神奈川県逗子市、パームツリーが彩るリビエラ逗子マリーナと日本有数の邸宅街である披露山庭園住宅の間に、「南町」という旧町名で親しまれる漁村集落があります。斜面に沿って小さな民家が肩を寄せ合い、車が通れないほど細い路地はまるで迷路のよう。

その一角にある「南町テラス(みなみちょうテラス)」は地元の人たちに愛されるカフェであり、建築家の日髙仁(ひだか・じん)さんとなおこさん夫妻の自宅。築約50年の中古住宅をリノベ+新築の手法で再生させ、自分たちらしい豊かな暮らしを紡ぎ出しています。5年前には山梨県でも古民家を借り、二拠点居住もスタートさせたという夫妻が、生活のなかで大切にしていることとは?相模湾を見晴らすカフェで話を伺いました。

絶景カフェの体にやさしい手づくりの“おやつ”

逗子には何度も来ているけれど、地元の人たちが「南町」と呼ぶ一帯は噂通りに迷路さながら。両脇に家並みが迫る細い道を辿り、石の階段をえっちら上がって、スマホの地図とにらめっこ。時折出てくる店名を書いた案内板が頼みの綱という心もとなさのなか、ようやく辿り着いた1軒家では見上げる高さのガジュマルの木が出迎えてくれました。

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

漁船が停泊する小坪漁港の奥にある、ひな壇状の住宅街が旧・南町。南町テラスは1階部分までしっかり見える(写真撮影/嶋崎征弘)

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

細い路地と階段坂を歩くと猫の気分に。迷路のような道を楽しみながら訪れる人たちが多い(写真撮影/嶋崎征弘)

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

店の近くに置かれた最後の案内板。この坂を少し下った右手に南町カフェがある。青々と茂っている木は、南町テラスのシンボルツリーのガジュマル(写真撮影/嶋崎征弘)

「ガジュマルはここに引越してきたときに苗木を植えたんです。まさかこんなに大きくなるなんて。この地域の温暖な気候が合っているんでしょうね」
と話すのは、建築家の日髙仁さんと妻のなおこさん。


ここ「南町テラス」はカフェ兼自宅。2階に娘さんと3人で暮らす居住スペースがあり、1階をカフェにしています。夫の仁さんは一級建築士事務所「SLOWMEDIA(スローメディア)」の代表を務め、カフェを切り盛りするのはなおこさん。週に1~2日の不定期営業で完全予約制になっていますが、いつもすぐに席が埋まってしまうほどの大人気。何度も訪れる熱烈なファンも多いのだとか。

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

日髙仁さん(右)となおこさん(左)。仁さんは「SLOWMEDIA」を主宰するほか、関東学院大学人間共生学科の准教授を務めている(写真撮影/嶋崎征弘)

「なかへどうぞ」
となおこさんに案内された客席はどこか懐かしい古民家風の空間。テラス席に目をやれば、大きくくり抜かれた窓から海の景色が飛び込んできます。オレンジ屋根の建物の周りにパームツリーが整然と並ぶのはリビエラ逗子マリーナ。その横には漁船が停泊する小坪漁港が顔をのぞかせ、遠くには伊豆半島がぼんやりと浮かんで見えます。吹き上げてくる海風も心地よく、かすかに潮騒が耳に届きます。
「すっきり晴れた日は江の島や富士山も見晴らせるんですよ」
というなおこさんの言葉を聞きながら、しばし陶酔……。

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海から吹き上げる風が心地よいカフェの客席(写真撮影/嶋崎征弘)

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写真右手側のパームツリーに囲まれた建物がリビエラ逗子マリーナ。左側が小坪漁港の入江。奥に伊豆半島が淡く稜線を描く(写真撮影/嶋崎征弘)

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テラスは海辺の景色を堪能できる特等席。屋根に這わせたブドウの木がやさしい木漏れ日を届ける(写真撮影/嶋崎征弘)

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もう一つのテラス席はカウンタースタイル。窓に設置された跳ね上げ板は天候に応じて開閉する(写真撮影/嶋崎征弘)

絶景とともに評判を呼ぶのが、なおこさんが手づくりする“おやつプレート”です。
内容は時季で替わりますが、デザート2種+飲み物1種。飲み物はメニューから好きなものを1種類選ぶことができます。

