園部八奏が攻撃を貫いてグランドスラムジュニア優勝の快挙


左腕で振り切ったラケットから勢いよく飛び出すボールは、プロにも劣らないスピードと威力。17歳の園部八奏(そのべ・わかな/与野テニスクラブ)が、日本人女子としては56年ぶりにグランドスラムジュニア優勝を果たし、2月には世界トップ100の選手を3人破って女子ツアー本戦でも初勝利を挙げた。そんな初ものづくしを経験した数日後の2月初旬、園部は約3ヵ月ぶりに日本に帰国。
自身が育った与野テニスクラブ(埼玉県さいたま市中央区)を訪れ、クラブの会員やジュニアから祝福の言葉を受けた。昨年からの成長や全豪オープンジュニア、将来の目標について話を聞いた。

【動画】園部八奏、全豪オープンジュニア決勝&ツアー本戦初勝利のハイライト

「夢か…あんまり先のこと考えてないんです」

有望な選手に聞く、「将来の夢は何ですか?」とありきたりな質問をぶつけると、しばらく考え込みながらこう答えた。

よく「世界1位になりたい」「グランドスラム優勝したい」と言うものだが、園部は「10年後はテニスをやってるかもわからないし、5年後も考えたことがない」とし、今まで目の前のことだけ全力で取り組んできたと明かす。

その結果、今年1月の「全豪オープンジュニア」女子シングルス決勝、アメリカのクリスティーナ・ペニコバ(アメリカ)を6-0,6-1で撃破。日本女子としては、1969年に全仏オープンとウィンブルドンを制した沢松和子以来、史上2人目のグランドスラムジュニア制覇となった。

「前(昨年の全米オープンジュニア)は試合中ずっと緊張してて、思うようにプレーできなかったんですけど、全豪では最初の1,2ゲーム過ぎてからは緊張も何もなくて、いつも通りプレーできました」と淡々と園部は話す。

準優勝だった全米オープンジュニアの悔しさをバネに、オフシーズンではコート内での動きを強化。さらに、最近ではどうポイントを奪うのか考えるようになった結果だとした。

身長174センチ、スラっとした手足から繰り出されるボールは、プロに引けを取らないほど強烈。コート外で飄々と話す姿からは想像ができない。全豪オープンジュニア優勝後に行われた「ムバダラ・アブダビ・オープン」(アラブ首長国連邦・アブダビ/WTA500)は予選から出場し、トップ100との2試合を勝ち抜いて、ツアー本戦初出場を果たす。


本戦1回戦でもユエ・ユアン(中国/同51位)に勝利し、ツアー初白星。「去年は緊張で自分の思うようにできなかったんですけど、今年は予選1回戦から“ちゃんと勝った”みたいな。勢いだけで勝ったんじゃなくて、修正しながら勝てたので去年より成長したと思います」と胸を張った。

元世界2位のオンス・ジャバー(チュニジア/同35位)との2回戦では、堂々と渡り合うプレーを見せるも、ストレートで敗戦。

「自分の好きなラリー戦、打ち合いになったときはポイントが取れていたので、そこは通用していたかな」と手応えを語る一方で、「テニスのうまさでは相手のほうが圧倒的に上。予測しづらく、反応できないボールもあった」と、低く滑るスライスやドロップショット、ネットプレーを多用する技巧派との対戦でいい経験になったとした。

17歳 園部八奏、地元テニスクラブが自身の原点「好きなようにプレーして自分のテニスを伸ばせた」。夢はないが今年の目標は「プロで優勝」


地元テニスクラブで培った”テニスの楽しさ”が原点に


テニスを始めたのは4歳のとき。仲が良かった近所の家族ぐるみでテニスを始め、4歳上の兄が与野テニスクラブに移ったことで、園部も小学1年生の時に同じクラブで本格的にテニスへの上達のステップを踏み出した。同クラブの代表取締役兼コーチの大西亮氏は、「数人うまい子がいる中で(園部)八奏は飛び抜けていた」と当時を振り返る。

飛び抜けていたというのは、決してテニスが上手だったというわけではない。控えめながら、練習したことをすぐに吸収し実行。兄の練習が終わるまで1時間以上素振りするなどの負けず嫌いな一面もある。関東大会で何度も負けてしまうこともあったが、「そこまで打たなくても…」と思うほど攻めを貫く。
大西氏もそんな園部の飛び抜けた「意志の強さ」をなくすことはしなかった。

「ここにいるときはずっと楽しくテニスしていたんです。プレッシャーとか何も感じず、ただただ好きなようにプレーして、自分のテニスを伸ばせた。悩み事もなく、ずっと楽しいだけでここまでやってきました」(園部)

17歳 園部八奏、地元テニスクラブが自身の原点「好きなようにプレーして自分のテニスを伸ばせた」。夢はないが今年の目標は「プロで優勝」


勝負の世界に身を置きながら、今の結果が出ているのはテニスが楽しいものなんだと、与野テニスクラブで培った延長線上にあるとする。いわば自分の“原点”。1年に2度ほどしか日本に帰ってこないが、その時は決まって与野テニスクラブに立ち寄り、コーチや会員、ジュニアと話したり、打ち合ったりする。

