あらゆる場面で「居場所」という言葉が使われる。でも、人にとって本当の意味での居場所は、そう簡単にできるものだろうか。
腫瘍内科、緩和ケアの医師として、患者に向き合ってきた西智弘(にし・ともひろ)さんは、まだ病気になっていない段階から、患者さんが周りの人たちと関係性を育むことの大切さを感じてきた。だから、誰もがふらりと訪れることのできる「暮らしの保健室」を開いたという。
保健室というくらいだから、病気や体の不安について相談できる側面は大きい。でもそれだけでなく、生活の困りごとや「こんなこと話して大丈夫かな」という個人的な悩みまで何でも相談できる場所。いったいどんな所なのだろう。武蔵新城(神奈川県川崎市)の暮らしの保健室を訪れた。
暮らしの保健室とはどんな場所?
JR南武線の武蔵新城駅から、歩いて5分ほど。雑居ビルの立ち並ぶ駅前の喧騒から逃れて細い路地に入ると、こぎれいな白い建物の1階に「暮らしの保健室」の看板が出ていた。
(撮影:筆者。以下同)
中には一人の相談者が訪れていて、背中越しに心理士さんが話しているのが見える。
一般社団法人プラスケアが運営する「暮らしの保健室」は、月曜と日祝日をのぞく、10時から16時まで毎日開いていて、専属のスタッフが迎えてくれる(12~13時のお昼どきは閉室)。会費と寄付金、事業収益の三つの柱でまわっており、最近は自治体との連携も始まっているが、基本は民間での取り組みである。
暮らしの保健室の1階
室内はさほど広くないが居心地の良さそうな空間で、1階はふらりと訪れる人たち同士も話せる場になっており、予約相談などの場合は2階で個別に話をするスタイル。
取材のために2階に通してもらう。西さんと向かい合って座ると、それだけでスペースはいっぱいだったけれど、不思議と圧迫感がない。
西さんは人の苦痛を取るのが専門のドクター、緩和ケア医だ。改めて、この場所を開設した理由を聞いた。
「病院では、薬を出して入院してもらって……といった一般的な治療をするわけですが、患者さんにはそれだけでは解決できない問題がたくさんあります。体の痛みは薬で和らげることができても、それとは異なる痛みや苦痛があって。不安や一人ぼっちで苦しんでいるとか、思いを誰にも聞いてもらえないとか、人間関係がうまくいっていないなども含めて。
いわゆるウェルビーイングと言いますけど、人が生来の元気を取り戻すには、肉体的なことだけじゃなく、いろんな苦しみを取り除く必要がありますよね。そこまで含めて緩和するドクターとしてやっていく必要があるんじゃないのかなと考えるようになりました」
そこで、病院とは違う、生活の動線上に、医療者と一般市民が気軽に出会える場をつくろうと始めたのが「暮らしの保健室」である。いま、ここを訪れる人たちは、コーヒーを飲みながら心理士や西さんのようなお医者さんと気軽に話をし、さまざまな相談をすることができる。
西さんたちのアドバイスも病院での診察とは異なる。
しかも、話の中身は医療に限らないという。
保健室という名前がついているが、どんな話をしてもいい。小学生のころの保健室を思い浮かべてもらうとイメージしやすいかもしれない。もちろん体調が悪い時に訪れる場所でもあるが、個人的な悩みを保健の先生に聞いてもらうために通う生徒もいたし、授業をサボるために長居する人もいた。
この「暮らしの保健室」も同じ。解決したい悩みごとを相談に来る人もいるし、ただふらりと訪れる人もいる。心理士が常駐していて、西さんも週に一度、決まった曜日にこの場を訪れる。
体と心の不調や、それにまつわることを相談できる場を前提にはしているが、それ以外の話をしたければそれでも構わないし、まったく話をしなくても構わないという。
緩和ケアの医師、西智弘さん
「暮らしの保健室」ができた経緯
「暮らしの保健室」は、この武蔵新城だけでなく、全国に50カ所以上存在する。2011年に秋山正子(あきやま・まさこ)さんという元看護師で訪問看護に携わってきた女性が新宿区戸山ハイツでスタートしたのが始まりだ。
いまでいう「地域包括ケア」のハブとなる、相談支援センターとして設立された。