この日のデザートには栗のパフェが登場。栗の甘煮のほかに、栗のペースト、あんこ、アイスクリーム、白玉などがパフェグラスに盛り込まれ、シックな色合いと贅沢な構成に心が躍ります。口にすれば、一つ一つが優しくナチュラルな味わい。アクセントに潜ませたカシスジャムの甘酸っぱさが栗のまろやかさを引き立てます。一緒に出された水出しの緑茶もパフェに負けないふくよかな飲み心地です。


「栗は無農薬栽培で近くのファームさんのもの。栗の香りを楽しめるようペーストにしました。お茶は抹茶と緑茶のブレンド。緑茶の爽やかさと抹茶のまろやかさを両方楽しめるようにしているんですよ」
となおこさん。

ここで出されるスコーンやデザートはすべて卵・乳製品・白砂糖を不使用。スコーンに添えるバターは豆乳でつくり、パフェのアイスクリームも豆乳仕立てです。
「卵や乳製品のアレルギーがある方でも楽しめるようにしています。素材も湘南地域を中心に、全国各地の信頼できる農家さんとお付き合いさせていただいて、無農薬など体によいものを選ぶようにしています。自分がそういうものが食べたいというのもありますし、忙しい日々から少し離れ自分の時間をゆっくり過ごしていただくときに、すっと体に入っていく優しいものをお出ししたいなと思っているんです」
体も心もほっと安らぐひとときはまさに至福。リピーターが多いのも頷けます。

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スコーンは小麦粉や豆乳、てんさい糖などシンプルな材料と自家製酵母を使って焼き上げる。オーガニック・フェアトレードの上質な生豆を自家焙煎。

ネルドリップで丁寧に淹れる(写真撮影/嶋崎征弘)

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栗のパフェは秋に登場。豆乳アイスはプレーンと抹茶の2種類が入る。飲み物は水出しの冷たい緑茶を。おやつプレートはデザート2種が1品ずつコースのように供され、飲み物を含めて1800円~(税込)。日によってはモーニングも実施(写真撮影/嶋崎征弘)

こうしたおやつプレートのほかに、棚にはスコーン、ジャム、お茶、塩、器、カトラリーなども並び、おみやげに買うことができます。ジャムのラインナップは季節で替わり、いちご、ルバーブ、桃、ブルーベリー、プルーン、洋梨、いちじく、ぶどう、栗、りんご、柑橘類などなど。素材はすべてが無農薬。産地に足を運んで生産者の話を聞いたり、収穫の手伝いをしたりというものが多いそうです。とりわけ、鹿児島の辺塚(へつか)だいだいや、自宅近くに実る小坪夏みかんのマーマレードは、イギリスで開催されるマーマレードの世界大会「Marmalade Awards」にて金賞を受賞した逸品として知られています。

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

横須賀の木工作家、宮下敬史さんのコーヒーメジャーや茶さじなど、カフェで使うアイテムを買えるのが嬉しい(写真撮影/嶋崎征弘)

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

物販コーナーも洗練された雰囲気。営業日には右手の棚にスコーンなどが並ぶ(写真撮影/嶋崎征弘)

毎年、お正月には塩を炊くのも恒例です。原料は小坪沖のきれいな海水。

交代で火の番をしながら3日間かけて炊き上げ、天日に干して仕上げます。出来上がった“小坪の塩”は料理やお菓子づくりに使うほか、希望する人におわけすることも。
「日本ミツバチも一緒に暮らしているんですよ」というなおこさんの言葉に、入り口に戻って見上げるとそこには2台の巣箱が。小坪の百花蜜もまたカフェで活躍しています。
できる限り自分たちで手づくりをするスローな暮らしは、のんびりとした空気が流れる海辺の街にしっくりとフィットしています。

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

家とガジュマルの間に渡した板の上に養蜂の巣箱を設置。この右側にもう一つ巣箱がある(写真撮影/嶋崎征弘)

リノベ+新築で築50年の中古住宅を再生

夫妻がここに引越してカフェを始めたのは2012年のこと。といっても、カフェを開くためではなく、あくまでも自宅として選んだ物件だったと仁さんは言います。
「僕らがもともと住んでいたのは東京都杉並区の高円寺。2人とも引越し好きで、高円寺だけで3軒住み替えているんです。娘が生まれてからは、もう少しのんびりした自然が身近な場所に暮らしたいと思い、ひとまず鎌倉の七里ヶ浜に家を借りて住みながら家探しをしていました。湘南エリアには土地勘はなかったのと、物件探しのために東京から毎回通うのは大変ですから」

