからずっと見てきた日本のアニメが関係していると思っています。日本人には当たり前の風景でも、僕にとっては『指輪物語』の空想の世界にそのまま迷い込んでしまったような、興奮と驚きがあるんです」(ウルバノヴィチさん)

新海誠スタジオ出身の画家が描く、失われゆく日本の風景。ポーランドから移住し見つけた”日本の街、東京の魅力”とは マテウシュ・ウルバノヴィチさん

街歩きで撮りためた写真は、細かくフォルダ分けして保管している(写真/筆者)

街を観察するうちに、「こんな風に描いてみたら良い絵になるのでは」というアイディアが膨らんでいきました。新海誠さん率いる東京のアニメーションスタジオ「コミックス・ウェーブ・フィルム」に入社して以降も、街を散策しては気に入った構図の写真を撮り、絵を描いてSNSにアップすることを日課としていました。

「スタジオジブリの作品が昔から大好きで、舞台となった街に出かけていったりもしました。

『耳をすませば』に登場する、聖蹟桜ヶ丘にある急な坂道を描いた絵は、回り回ってスタジオジブリまで届き、出版物に載せてもらったんです。オンラインでの人とのつながりがチャンスを引き寄せてくれることを実感した出来事です」(ウルバノヴィチさん)

フリーのアーティストとして独立するきっかけも、オンラインでの発信がきっかけとなったそう。街歩きで見つけた趣のある店舗を描いて投稿したところ、出版社から書籍化のオファーが届きました。『東京店構え』(エムディエヌコーポレーション 刊)として出版されることが決まり、独立を決意します。この書籍は何カ国語にも翻訳され、日本だけでなく海外でもロングセラーとなっています。実際に街にある建物を描いているので、ガイドブックとして本を見ながら現地を訪れる外国人観光客も多いそうです。

「僕は旧ソビエト連邦が整備した団地で生まれ育ちました。隣の建物との違いがわからないような、無個性な建物です。そうした環境が当たり前だったので、一つ一つの建物がみなそれぞれ個性をもっている日本の街に魅力を感じるんです。特に長く営業されてきたお店は、店主のこだわりが建物にも反映されていることが多く、面白いですね」(ウルバノヴィチさん)

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『東京店構え マテウシュ・ウルバノヴィチ作品集』(株式会社エムディエヌコーポレーション)のページの一部。建物正面の立面をメインに、細部をクローズアップしたカットや実際に置かれていた商品も描かれている(提供/マテウシュ・ウルバノヴィチさん)

新海誠スタジオ出身の画家が描く、失われゆく日本の風景。ポーランドから移住し見つけた”日本の街、東京の魅力”とは マテウシュ・ウルバノヴィチさん

『空想店構え』に掲載した絵の原画。お気に入りの絵は手元に残しつつ、一部の原画は展示会で販売することもあるそう(写真/筆者)

リアリティを裏付ける、ディテールへのこだわり

ウルバノヴィチさんの絵は、色彩のタッチもさることながら、詳細に描きこまれたディテールも大きな特徴です。「実際に触れる」ようなリアリティを追求しているというウルバノヴィチさんの物の見方は、どこからきているのでしょうか。

「ポーランドにいたころは、家の設備や家電などがしょっちゅう壊れて、よく父親が自分で工具を出して修理していました。その様子をいつも観察していたんです。小さいころには、友人たちがアニメのキャラクターの絵を描いている横で、ランプや文房具など身の回りにあるものの解剖図を描いたりもしていましたね。物がどうやって組み合わされてできているのか、昔から興味があったんだと思います。
建物も、部材同士がどのように組み立てられているのか、よく観察することで絵のリアリティも増します。以前、建設会社から依頼された仕事で和室の絵を描いたことがあり、自分でも気づかなかった指摘をもらったことがあるんです。襖の扉の左右どちらを手前に描くのか、僕が描いた絵とは逆にするべきと指摘があり、実際に直してみるとぐっと本物に近づいたんですよね。建物をつくるうえではさまざまなルールがあり、それを知っているといないとでは絵の完成度にも差が出てくるのだと実感した出来事です」(ウルバノヴィチさん)

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筆入れの様子。現在はほとんどの工程を手描きで行い、完成後のレタッチのみパソコンで作業しているそう(写真/筆者)

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愛用している道具類。道具の選び方や使い方も試行錯誤を重ね、ブログに書き綴ったエッセイは『見えるものを描かず、見えないものを描く』(玄光社)として書籍化もされている(写真/筆者)

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ウルバノヴィチさんの元にはさまざまな企業からの依頼もくるそうで、「1人ではできないプロジェクトはやりがいがある」とウルバノヴィチさん。写真はカロリーメイトとコラボレーションしたPR企画で使用したもの(写真/筆者)

