「自宅が文化財」。すごいパワーワードだと思った。
打ち壊しを乗り越え再建された明治時代の大規模農家
大きな農家の住まいが散見される群馬県太田市。晩秋にもかかわらず瑞々しいケール畑の向こうに、ひときわ立派な門構えを見せているのが、築約150年の「片山家住宅」です。登録有形文化財として登録を受けた明治期の大規模農家住宅で、建坪94坪(310平米)という非常に大きな主屋のほか、長屋門・北の蔵・南の蔵・井戸屋・下の便所からなる貴重な屋敷構えが、ほぼ当時の姿のまま残されています。特徴的なのは、13代目当主である片山英彌さんと妻の美枝子(みえこ)さんが、現在も主屋で暮らしを営んでいることです。
立派な長屋門を構えた家の前には、長男の洋平さんが農業をする農地が広がる(写真撮影/相馬ミナ)
間取り図
建築当時の状況をなるべく保ったまま、暮らしが営まれている(写真撮影/相馬ミナ)
土間で談笑する英彌さん(右)と長男の洋平(ようへい)さん(左)、次男の昇平(しょうへい)さん(中)。太く立派な大黒柱や梁に「日本の古城を見ても驚かない」と英彌さん(写真撮影/相馬ミナ)
英彌「これらの建物は明治6(1873)年ごろの建築ですが、その前に立っていた屋敷は、明治維新の動乱期に農民一揆で打ち壊し(家屋や家財を破壊・略奪する暴動)に遭ったそうです。その後、徐々に再建が進み、現在の形ができ上がったのは大体明治20(1887)年ぐらい。蔵の鍵につけられている木札には、明治18年(1885)と書かれています」
当時の主要産業であった養蚕を営む大地主の家として、この一帯の暮らしと産業を支えてきた片山家。明治13年に周辺4村が連合した際は、当時の当主であった與一郎(よいちろう)氏が戸長に選ばれ、地域の行政機能を担った歴史もあります。
表にある登録有形文化財の看板は、太田市教育委員会によって立てられたもの(写真撮影/相馬ミナ)
江戸時代や明治時代の家具も愛用し、センスよく住みこなしている(写真撮影/相馬ミナ)
洗面所には昔、実際に使われていた手水があった(写真撮影/相馬ミナ)
人との出会いから登録有形文化財登録・大規模修繕へ
片山家住宅が有形文化財として登録されたのは、平成16(2004)年3月のこと。そのきっかけとなったのは、ある建築士との出会いでした。
英彌「父の代から私の代になり、それまでもちょこちょこ修繕はしていたのですが、全体的に傷みが激しくなってきていました。
「それまでは制度についてまったく知らなかったので、人に恵まれましたね。設計士の調査を経て、群馬県文化財保護審議会委員の方に所見をいただき、それを申請書に添付しました。2003年11月に新田町(現・太田市)教育委員会から文化庁へ答申され、翌2004年に正式に登録となりました」
登録後、調査を行った設計士の設計監理で、キッチンや浴室、寝室などの生活に直結する部屋を中心に、北側の下屋根部分を基礎より大規模修繕を行うことに。
英彌「古いものの価値に関心がない人に任せてしまうと、台無しになりかねません。その点、彼は知識や経験が豊富でセンスもよく、そのまま残す部分と思い切って刷新する部分のバランスを取ってくれ、文化財として残すべき価値や特徴と暮らしやすさの両立がかないました」
裏庭の紅葉を眺めながら食事をしたいと、ダイニングのサッシを断熱性のある大きな木製窓に付け替えた(写真撮影/相馬ミナ)
ダイニングの古い水屋はそのまま使用。代々の食器がぎっしり収められている(写真撮影/相馬ミナ)
妻の美枝子さんお気に入りの江戸時代の平皿(写真撮影/相馬ミナ)
終わることのない修繕の苦労と金銭的な負担
もはや住宅のスケールを超えた「施設」レベルの規模の建物群、そして広大な敷地内の環境を保っていくためには、苦労が尽きないと英彌さん。
まとまった規模の修繕以外にも、常になにかしらの修繕の必要に迫られます。特に2011年に起きた東日本大震災では、主屋の大屋根の上にある越屋根(こしやね)がずれ、井戸屋の柱が2本折れて倒壊するなどの被害を被り、思わぬ出費を迫られました。
井戸自体は現在まったく使用していないが、井戸屋が文化財の一部として登録されており、維持管理を続けている(写真撮影/相馬ミナ)
思いや当時のことを丁寧に説明する英彌さん(写真撮影/相馬ミナ)
英彌「いろんな修繕に、私の代だけでも一般的な新築住宅1軒分以上はかかっていますね。毎年かかる維持費だけでも、本当に大変です。
裏庭の杉の木は、これまで何度か落雷を受けているんです。
登録文化財制度は、建物に対する補助制度ではありません。だから、自力で維持できなくなる例が非常に多くなってきていることが問題になっていますね。でも、だからといって国の重要文化財になると、私的財産に公金を使うことが許されず、住むことができなくなってしまうんです」
職人不足の問題も、人ごとではないといいます。