それほどまでにテニスが好きになれたのは、ご両親の存在が大きいと大西氏は言う。園部のご両親は家族でテニスを始めるまで、“テ”の字も知らなかった。だからこそ余計な口出しをしなかった。

「本人は一生懸命やっていて、自分なりにその時はこれがいいと思って打っている。それに対して、なんでこうしたんだ、なんで負けたんだというのは言わないようにしました。勝敗はどっちでもよくて、八奏がちゃんと頑張ったんだと言えたらそれでいいというスタンス。
今は何か言おうものなら怒られちゃいますよ(笑)」(両親)

スポーツをしているうえで切り離すことができない勝ち負けだが、それにこだわることなく、のびのびとテニスを続けた。

才能が開花したのは2021年。それまで全国大会ではベスト8が最高成績だったが、コロナ禍で大会が次々となくなる中、2021年に全国選抜ジュニア14歳以下とRSK全国選抜ジュニアの2つの全国タイトルを獲得。そして、翌年に錦織圭や西岡良仁らと同じく盛田正明テニス・ファンドの支援を受け、IMGアカデミーへテニス留学することを決断した。

世界で活躍する選手に憧れ、海外で腕を磨きたいとテニス留学を視野に入れる選手は多い。一方、異国の地での生活や言語、指導法が一変することから自身のテニスを見失ってしまう選手も少なくない。その点で園部の助けになったのは、小学1年生から成長を見届けてきた大西氏と、現在のコーチである弘岡竜治氏の交流が昔からあったことだ。

大西氏は、埼玉の名門・浦和学院高校出身でジュニア時代から知っている弘岡氏に、「(園部は)テニスコートでのことは大丈夫。だけど、それ以外の部分で生活が慣れるまでサポートしてほしい」と連絡。園部のテニスに対しての取り組みや純粋さ、穏やかで人見知りの性格を伝えた。弘岡氏も大西氏の意図を汲んで、家族の一員のように迎え入れてコート内外を問わずサポートした。

テニス以外は寮にいるというインドア派の園部自身も「正直、IMGアカデミーのご飯は特別おいしいわけじゃない。
土日にコーチの家に行ってご飯を食べさせてもらったり、リフレッシュできるのはすごいありがたい」とこの3年間を振り返った。

「プロになりたいと思ったことがない」園部の今年の目標はプロで初優勝


すでにプロへの歩みを始めており、ジュニアの大会はグランドスラムなどに絞って、今後はプロの大会に出場。ツアー下部をメインにし、ワイルドカード(主催者推薦)をもらえれば、3月下旬に行われるWTA1000マイアミに挑戦してランキングを上げていきたいとする。

「プロになりたいと思ったことがない。あんまり先のことは考えてないんです。次の試合を1戦ずつ戦っていければ」と欲はないが、今年中にプロの大会で優勝するのが目標。プレースタイルは変えずに、今は自分の武器だとするフォアハンドを構えるだけで相手が怖気づくようにすること、そしてサーブからの3球目攻撃の精度を磨いていきたいとした。

ご両親曰く、「ガッツポーズをするようなタイプではない」。それが、全豪オープンでは要所でコーチに目を配り、控えめながらガッツポーズを作る。家族から見ると、「最大限喜んでいる」と感情を出すようになったと感じるらしい。聞けば、「自然に出てくるようになった」と彼女が教えてくれた。もしかしたら弱肉強食の世界で戦う17歳の覚悟の表れなのかもしれない。


17歳 園部八奏、地元テニスクラブが自身の原点「好きなようにプレーして自分のテニスを伸ばせた」。夢はないが今年の目標は「プロで優勝」

全豪オープン決勝、チャンピオンシップポイントでボレーを決めると、コーチや家族に向けて控えめなガッツポーズを作った園部八奏

園部八奏(そのべ・わかな)
●生年月日:2008年1月17日
●名前の由来:IMGアカデミーへの渡米直前に数字の8を横にしたときに似る“無限”を意味する「∞」のチャームがついたネックレスを家族からプレゼントされた。この時、無限に奏でてほしいという願いが名前の由来だと思ったそうだが、ご両親は縁起の良い末広がりの「八」と、世に良い影響を「奏」でてほしいことから名付けたという。
●ラケット:ウイルソン ウルトラツアー100
●ストリング:ルキシロン アルパワー125×ルキシロン エレメント125(46ポンド)
●ウェア:ミズノ
●シューズ:ミズノ
●憧れの選手:ペトラ・クビトワ(チェコ)
●練習時間:IMGアカデミーでは、平日午前に3~4時間の練習、午後に2時間の練習と1時間のフィジカルトレーニング。土曜日は午前だけ練習し、日曜日はオフ

17歳 園部八奏、地元テニスクラブが自身の原点「好きなようにプレーして自分のテニスを伸ばせた」。夢はないが今年の目標は「プロで優勝」
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