絵に描く題材探しは、街歩きから始まるといいます。
「散歩の道中に、ふと気になる建物を見つけることもあれば、事前に訪れる場所を決めてロケハンすることもあります。

東京の夜の姿を描いた『東京夜行』では、出版社の編集者からも提案を受け、一緒に取材を行いました。北海道へ取材に行き、描いた風景をまとめた書籍も出しています。日本へ来たばかりのころは、行く場所すべてが新鮮でしたが、長く住んでいるとその感覚も慣れてきてしまいます。そのため意識的に予定を入れて出かけるようにしたり、定期的に住む場所を変えて常に新鮮な思いでいられるようにしています。日本へ来てから、9回も引越しをしたんですよ。いろいろな街に住んできましたが、湘南での暮らしは特に印象的なものでした。せかせかとした東京とは違う、ゆったりした時間が流れていて、街の人たちも穏やかでした。子育てが落ち着くまではしばらく今の家に住むと思いますが、落ち着いたらまた違う街に住んでみたいですね」(ウルバノヴィチさん)

絵にする建物にも、特別な思いがあるのだそう。
「僕が『東京店構え』で取り上げた建物は、どれも都市計画や再開発に取り残され、たまたま残っている建物だといえます。少し状況が違えば、取り壊されていたかもしれません。趣のある建物を見つけると、残されて良かったなという思いもある一方で、周りの建物がすでに新しく建て替わってしまった寂しさも感じます。例えば埼玉県の川越市のように、歴史的な建物を街の資源としてきちんと残していこうという取り組みをしているところもありますよね。

ですが東京の都市計画は、そうした人間的な側面を取りこぼしてしまっていると思います」(ウルバノヴィチさん)

そうした思いは、現実の世界を描くだけではない、ウルバノヴィチさんの新たな絵の着想につながっていきました。

絵の中で空想の街を表現する

きっかけは、神保町にあったお気に入りの眼鏡屋さんの建物が取り壊されてしまったことだったとウルバノヴィチさんはいいます。
「建物の雰囲気も、置いてある商品も好きだったのですが、もうあの建物はこの世界にないのだとショックを受けると同時に、創作意欲も湧き上がってきたんです。実際に存在する建物なら忠実に描かなくてはという意識が働きますが、存在しない建物なら自由に自分の理想を反映させた絵を描くことができる。これまで挑戦してこなかった、新たな描き方に取り組んでみようと考えたんです。最初の絵を一気に描きあげて、これを継続すれば本になると思い、シリーズとして描くことを決めました」(ウルバノヴィチさん)

新海誠スタジオ出身の画家が描く、失われゆく日本の風景。ポーランドから移住し見つけた”日本の街、東京の魅力”とは マテウシュ・ウルバノヴィチさん

『空想店構え マテウシュ・ウルバノヴィチ作品集Ⅲ』(株式会社エムディエヌコーポレーション)

新海誠スタジオ出身の画家が描く、失われゆく日本の風景。ポーランドから移住し見つけた”日本の街、東京の魅力”とは マテウシュ・ウルバノヴィチさん

最初の着想となった眼鏡屋のイラスト(『空想店構え』所収、写真/筆者)

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書籍に掲載された郵便局の絵(上)と、下書きのスケッチ(下)。一度詳細な下書きを描いてから、本番用の絵は別で制作し、ペン入れをして着彩する(写真/筆者)

ウルバノヴィチさんにとって大きな転換点となる絵を順調に描きあげたものの、その後の道のりは決して順調にはいかなかったといいます。課題となったのは、これまでこだわってきたディテールの描き込みでした。
「現実の建物であれば、そこに正解があり、現実がどうなっているのかをきちんと確認すれば描くことができます。しかし現実にはない建物を、リアリティのあるものとして描くには、膨大なリサーチが必要でした。結局、本が出るまでに5年もかかってしまったんです」(ウルバノヴィチさん)

『空想店構え』は、ウルバノヴィチさんが思い描く理想の街、「鍋町」という架空の街の建物を紹介していく構成となっています。
本に登場するお店はそれぞれ異なる業態のお店で、そのためそのお店が扱う商品によって建物の姿もすべて描き分けられています。

眼鏡屋であれば眼鏡の仕入れから陳列、お客さんの動線、商品の売買や修理のための工房まで、実際にその建物を使う人がお店の中でどのように振る舞うのか、すべて理解して初めて描くことができるのだとウルバノヴィチさんはいいます。そしてその鍵となるのは、そこを使う人がどのような人なのか、しっかり思い描けるようになるまで想像することなのだそう。

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書籍に掲載された外観のイラスト(上)と、構図を検討したスケッチ(下)。全く異なる構図を採用した様子がわかる(写真/筆者)

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窓口周辺での人々の動きをイメージして描いたスケッチ。郵便物を集配するための道具も描き込まれている(写真/筆者)

