今の世の中、情報にあふれている。手の上の小さな画面を流れていく情報のスピードに引っぱられ、人とのコミュニケーションも、手軽になったぶん、じっくり相手や自分の思いと向き合うことが、減ってしまったのかもしれない。
長く出版業界で働いてきたという笹木千尋(ささき・ちひろ)さんはこう話した。
「どんどんつくって、どんどん捨てるのが当たり前になって。その過程でいろんなものが流されて、人の思いの部分も軽んじられているように感じたんです。せめて、世界に一カ所でも、人の思い出を大切に保管できる場所があったらいいなと思ってつくったのが『風の図書室』です」
一人ひとりの「人生でたった一冊の大切な本」を寄贈してもらう形で始まった「風の図書室」を起点にして、笹木さんはいま千葉県館山市で古本屋「風六堂」を営んでいる。
同じ敷地内でお隣のカフェ「MANDI」オーナーの渡辺昭一郎さん(右)と、「風六堂」の笹木千尋さん(左)
海のあるまち、館山
以前、筆者がこの連載の取材で千葉県の館山を訪れたのは約4年前のことだった。小さくて新しい店が次々に生まれ、活気づいているまちとして紹介した。今回久々に訪れてみると、駅前にはカレー屋や古着屋などのチャレンジショップが入店する複合施設が新しくできていた。
建物の前にはくつろげるスペースもあり、高校生がおしゃべりしている。雑然としていた以前の雰囲気からすると、大きな変化だ。
館山駅前には、以前マイクロデベロッパーとして紹介した漆原さんが新しくオープンした、鯛のあら汁とおにぎりの店「吉」も
改めて館山のまちを歩いてみると、駅の周辺には寿司屋や魚料理の店が多く、海のあるまちらしい風情を感じさせる。
「風六堂」は、駅から5分ほど歩いた場所にあった。以前も訪れたカフェMANDIのすぐ隣に建っている。
道沿いに見えるMANDIと風六堂の看板
「Books & Library 風六堂」と「MANDI」の看板が立てかけられた入り口があり、ちょうど実が色づいた果樹と、奥のガラス戸の赤い木枠がカラフルでおしゃれに見える。
MANDIを右手に見ながら、向かいの「風六堂」の玄関を開けると、古い映画のような世界が広がっていた。
小道の右手がカフェ「MANDI」で左手が「風六堂」
「風六堂」の入り口
「思い出を預かる」という発想から生まれた「風の図書室」
笹木千尋さんが明るい声で迎え入れてくれる。
風六堂がここにオープンしたのは、2022年6月のこと。
その一年ほど前に、笹木さんは夫婦で東京から南房総へと移住し、自宅で小さく「風の図書室」を始めた。
「新卒から13年間ずっと働いてきて、ここらでちょっとひと休みして、全く違うことをしてもいいかなと思ったんです。少しは貯金もあったので、何か自分がやりたいことを、まずはお金とは関係なくやってみようと思って始めたのが風の図書室です」
縁側を眺めるこの位置が、いつもの笹木さんのスペース
「一人につき一冊、人生で思い出のある本を寄贈してもらう」というコンセプトで始まった風の図書室。寄贈者にメッセージを書いてもらい、みんなでその本をシェアする。
「寄贈することに価値を感じてもらえたら、と思ったんです。あなたの大切な一冊と思い出を、私がここで半永久的に預かります、みたいなことですね。社会や仕事などから隔離された、ファンタジーのような場所をつくりたかったのです」
「風六堂」の一角にある「風の図書室」
その後、笹木さんはシェア型本屋や古本事業を始めたため、いま風の図書室は「風六堂」の一角に収まっている。実際に店を訪れると、笹木さんの言葉の意味がよくわかった。昭和の雰囲気のある民家には、ぎっしりと古い本が並んでいる。
それ以外の壁面は古い本に囲まれていて一瞬、現実を忘れ、映画の中にでもいるような感覚を覚えた。
「風六堂」の入り口。駄菓子が並んでいる
「風六堂」の中のようす
笹木さんは、長く東京で出版社や企業で雑誌や広報誌などの制作に携わってきた。
「雑誌や月刊誌をつくる中で、情報とともにいろんなものが流されていってしまう感覚を覚えました。同じように、人の思いみたいなものも軽んじられている気がして。世界に一カ所でも、気持を大切にとっておける場所があったらいいなと。何より私が、そういう場所を欲しかったんです」
思いをとっておくには「本がいいツールになるのではないか」と考えた。「生涯に一冊しか寄贈できない」となれば真剣に考えるし、人それぞれの思いや性格、人生が反映された一冊が集まるはずだと。
「本が好きな人ほど、一冊が選べないって人もいらっしゃいます。そういう方は、自分が亡くなったら寄贈するわと仰いますし、亡くなったお父さんや友人の本を寄贈してくれる方もいらっしゃいます」
風の図書室の本を開いてみると、さまざまなメッセージが書き込まれていた。
メッセージが挟み込まれた本
シェア型本屋と古本販売の「風六堂」
