私の勝手な妄想からオープンした『妄想食堂』。料理人でも料理研究家でもない私、尾仲好太が、これまで食べ歩いた店の味の中で「これが一番旨い」と思う“味の再現”を目指し、試行錯誤しながらアルバイト店員ユースケと今日も日替わり定食を作ります。
生姜焼きブルース
主人:今日は定食のド定番「豚の生姜焼き」を作るぞ。
ユースケ:いわゆる「ボークジンジャー」ってヤツですね。
主人:うわ、出た。最近の若い奴は、すぐカタカナにして。な~んか違うんだよ。生姜焼きは生姜焼きであって…
ユースケ:はいはい。で、今日の目指す味はどんな感じなんですか?
主人:俺が最も理想の味とするのは、東京北区・上十条にあった大衆食堂『ひだ』の「生姜焼き」なんだ。いわゆる街の人気食堂だったんだけど、2年前(2017年6月)に惜しまれつつ閉店したんだよ…それがな……
ユースケ:……店長、もしかして泣いてるんすか?
主人:いやいや、写真を見てるんだ。ほら。

ユースケ:なるほど。僕が知っているポークジンジャーとは、全然違いますね。
主人:だろ。皿の2/3を埋め作る山盛りの肉。
ユースケ:店長、そういう感傷的なことじゃなくて、使っている肉が違う気がするんですよ。ポークジンジャーは、厚切り豚ロース肉が2枚、3枚と並んでいて、タレがたっぷりかかっているイメージなんですけど。
主人:お、そこ! そこなんだよ。よく気がついたな。『ひだ』の生姜焼きの特徴は使用しているのが「豚肩ロース」というとこなんだよ。厚切りロースのタイプじゃないんだ。
ユースケ:なるほど。肉の部位が違うんですね。
主人:だから、君、豚肩ロースと醤油を買ってきてくれないか。
ユースケ:え~、そこからですか。
主人:俺は、どうも生姜焼きのタレの塩梅がまだピシッと決まらないから、少し一人で考えたいんだ…。

まさかのあの醤油でピタッと味が決まるとは!

ユースケ:店長、買ってきました~。豚肩ロースってメチャ安いんすね。厚切りロースは100g240円だったけど、豚肩ロースはその半分の値段(100g120円)で買えましたよ。

主人:そうだろ。だから、お客さんに同じ値段で倍の量を出してあげられるんだ。よし、作っていくぞ。まず、豚肩ロースは塩・胡椒をして5分ほどおいておく。
ユースケ:はい。ものすごく脂が出てきます。この脂は捨てますか?
主人:いやいや、その脂こそがタレの旨味の決め手なんだ。そこにタレの調味料(醤油とみりん、酒)を入れよう。
ユースケ:買ってきた醤油ですね。
主人:ん? これ「減塩しょうゆ」じゃないか? フツーの醤油の塩分が半分のやつじゃないか。
ユースケ:ほんとだ……。間違って買っちゃいました。フツーの醤油で良かったんすよね。すぐ買い直してきます。
主人:いや、まあいい。

主人:今回、目指している『ひだ』の生姜焼きは、タレをフライパンの中で煮詰めていくんだ。普通の醤油を使うと塩味が多く、味が詰まりすぎて、醤油(濃口)のカドが立ってしまうんだ。だから薄口を使ってみたんだけど、薄口の方は、色は薄いけど、実は塩分が多くて、ますますカドが立つ。
ユースケ:あの、すいません。醤油のカドってなんですか?
主人:醤油味がキツイ部分がトゲトゲしく出てしまい、まろやかさに欠けるってことかな。
ユースケ:では、醤油を少なくするとか、薄めるとかではダメなんですか?
主人:そう思うよね。今回も、フツーの醤油の量を少なくしたり、水で薄めてみたりしたんだか、どうも落ち着かない。感覚的な問題だけどね。
ユースケ:繊細っすね…。
主人:そうだな。料理は、1+1=2、2-1=1といったような単純な足し算、引き算では解決できないことも結構あるんだ。その場合の解決法は、旨いものとそうではないものを作り、食べ比べて、常にいい方を選んでいくしかないかもな。

主人:とにかくやってみよう。減塩醤油を使った調味料(減塩醤油、みりん、酒)を入れて、脂と馴染んだら、おろし生姜を入れてみてくれ。香りが大切だから、後に入れるんだ。そこから、フライパン内の水分がほぼなくなるまでじっくり火を通していくんだ。
ユースケ:火加減は強火のままで?
主人:いや火加減は少し落として中火でいい。
ユースケ:タレが蒸発してきました。
主人:よし、味を見てみよう………。
ユースケ:僕は美味しいと思いますけど、フツーの醤油を使ったバージョンと食べ比べてないからわからないです。店長はどうですか?
主人:これは奇跡かもしれない。
ユースケ:マジっすか?
主人:そうだな。料理の塩の塩梅っていうのは本当に難しい。好みもあるし。でも、間違いなく、塩が強すぎても弱すぎても旨くない。そして、作っている過程で塩味が強すぎちゃったから水を加えて薄めるって“料理あるある”の方法だけど、やっぱりそう言うことではないんだな。
ユースケ:つまり?
主人:ん?
ユースケ:俺が減塩醤油を買ってきたってことが正解だったんすよね。
主人:ただの怪我のなんとかだろ。功名だっけ?
ユースケ:「災い転じて福となす」「ひょうたんから駒」とか? 英語で言うなら「Lucky break(思わぬ幸運)」「by a fluke(まぐれあたりで)」ですかね。
主人:お前、ひょっとして頭いいのか…?
ユースケ:それより、このポークジンジャー、ものすごく簡単に作れたのに、肉が柔らかくて、タレがしっかり肉に染みていて、旨いっす。あんなに脂があったのにちっともしつこくなくて、あっさりしている。このジンジャーポークは、きっと店の看板メニューになりますよ。
主人:……だから生姜焼きだって。
ユースケ:今日もお客さんがたくさん来るといいですね。

●『妄想食堂』の「豚の生姜焼き」の材料(多めの1人分)
・豚肩ロース300g
・タレ:減塩醤油 大さじ1/みりん 大さじ1/酒 大さじ1/おろしショウガ 大さじ1~お好みで適量
(撮影・レシピ◎尾仲好太、編集・文◎土原亜子)
●プロフィール

尾仲好太(おなか・すいた)
『妄想食堂』の主人。知人からは超人の味覚、嗅覚、そして胃袋を持つと噂の一般人。旨い料理を食べる、作ることに日夜、妄想を抱き、実際に店を食べ歩き、家で再現する日々を送る。得意料理は、肉料理。