だがそれよりずっと前から訪問看護・介護の現場に携わってきた秋山さんは、こうした場の必要性を自著にこう記している。
「既存の(医療)機関では敷居が高すぎて利用しにくく、身近なところで『予約も受け付けもなしにふらりと寄れるdrop in』型の情報発信場所が必要である」(*1)
暮らしの保健室には医療相談に対応できる関係者が不可欠な一方で、ボランティアスタッフにより訪れる方へのお茶の接待、電話番、医療専門職へのつなぎ、居心地のよい室内のしつらえなどがなされる必要があると書かれている。
病気になる前から、看護師やお医者さんに相談できる、身近な「入口」といったところだろうか。
また「相談者と医療従事者」の一対一の関係だけでなく、訪れる人同士をつなぐハブの機能もある。たとえば、武蔵新城ではこんなことがあったと、西さんが話してくれた。
「ある病気になられた方が、自分一人こんなつらい思いをしていると思い込んで、引きこもりになっていたんです。知り合いがここへ連れてきて、うつ病で引きこもっているんだと相談していたら、ちょうどたまたまいらしていた別の方が同じ病気で。私もそうなんだよって話をしているうちに、自分だけじゃなかった、つらくても頑張ろうとする人がいると知って立ち直っていかれて。ものすごく気持ちが元気になった方もいました」
病気が治ったわけではないけれど、気持が元気になることで、前向きに日々を生きることができるようになる。
人の心って不思議だ。
病気にならないと、お医者さんには会えない
いま日本でも進んでいるのが「社会的孤立」。人とつながりをもてないことが、健康にも影響をおよぼす。
暮らしの保健室では、孤立・孤独が原因の悩みを抱えている人たちを「地域活動や文化サークル」などの社会資源とつなぐことで、より「自律的に生きていけるように支援するとともに、ケアの持続性を高める」こともめざしている(*2)。
武蔵新城の暮らしの保健室で専属で働く、臨床心理士の福島沙紀(ふくしま・さき)さんはこう教えてくれた。
「不調を抱えてから初めて来てもらうより、できれば健康なころからつながっておいて、いざ病気になったり、介護が必要になって『誰を頼りにすればいいんだろう』と途方に暮れた時に、『あ、そういえばまちに保健室があったな、お医者さんや看護師さんもいたな』と思い出してもらえるのがいいなと思うんです」
日々の相談内容も、医療色が強い時とそうでない時など、グラデーションがある。
「習い事に行く小学校生の男の子が『やっほー』と声かけてきたり、ただ『お茶を飲みにきました』という方もいます。地域にひらくってそういうことだと思うので」
「普通、病気にならないとお医者さんには会えないから」。そう言われてはっとした。
本当にそうだ。
病院はいつも病気の人であふれているし、ちょっとした悩みや不安を相談には行きにくい。敷居が高い。でも実際には、もっと手前の段階から相談したいことがあったりする。
西さんは言った。
「がん患者の終末期を数多く見てきたので、とくにそう思うのかもしれません。がんになると、多くの人が社会から切り離されて、生きる意味を見失ってしまう。点滴や薬を入れられて天井を眺めながら死んでいく方が本当にたくさんいらっしゃいます。本人が満足していればもちろんそれでいいのですが、『私の人生って何だったんだろう』『俺の生きてきた意味って何だろう』と感じながら亡くなる方を山のように見てきました。
その時感じるのは、病院に入ってしまったらもう遅いってことです。どうしようもない。もちろん、言葉をかけたり体の痛みを取ったり、少しでもご飯食べられるようになど、治療の中でできることはいろいろあるし、やります。でもどうしても、もっと前からできることがあったんじゃないのかと思ってしまう。
“がんの山本さん”じゃなくて、山本さんには山本さんとして最期まで生きてほしい。だから暮らしの保健室をやっているんだと思います」
“山本さんが山本さんとして生きる”とは、誰かとの関係性のなかで生きる、ということでもあるのだろう。
カフェとどう違う?