はじめは自宅で「風の図書室」を始めたものの、手ごろに借りられる場所を探していたという笹木さん。その時期に出会ったのが、館山市のカフェMANDIだった。オーナーの渡辺昭一郎(わたなべ・しょういちろう)さんが「向かいの縁側を使ったら」と言ってくれたのがきっかけで、渡辺さんの実家の一部である同じ敷地内、向かいの家で本屋をオープンすることになる。
「はじめは20~30冊を扱う程度だったので縁側で十分だったんです。でも渡辺さんが、いまシェア型本屋というのが流行っているみたいだから、ここでもやってみたらって、瞬く間にワイン箱を組み合わせて本棚をつくってくれたんです。気がついたらシェア型本屋をやることになって。でも始めてみたら案外楽しくて」
風六堂の奥の本棚はシェア型本屋になっている
気づけばいま、風六堂には40人もの箱主がいる。ひと月にひと箱500円で、売れた分は全額、箱主に渡すというから全く風六堂の儲けにはならない。
その後、古本屋も始めて、やっと最近、最低賃金くらいは稼げるようになってきたという。
それでもここは本を売り買いする場所である前に、誰もがふらりと遊びに訪れることができる場所。
「本屋さんって本を買わなくても、誰でも入ってこられるじゃないですか。
店の中央には、本棚に囲まれるように大きめのテーブルが置いてある。ここでゆっくり本を読んだり、居合わせた誰かと話すことを目的に訪れる人も多い。
店は毎週水曜日から土曜日までの4日間、11時から17時までオープンしている。笹木さんは週に3日間は家で仕事をして、週に4日は本屋で人と話す。
そんなバランスが、ちょうどよくて心地よい。
ゆっくり本を読んでもらえるようにと、店内中央には、大きなテーブルが置かれている
風六堂のSNSを眺めると、この場所で起きたさまざまな出来事が記録されている。「七夕飾りがあるので短冊を書きに来てください」と笹木さんからの呼びかけもあれば、旅行で訪れた若き女性と地元の人たちの交流、沖縄民謡を披露してくれた年輩の女性、MANDIの渡辺さんがピアノを弾きながら歌を歌っている様子も。
毎日、予想もしない人が訪れ、出会いが生まれる。そんな偶然がもたらす出来事を、誰より笹木さん自身が楽しんでいるのだと思う。
以前、笹木さんが別の取材に「自分のための居場所をつくりたかった」と答えていた言葉が心に残った。みんなの居場所ではなく、自分のための居場所。
「まちがいなく、ここは私の居場所になっています。本屋をやっていなかったら何をやっていたんだろうと思うくらい。でも結果的に、私の居場所であると同時に、誰かの居場所でもあるんだろうなと思うんです。みんなの話を聞いていると、まっすぐ帰るよりここで本を見てから帰る方がいいとおっしゃる方や、週末に行くところがないからここで本を触っているという人もいて。私の本屋ではあるけれど、私の本屋だけでもないみたいな、不思議な感覚です」
もとは縁側のみで活動していたが、どんどん奥に広がっている
理由なく居られる場所があるというだけで
向かいのMANDIのオーナー渡辺さんにも話を聞いた。
「もともと向かいの家はうちのもので、空いていましたし、差し当たって使う予定もなかったので、貸してもいいかなと思ったんです」
お隣のカフェ「MANDI」
笹木さん(左)と渡辺さん(右)
今では風六堂の会計をMANDIで代行することもあるし、笹木さんが渡辺さんの代わりにMANDIの店番をすることもある。MANDIのお客さんで、風六堂にも立ち寄る人も多い。
伝わってきたのは、軽口を叩きあう2人の仲の良さだった。渡辺さんは言う。
「毎朝8時にMANDIをオープンするんですけど、風六堂を開けるのも僕がやっているんですよ。彼女、『縁側を使ったら』と言った翌週にはもう掃除して使っていましたから(笑)。そのうち家の中も片付けろというから片付けて。
笹木さんもすかさず「渡辺さんがお客さんの話を聞くのがあまり得意じゃないから、話したい人が本屋へやってきて、私が全部話を聞くことになるんですよ」と言い返す。
そんな話をしていると、MANDIの常連さんという女性が入ってきた。ここから歩ける距離に暮らしているという。
「ここは第二のわが家です。もともとMANDIに通っていて、本屋の箱主にもなりました。渡辺さんと千尋さんは、お父さんと妹みたいなもの。今度またMANDIの常連仲間で芋煮会をやるんです、ここの庭で。誰が主催とかなくて、誰かが言い出しっぺで渡辺さんや千尋さんが協力してくれて毎回開催されるイメージです」
MANDIの奥の庭で集まることも多い
常連さんと3人で
「めんどくさいんですけどね」と渡辺さん。去年の夏の流しそうめんの集まりでも「そうめんを茹でるのが大変だった」とボヤキながらまんざらではなさそうだった。
カフェと本屋のあるこの場所は、多くの人にとって本音を言い合える、理由なくゆるやかに居られる場所になっている。それだけで、人は満たされて幸せを感じることができるんじゃないか。そんな光景だった。
お天気がよい日は「風六堂」の前にお客さんが集まる日も
●取材協力
風の図書室/風六堂
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