希望していたのは“古い家”。設計事務所に勤めていた当時はスマートシティ開発など最先端の建築設計をしていた仁さんですが、もともとは歴史を感じられる建物に心を寄せていました。

独立してから鹿児島、島根、瀬戸内などで古民家再生の仕事を請け負ってきたのもそのため。自分たちが暮らす空間を考えたときも、土地を買って新築する選択肢は浮かばなかったそうです。

もっとも、見学を重ねても今ひとつ決め手に欠け、5年間でチェックしたのはかれこれ50件近くに。そのときにたまたま地元の不動産会社に貼られていた今の物件が目に止まりました。
「面白そうだと見学に行ったところ、ほぼ即決でしたね。気に入ったのはなんといってもこの立地。敷地は広くないけれど、小坪漁港からせり上がっていくこの地形が面白いなと。車で行き来できない不便さはあるものの、逆に車を気にせず自由に歩けるところも気に入りました。何よりもここは尾道や瀬戸内の島の風景にすごい似ているんです。僕は広島で育ったので、郷愁を感じるロケーションも決め手になりました」

加えて、魅力的だったのは価格の安さ。車でアクセスができない特殊性から、価格は周辺の中古相場の3分の1程度。その分、改修に予算を割くことができます。
「周りは坂道や階段が多く、歳を取ったら大変かなとちょっと思いましたが、この辺りの高齢の方はみなさんすごく元気。毎日坂道を上り下りするのは足腰にいいのかもと考えることにしました」(仁さん)

契約をして、早速、設計に取り掛かった仁さんは大胆なプランを導入します。それは建物の半分は躯体(くたい)を活かしてリノベーションを行い、もう半分は取り壊して新たに建て直し、その2棟を2階部分と屋根でつなぐというもの。
「ここは自分たちの家なので、古民家再生の仕事にも活かせるようなことをやってみようと思ったんです。まずは内装や建具などをすべて剥がし、構造体だけの状態にしてから設計をしていきました。ベースになる図面をひいて、現場で躯体のコンディションをチェックしながら模型をつくって考えていく――。手探りで工事をすすめていくような感覚でしたね」(仁さん)

リノベーションでは既存の建具を活かすこともありますが、昭和中期に建てられたこの建物は新建材が多く使われ、味わいが感じられなかったことから躯体以外はすべて一新。対して、“離れ”と呼ばれる新築棟はコンパクトな木造の2階建てになっています。

住宅の周辺は車が通れない道のため、工事には苦心する点も多かったと言います。
「解体は手作業しなければならないし、建材の運搬も人力なんですね。だから、工期がかかり、工事費も通常の3割増でした。購入価格は安かったけれど、結局、総額は中古相場とほぼ同じ。でも、この立地は代えがたいものなので納得はできました」(仁さん)

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

販売当時の建物。西側に小さなバルコニーが付いていた(写真提供/日髙さん)

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こちらも販売当時の室内。1階のダイニングは海に面した西側に掃き出し窓が設計されていた(写真提供/日髙さん)

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以前の建物は1階にキッチンがあり、奥が浴室になっていた(写真提供/日髙さん)

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減築に向けた解体作業の様子。右下にあるブロック塀も撤去した(写真提供/日髙さん)

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改修途中の母屋の2階。フローリングや建具を交換したり、傷んだ躯体も丁寧に補修。左奥にいるのは当時小学生だった娘さん。出来上がっていく家を一緒に楽しんでいたそうだ(写真提供/日髙さん)

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夜に撮影した転居当時の家。切断面の様子がわかる。まだ改修途中でこの後にも自分たちで手を加えていった(写真提供/日髙さん)

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南町テラスの模型。こちらは正面の入り口側。改修棟と新築棟は屋根でつながっている(写真撮影/嶋崎征弘)

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

こちらも模型で、海に面した西側。跳ね上げ式の木製サッシが台風からも家を守ってくれる(写真撮影/嶋崎征弘)

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

右が改修棟、左が新築棟。2棟の間には幅1.5mの通り土間を設け、周囲の路地と連続性をもたせている(写真撮影/嶋崎征弘)

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2棟をつなぐ屋外階段。トムソーヤの家を彷彿とさせる(写真撮影/嶋崎征弘)

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

離れの1階はアトリエを兼ねたフリースペースに(写真撮影/嶋崎征弘)