英彌「この家を直せる職人さんたちが、いつまでいてくれるかは大きな問題です。例えば土壁ひとつにしても、もう県内に木舞掻き(こまいかき・藁の縄で、竹や細木を格子状に組んでいく土壁の下地)の土壁をやれる人がいません」
もっとも格式の高い座敷には江戸末期の襖絵がある。襖上の垂れ壁の右半分が白いのは、同質の材料が見つからなかったため(写真撮影/相馬ミナ)
文化財に住み続けることの誇りと苦悩
さまざまな悩みや苦労を抱えながらも、英彌さんには、そこで暮らし続けることへのこだわりと誇りがあります。
英彌「やっぱりそこに暮らしがないと、建物が生き生きしてこないですよね。そして、ただ住んでいればいいということでもなく、住み方によってはせっかくの家を台無しにしてしまいますよね」
建坪94坪もある大きな家の中でも、生活に使用するのはごく一部。ダイニングキッチンと茶の間、寝室が中心です。夫妻は、いつ誰に見られても恥ずかしくないように家の中を整え、古民家の雰囲気にそぐわないものはなるべく置かないようにしているといいます。
「その点、妻が一番の理解者として支えてくれているので、とても感謝しています」
南側の広縁付きの座敷。
広縁の一角に据えられたパソコンコーナー(写真撮影/相馬ミナ)
太田市は、関東地方の中でも夏の暑さが厳しい地域として有名なエリア。しかし、英彌さんがエアコンをつけたのは一昨年、しかも寝室に一台のみです。美枝子さんが体調を崩したことをきっかけに、心配した長女・長男・次男から強く勧められてのことでした。
英彌「とても風通しのいい家なので、以前はクーラーなしでも問題なく眠れたんですよ。でも近年は気候が変わってしまいましたね。設置するのも大変だったんです。エアコンのドレンダクトを外に出すのに、梁が太すぎて穴を開けられず、仕方なく窓に隙間つくって出してもらいました。せっかくいい窓に替えたのに残念で……」
唯一エアコンがある寝室でもおしゃれな暮らしぶりがうかがえる。障子を開けると裏庭の景色を楽しめる(写真撮影/相馬ミナ)
暮らしているがゆえの活用や情報発信の難しさ
英彌さんには、この家をただ遺すだけではもったいない、という思いもあるようです。
英彌「大袈裟かもしれませんが、文化を発信できるような場所になりうるのではと思っています。職人の技も含めて、こんな素晴らしいものが日本にはあったのだという。今後ますます、その価値は上がっていくんじゃないでしょうか」
そんな父の思いを知ってか知らずか、プロデューサーやディレクターとして群馬と東京で活躍する次男の昇平さんは、8年ぐらい前まで毎年ここで音楽フェスを主催したそう。
昇平「社会人2年目になり仕事に慣れてきた時期に、実家のことを広く知ってもらう機会をつくれたらいいなと、友達を20人ほど呼んで庭でバーベキューをやったんです。
「僕は東京と群馬、2つの拠点を軸に生活しているので、東京に出たときに実家のことを発信したり、家族の中のPR担当を勝手に担っているつもり」という昇平さんですが、ホームページやSNSによる不特定多数の方への情報公開は、今のところ行っていない。理由は、この家が両親の暮らしの場であり、プライバシーや安全を守る必要があるからです。
英彌「きちんとした方からの紹介や、役所や大学などの公的機関を通して申し込みがあれば、公開することもいとわないんですが、通りすがりにふらっと入ってくる人には気をつけています。バブル期には蔵を泥棒に荒らされたことがあり、最近は凶悪な犯罪も報道されているので」
堂々とした構えの長屋門だけで33坪と大規模。庭木の手入れや広い敷地の固定資産税もバカにならない(写真撮影/相馬ミナ)
地域に公開。顔なじみのご近所さんが初めて家に入る
とはいえ、パンデミックが起きる前には、英彌さんは地域の人々に住宅内部まで公開する見学会を催したそう。
英彌「地域の方々は、うちの存在はよく知っていても、中にまで入ったことはないという人がたくさんいて。当日は年配の顔見知りの方たちが、土間がいっぱいになるくらい集まってくれて、『この街にお嫁に来て初めて中に入った。こんな風になっているんだ』と喜んでくれました。大きな門があったり、周りはしっかり垣根で囲われていたり、変に構えたつくりだから、そういう機会も必要なんだなと思いました。
この10月には、英彌さんが理事をしている近隣の障害者施設の利用者を庭に招待し、ハーモニカコンサートを開催。今年で3回目となり、毎回50~60人の利用者が集まるそうです。その施設の利用者には、裏庭を散策路として開放もしているそうです。
敷地内の2つの蔵も登録有形文化財で、大きいほうは物置に、小さいほうを趣味の離れとして利用している(写真撮影/相馬ミナ)
電気の配線をし直し、オーディオルームとしてしつらえた蔵の2階。蔵には囲炉裏もなく光も入らないので木材が黒くなることもなく築150年とは思えないきれいさ(写真撮影/相馬ミナ)
ハーモニカコンサート開催時の様子(写真提供/片山さん)
継承への方途を探るタイミング。個人所有からパブリックに?