「絵を描くための資料を探すために、図書館に通い詰めたり、時にはテレビのドキュメンタリーを見て商売の流れを勉強したりしました。例えば着物屋さんであれば、着物をどのように洗っているのか、などそこで働く人の動きを想像できるようにならないと建物のかたちが決められず、絵にすることができません。とても時間のかかる、大変な作業でしたが、現実にあってもおかしくない、リアリティのあるものになったと思っています」(ウルバノヴィチさん)

リサーチした内容をメモし、絵の構図を検討するためにまとめてきたスケッチブックは6冊にもわたります。最終的に描いた構図だけでなく、別の角度から見た構図もスケッチされており、ウルバノヴィチさんの頭の中では建物が完成していることが見て取れます。
そこまでのリアリティを追求する背景には、絵のクオリティを高めるだけではない、ウルバノヴィチさんの想いがあるといいます。

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リサーチした内容をメモしたスケッチブック。建築家が参考にするような専門書も資料として活用した(写真/筆者)

「経済合理性を優先した開発によって僕の好きな日本の風景が失われていくことに、危機感を抱いています。絵を描くことで現実を変えることができるかもしれない、そう思って創作に取り組んでいます。

僕が描いた建物や街の姿を見た人が、『自分の街もこんな風だったら良いな』と思うことで、開発のあり方も変わっていくかもしれません。住宅やお店を建てようとする際に、少しでもこだわりをもってほかにはない建物にしようと思う人が出てくるかもしれません。より良い未来に向けたコンセプトアートをつくることが、僕にとって創作のための大きな原動力になっているんです」(ウルバノヴィチさん)

そうした考えに至った原点には、やはりポーランド時代の暮らしが影響しているそうです。
「ある時、日本の家電には使用期限があることを知って驚きました。ひと昔前のポーランドでは不具合が生じれば、近所の修理屋さんに頼んだり自分たちで分解して直しながら使っていました。振り返ると、そのような考え方が好きだったと気づきました。日本ではある期間を過ぎるとサポートが終了してしまって、少し部品を取り替えればまだ使える物なのに廃棄するのはよくあることですよね。日本に来た当初は、なんでも手に入りやすくて便利な生活に満足していましたが、次第にもったいないなと思うようになりました。みんなが愛着をもっていた建物が失われてしまうのも同じです。僕が絵を描くことで、少しでも社会が良い方向に進んでいってほしい、そんな思いが心の奥底にはあるのだと思います」(ウルバノヴィチさん)

『東京店構え』で多くのファンを獲得したウルバノヴィチさんですが、同じフォーマットを繰り返すのではなくその都度新しい表現に挑戦してこられました。今後取り組みたいテーマとして、どのようなことを考えているのでしょうか。
「いまでも、『東京店構え』の手法で例えば京都をテーマに描いたらうまくできるだろうなという自信はあります。描くためのプロセスも確立できているので、空想の店を描くよりも同じ時間でより多くの絵を描くこともできます。それでも常に新しいテーマに取り組んでしまうのは、そのほうがワクワクして抑えられないからです。次は漫画やアニメなど、ストーリーのあるものに挑戦してみたいですし、実はこれまで、1枚の絵だけを見て感動した経験が非常に少ないんです。心に刺さるのは、ストーリーを見せてくれる漫画やアニメですね。『店構え』シリーズでも、必ず建物の背景について書いてきました。これまで短編の漫画やアニメも手掛けたことはありますが、本格的に取り組んでみたいなと思っています。『空想店構え』に根気を入れて取り組んできた余韻がようやく和らいできたので、次はどんなテーマで絵を描いていこうか、考える余裕が出てきたところです」(ウルバノヴィチさん)

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ウルバノヴィチさん自らが企画し、10人のクリエイターに新作漫画を描き下ろししてもらったショートストーリー集。ウルバノヴィチさん自身も「月はうどん味」を描き収録した(写真/筆者)

『空想店構え』の巻末には、「鍋町」にある画材屋さんを舞台に店主とお客さんとの間で交わされる、心温まるやり取りが漫画で描かれています。ウルバノヴィチさんが話す、建物を使う人をしっかり思い描くことができて初めて建物の姿が描ける、その考え方がそのまま表現されたかのようなページとなっています。きっと「鍋町」にあるどの建物でも、同じようにウルバノヴィチさんの中では人々が生き生きと建物を使い、日々の生活を送っているのでしょう。これまで建物に焦点を当てて表現してきたウルバノヴィチさんが、今後どのようなストーリーを表現していくのか、楽しみです。

ウルバノヴィチさんの描く絵に表れている観察眼は、目の前に広がる町並みや毎日目にする建物に対する好奇心が源泉となったものでした。日本で生まれ育ち、日本の街や建物に見慣れていくと見過ごしてしまいがちですが、愛着や興味関心をもって接することで日々の生活が豊かなものになっていくのかもしれないと気づかされたインタビューとなりました。
ウルバノヴィチさんの既刊作品集も、ぜひチェックしてみてください!

●取材協力
マテウシュ・ウルバノヴィチさん
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