外壁にトタン風のガルバリウム板を取り入れているのも印象的です。潮風によるサビなどのダメージも意匠にしていくのが狙いです。
できるだけ自分たちでつくったという外構で目を引くのは、ハスが浮かぶビオトープ。メダカが気持ちよさそうに泳ぐ姿も見られます。
「小さな三角池なんですが、コンクリートで防水をするのが結構大変でした。水は雨水と水道水をたまに足しています。ハスの形をした陶器の鉢も置いていますが、水が溜まると蜂が水を飲みにくるんですよ」
と言うのはなおこさん。
先述のガジュマルやテラスのブドウの木など植栽も自分たちで植え、手づくりの温かみのある家が少しずつ完成していきました。

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

南町テラスのサインを取り付けた外壁は、トタン板よりも傷みにくいというガルバリウムの波板。波目が独特の陰影を生み出し、経年による風化も味になる(写真撮影/嶋崎征弘)

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

ハスが彩る手づくりのビオトープ。ハス形の鉢は陶器作家によるもの(写真撮影/嶋崎征弘)

少しずつ手を加え自分たちらしい空間に育てる

リノベ+新築によって再生された家は2階部分を家族の居住スペースに充てているとのことですが、どんな空間なのか気になります。
「母屋のほうはワンルームで17.25畳。狭いのでリビング兼寝室みたいな感じで布団を敷いて寝ています。今は新築した離れが娘の部屋。それでも3人なのでギリギリという感じですね。前の家は100平米以上あったので、荷物はかなり整理しました」(仁さん)

一方、1階はカフェ用のキッチンを設け、自宅の玄関を別に設置するなど動線にも工夫がされています。とはいえ、「引越した当初はここでカフェをやるぞというところまではいってなかった」となおこさんは振り返ります。
「前々からカフェをやってみたいと思っていて、勉強のためにアルバイトをしたこともありました。でも、本当にできるのかなとためらう気持ちもあって……。改修が半分ほど終わったところで住み始めたのですが、自分たちで壁や床を張って出来上がっていく空間を見ているうちに、だんだん気持ちが盛り上がってきたんです」

建物とともになおこさんの背中を押してくれたのは、南町に暮らす人たちでした。南町は鎌倉と同じくらいに古い集落で、親の代までは漁師だったという家がほとんど。南町テラスも以前は漁師家族が住み、近所では「たこ金」の屋号で通っているそうです。
「住み始める前は地域に馴染めるか心配でしたが、蓋を開けたら気さくで温かな人たちばかり。『たこ金のところに引越してくるんでしょ?』と地域の人たちから近づいてきてくれたんです。私たちが必死に材木を運んだり壁を塗ったりしているときも、『またなにかつくってるの?』『だんだん家らしくなってきたね』と声かけてくれて。当時は娘が小さかったので、みなさんからかわいがってもらっていました。この空間も『素敵だね』『今度お茶飲み来ていい?』と言って立ち寄ってくれる方も多く、その延長でカフェを始めることができたんです。オープンした時はまだ家が半分しかできてなくて、食器もそろっていない。でも、あえてそういう状態で始めて、お客さんと一緒に時を重ねていくなかで、この場所を一緒に育てていければと思っていました」(なおこさん)

当初のお客さんはほぼ地元の人たち。近所のおばあちゃんたちが誘い合って来てくれたことが忘れられないとなおこさんは振り返ります。
「みんなで杖をついて来て『平均年齢80歳よ』なんて笑って。嬉しかったですね。今みたいにSNSで広がる時代ではなく、私たちも特別に宣伝するつもりもなかったので、近所の人たちだけが知る隠れたカフェだったんです。それが口コミで徐々に広まって、SNSが普及した今は隠れ家的な感じはなくなっちゃいましたけれど」

オープン後には棚をつくったり、キッチンをつくり込んだりと少しずつ手を加え、今の形になってきました。テラス席の屋根も当初はテント張り。現在はポリカーボネートの屋根に変わっています。海に面した窓に欄間(らんま)など書院建具をつけたのも開店から数年後とか。
「本来、欄間は家の内部に設けるもの。ちょっと乱暴な使い方なので、もって2、3年かなと思っていたのですが、メンテナンスしながらもう10年以上経ちますね」(仁さん)