「この家は自分のものというより、もっと多くの人のものという感覚でしょうか」と英彌さん。
「それが子どもたちにも薄々伝わっていることは、言葉の端々から感じます。ときには暮らし方について『それ、センス悪いよ』なんて厳しい指摘も受けたり。そういう会話が遠慮なくできる関係性がうれしいんです。でも、次の代は大変だと思いますよ。どんどん傷んできますから」
長男の洋平さんは、会社勤めを辞めて2年間の農業研修を受けていたさなか、東日本大震災を機に予定を早めて実家へ戻りました。現在は家業を継いでケールやナスの栽培を行っています。
「小さいころは、友達の家には自分の部屋があるのに、うちは昔ながらの壁が少ない開放的な間取りで個室にできる空間が少ない……みたいな不満がありましたが、今ではマイノリティすぎる自分の立ち位置が、人とのコミュニケーションに役立ったりもするので、昔は嫌だったけど、今は、人とは違う特殊なこの状況を楽しめるようになりましたね」と笑う洋平さん。
幼いころのご兄弟の写真(写真提供/片山さん)
「正直、家のことを考えると気が重いですよ。古くなればなるほど維持管理が大変になってきますし。私は自分の意思で太田に戻りましたけど、わが子に強制はできないので……先のことを深く考えることを避けている部分もあります。それに、人が住むのにこんなに大きい家はいらないですよね。好きな家に住んでいいと言われたら、迷わずミニマルな家を選びます(笑)」
弟の昇平さんは、そんな運命を背負う覚悟の兄を思いやります。
昇平「やはり代々当主が守っていくというフレームが、これからの時代に正しいのだろうかと、話を聞いている中でも思いましたね。大切な場所を守るためとはいえ、守り手が経済的にも心の面でも追い詰められていく状況って、健全ではないですよね。そう考えた時に、本当に自分たちだけで守っていくことが正解なのか?
僕は今年、前橋市で古い空き家を改修して民泊をはじめました。そこでの学びとして、古い建物のこれからの保全の考え方に、きちんとその価値をお金に変えていくことがキレイごとではなく必要だと感じています。
この家の価値を本当に理解してくれる人に向けて、国内だけでなく、海外にも視野を広げ、家を“開いていく”という試みは、今の自分たちの世代だからこそできることでもあると思います。そういった実家の新しい取り組みを考えていく良いキッカケになりました。改めて、こういう話を家族から聞く機会もなかったので(笑)」
修繕と並行し、埃だらけで養蚕棚が放置されていた2階を片付けると、大黒柱が映える大空間に。新たにレトロな照明器具やハンモックを備えた(写真撮影/相馬ミナ)
奥に見える2階建ては、傾きかけた蔵を解体し、軸組を再利用して建てた農作業のための建物。1階では収穫した野菜の梱包作業、2階では打ち合わせができる(写真撮影/相馬ミナ)
それぞれがこの家に抱く思いは、愛着や誇り、使命感といった美しい言葉だけでは表現できない、複雑なものであることが、父子の会話から見えてきました。課題をはらんだ登録文化財制度。少子高齢化で財源の縮小が免れない時代において、貴重な文化財をどう守っていくべきなのか。改めて考えさせられつつ、新たな道を切り拓いていく次世代の柔軟でポジティブな発想に、頼もしさを感じ、心に温かいものが残りました。
●取材協力
片山家のみなさん
・片山農園
・片山昇平

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