ただ、暮らしの保健室では映画の話をしてもいいし、恋愛相談をしてもいいと聞くと、まちの寄り合い所や、公民館、コミュニティカフェなどの場所とどう違うのだろうと考えてしまう。
訪れる側としても、どんなときに訪れていいのか戸惑いそうだ。
そう率直に問うと、西さんはこう答えた。
「暮らしの保健室に来る方みんなが、今日はこれを話そうとか、この問題を解決したい、と明確な目的をもって来られる方ばかりではないんですよね。もちろんそういう人もいますが。コーヒーを飲んでぼーっとして、何も喋らない人もいて。その時はこちらもしゃべらないで待つ。そうして、2度3度と来られるうちにポツポツお喋りしたり、こちらもちょっと話しかけたり。『本当は最初からお話ししたいなと思っていたんですけど』、『そうだったんですね』と」
はじめは、訪れる人自身の中でもまだ言葉になっていない、どう相談したらいいかわからない何かがあって、でも時間をともに過ごす中で少しずつ見えてきたり、ひとことふたこと言葉を交わすだけで十分だったりする。
人には誰しもに「質問されたくはないけど、話したいことがあるものだ」と聞いたことがある。それを聞くためには、無目的に何度も会うしかないとも。
暮らしの保健室はそのきっかけの場にもなる。
「ほとんどしゃべらなくても、帰るときに『また来週』と挨拶すれば、一人になった時に、来週行くって約束したなと考えるじゃないですか。その時間は、もうその人にとって一人の時間じゃない。「僕らと会うために」が前提だから。もし、まちにふつうのカフェしかなかったら、その人は一人です。ひとりぼっちで自分のことを考え続けなきゃいけない。
だけど暮らしの保健室があれば、とにかくあそこには誰かいて話せるという状況がある。今週もちょっと顔だけ出してみようかな。話すとしたらどう喋ろうか、と考える時、その人はもう一人じゃなくて、想像の中に僕らが一緒にいるんです」
ああ……と思った。カフェで誰かと話すというとき、前提には無意識に同席する相手を想像していた。話せる相手がいる、もしくは、話さなくてもいられる場所があるだけですくわれるといった経験は、誰しもにあるのではないだろうか。
安心してひとりでいられる「保健室となり文庫」
一人でもこのまちに自分の「居場所がある」と感じてもらうためのもう一つの機能として、保健室から歩いてすぐに「保健室となり文庫」という図書室が設けてある。
誰でも訪れることができる場で、蔵書や寄贈本を元にした多くの本が並んでいる。
暮らしの保健室から歩いて数秒の場所にある「保健室となり文庫」
主に「社会的処方」「孤独・孤立」「まちづくり」「アート・文化」「生と死」などをテーマとする本が置かれている
年会費を払うと会員登録することができ、会員証の代わりに名前(ニックネーム)の入った「代本板」がもらえる。本を借りるときはこの代本板を代わりに指しておくしくみになっている。
「この場所も一つの接点になります。人とお喋りするほどエネルギーがないとか、それでも家に一人でいるのはしんどい時に、ここへ来て本を通じて人とつながっていることを感じてもらえるかなと」
ここの本には自由にラインを引いたり書き込みをしていいのだという。ある本を開くと、「人と会った日の帰り道は一1駅をふいに歩きたくなる」という文章に「わかる。同じような人、いますか?」という書き込みがあり、そのコメントに対してさらに「わかります!それで今ココにいます」と記してあった。
メッセージを読むと、この本を通じてここを訪れた別の人の存在を感じることができる。
書き込みのある本
名前入りの代本板
借りた本の代わりに代本版を指しておく
「名前も知らない誰かがまちの中にいて、自分が書いたことに対して反応してくれる。これもそうですね、これも」
さらにそのコメント読む第三者としても、自分以外の誰かの存在を感じることができる。
となり文庫の2階
すべてを保健室で解決するわけではなく、解決の方法を相談者と話しながら探したり、まちの人たちとつなぐなど、交通整理の役割を果たすこともある。
いまの時代、そもそも周囲の人たちと接点がなければ、お節介をしたくてもできない。
まちに知り合いが増えて、相談したり、ちょっとしたことを頼り合う仲になれば、今よりほんの少し暮らしやすくなるのではないか。
暮らしの保健室はそのきっかけをつくる入り口でもあり、まちの中に小さな“お節介のし合い”を増やすのが一つの理想なのだと西さんは話していた。
自然に任せていてはお節介どころか、挨拶し合う関係さえ生まれにくい社会。だから意図的に場をつくるしかないのかもしれない。「暮らしの保健室」はそのひとつの答えなのだと思う。
(*1)『在宅現場の地域包括ケア』秋山正子(医学書院)
(*2)『社会的処方』西智弘(学芸出版社)
●取材協力
暮らしの保健室・武蔵新城

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