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キッチンと客席のパーティション代わりになる棚は仁さんがDIY。手づくりの温もりを振りまいている(写真撮影/嶋崎征弘)

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窓に設置された欄間は古民家で使われていたものを譲り受け、ガラスと組み合わせて再生利用している。(写真撮影/嶋崎征弘)

「これも後からつけたんですよ」
そう言って仁さんが指したのはカフェにある背の高い棚。開くとそこには本がぎっしり!
「東日本大震災のときに大学の本棚が全部倒れて大変なことになったんです。だから安全のために造り付けにしました。閉じれば中身が見えないので、営業をしているときも邪魔にならないんです」

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建築や空間デザインなどの本がびっしり並んだ開閉式の本棚。閉じていると、そこに棚があることにも気づかない(写真撮影/嶋崎征弘)

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写真左端が、閉じた状態の本棚(写真撮影/嶋崎征弘)

さらに、6年前には通り土間にも手が入れられました。敷いたのは、池子付近の旧家の基礎に使われていたという池子石(いけごいし)。
「池子石というのは、昔、逗子の池子付近で産出されていた石の呼び名。かつては石垣や神社の石段などによく使われていたのですが、コンクリートに取って代わられ、今は切り出しをしていない貴重なものになっています。旧家の改修工事をしていた工務店さんが『処分してしまうのはもったいないから』と僕に声をかけてくれ、軽トラックで何度かに分けてもらいに行きました。もちろん、自宅までは徒歩で運んで、全部自分で敷いたんですよ。柔らかい池子石は使い込むうちに摩耗するので、ここもいい感じに馴染んできました。石が苔むしたり、間から草が生えたりする風情も敷石ならではですね」

前の家の歴史を引き継ぎながら少しずつアップデートされていく空間は、連綿とした歳月の流れを感じさせてくれます。もちろん、夫妻にとって愛着はひとしお。経年による変化さえ愛おしくなるそうです。

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通り土間に敷いた池子石。形がまちまちのため、乱張りという手法でパズルのように組み合わせて張っている。石の隙間は土や消石灰などでつくる三和土(たたき)で埋めている(写真撮影/嶋崎征弘)

山梨県の湯之奥に残された“夜学舎”がもう一つの拠点に

小さな漁村集落での暮らしはかけがえのないものになっていますが、実は夫妻にはもう一つ、大切な場所ができています。それは山梨県身延町の湯之奥。5年前、この地に住まいを設け、2拠点暮らしを始めているそうです。

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

現地で過ごしている様子(C)つづり舎

「湯之奥は『信玄の隠し湯』で知られる下部温泉がある谷の一番奥にあり、今は4世帯しか住んでいないごく小さな集落です。出合ったのはコロナ禍が落ち着き始めたころ。ジャムのいちごを買わせてもらっている甲府の農家さんに挨拶に伺ったときに、せっかくだからと下部温泉の宿に泊まることにしたんです。そのときに散歩がてら訪ねたのが湯之奥。国の重要文化財の茅葺き住宅を見たくて足を延ばしたのですが、石畳が敷かれたその集落の雰囲気がすごくよかった。ここに住みたいと思ったんです」

夫妻が借りたのは「夜学舎」と呼ばれる昭和初期の木造の建物です。その名の通り、農閑期の夕方から子どもたちが集まり、村の青年たちから読み書きを学んでいた場所でした。使われなくなって60年以上経ち、廃墟に近い状態でしたが、村の歴史を刻む希少な建物だからこそ、自分たちの手で再生したいと考えたと言います。

しかも、この夜学舎、なんとお茶畑付き。山々に囲まれたこの地は、日照時間が限られ寒暖差も大きい上、眼下に流れる下部川の影響で霧が発生しやすい茶の木栽培の好適地。集落には小さな茶畑が点在し、細々とお茶づくりが受け継がれているのです。
「昔は夜学舎で製茶もしていたようで、建物のなかには茶葉を手もみする焙炉(ほいろ)が壁に沿って3台並んでいました。ただ、完全に崩れてしまっていたので、それを解体して土と木材を取り出し、その材料を活かしながら新たに焙炉とお茶を蒸すかまどをつくりました。お茶の木は耕作放棄されていたものの、もともと生命力が強いので手入れをすると元気になり、毎年茶葉を摘んでお茶をつくるようになったんです」(仁さん)
カフェで使う茶葉は夫妻が湯之奥で育てたもの。そう聞くと、味わい深さがいっそう増してきます。

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

(C)つづり舎

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

(C)つづり舎

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

焙炉とお茶を蒸すかまど(C)つづり舎

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

(C)つづり舎

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

湯之奥の茶畑で摘んだ茶葉。これを抹茶、緑茶、焙じ茶、紅茶につくり分ける。基本的には現地の焙炉で製茶するが、カフェでも簡易な形で和紙の上で手もみをしている。収穫の時季には現地で茶摘みのワークショップも開催(写真撮影/嶋崎征弘)

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

カフェには抹茶や緑茶を挽く石臼も鎮座。粉末の茶葉は水出し茶やアイスクリームなどに利用している(写真撮影/嶋崎征弘)

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

千本格子戸を取り付けた住宅の玄関前で干すのは、湯之奥で採った姫くるみ(写真撮影/嶋崎征弘)

まずはやって考える実験的スローライフ

「旅行するときはせかせかと観光地を巡るより、同じところで2週間くらい過ごして暮らしベースの体験をするのが好きなんです」
という夫妻には、住んでこそいないものの拠点といえる場所がほかにもあります。

その一つは鹿児島。ここには仁さんが再生した古民家のカフェがあり、年に1度は訪れて宿泊させてもらうのだとか。そのとき出会ったのが先述のマーマレードに使っている辺塚だいだいでした。
「辺塚だいだいは肝付町と南大隅町の辺塚集落で栽培されてきた固有種。地域で仲良くなった方から紹介されたのですが、マーマレードにしたらものすごくおいしくてびっくりしたんです。でも、地元の人たちは身近過ぎて、その魅力に気づいてなかったんですね。イギリスの大会に出品したのは、辺塚だいだいが地域おこしに使えるぐらい素晴らしいものだということを分かっていただきたかったからなんです」

そのマーマレードが金賞を受賞したのとちょうど同じタイミングで、辺塚だいだいで地域を盛り上げようとNPOが立ち上がり、意識が変わってきたとなおこさんは言います。

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店内に飾られたマーマレードの世界大会「Marmalade Awards」の賞状(写真撮影/嶋崎征弘)

仁さんが古民家再生を手がけた瀬戸内もまた、思い入れのある地になっています。
「瀬戸内ではレモン農家さんと仲良くなって、レモンでドリンクをつくったこともあります。彼が建築で地域を応援するなら、私は食で応援していきたいんです」
そう話すなおこさんの温かな思いは地元にもたっぷり注がれています。

例えば、マーマレードの材料になる小坪夏みかんは、近所にある夏みかんの大木から収穫したもの。たわわに実っているのに見向きもされない状況から、許可を取って収穫しマーマレードにしたのだとか。こちらも世界大会で金賞をもらったことから新聞などに取り上げられ、地域産品としての認知度が一気に高まりました。
湯之奥も同様に、お茶を通じて集落をもう一度盛り上げられないかと考えているそうです。

「僕らのやっていることは全部実験的というか、とにかくやってみて考えていく。同じものを量産する体制は2人とも好きじゃないんです」
と仁さん。
南町と湯之奥という2つの住まいは、いわば夫妻の研究所。暮らしのなかで感じたことを少しずつ形にして、育っていく姿を楽しむ――。そんな感覚があるのでしょう。

南町テラスは住み始めて15年。最後に今の住み心地を聞いてみました。
「すごく快適ですね。ここに住み始めてからは僕も妻もとても体調がよいんです。日本人は南向きにこだわる傾向がありますが、実は西日って建物にとてもいい。西日と風通しのよさのおかげで家が乾燥してカビが発生しにくいんです。この物件を初めて見学したときも、扉や窓を閉め切っていたのにカビのにおいは一切しなかった。それが健康にもつながっているんだろうなと感じています」

【逗子】路地裏の築50年古民家を、オーシャンビューの絶景自邸+カフェにリノベ。建築家夫妻が語る”豊かな二拠点生活”の始め方 「南町テラス」

西向きに開いた建物は美しい夕景を目にできるのも魅力。書院建具が美観を引き立てる(写真提供/日髙さん)

将来的にはどこかで宿を開く夢もあるそうですが、しばらくは海と山の暮らしを楽しみたいという夫妻。地域に溶け込みながら、自分たちらしくゆったりと。2人が刻むリズムが、南町テラスを訪れた人たちを癒やしているのかもしれません。

●取材協力
南町テラス
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