立会川駅を出ると高架線ですが地形に合わせているのか微妙にアップダウンしています。右側に不思議な露台の様なものがあって建設機械の様なものが置かれていました。
上りホームに降りて浦賀駅方面を見ています。この日はこの駅て撮影を最後にしました。かなり夕方になってきているのが分かります。

こちらは品川駅方面。

駅名標。1901年(明治34年)京浜電気鉄道の大森停車場前~六郷橋駅間が開業した際に八幡駅として設置されました。

予定通り副駅名が追加されていました。確認の撮影に行ったのは2020年3月25日です。慌てて撮ったので同じ駅名標でないのが失敗でした。

改札口。天井と足下に丸いアクセントがあって面白いですね。

駅出入口。

駅出入口は、大森海岸通りに面しています。すぐ東側は第一京浜。

駅舎の駅名標は変化なしでした。副駅名のしながわ水族館の案内看板。コロナ・ウィルスの感染予防で水族館は3月3日(火)から3月31日(火)まで臨時休館と貼ってあります。緊急事態宣言も出ましたからゴールデン・ウィーク明けまではお休みかな。

第一京浜を渡って北に500mちょっとで鈴ヶ森刑場跡があります。第一京浜が建設されたためにオリジナルの刑場が作られた場所ではありません。

仲の良い牧師が山谷労働者福祉会館の教会(伝道所)で説教するのにつきあった事があります。その時にJR常磐線南千住駅で降りて小塚原刑場跡の首切り地蔵を見てきました。江戸の仕置き場(刑場)は小塚原と鈴ヶ森の2ヵ所。ということで鈴ヶ森刑場跡まで歩いてきました。拷問や刑罰が好きなワケでは全くありません。むしろ痛いのは想像するのもイヤ。スプラッター映画は何よりも嫌いです。
右に火炙(ひあぶり)台。八百屋お七などの処刑者はこの石の穴に立てた鉄柱に縛られ足下には薪が積まれ生きたまま焼き殺されました。
左は、磔(はりつけ)台。穴に角柱を立て罪人は上部に縛り付けられ刺殺されました。台は両方とも(たぶん)オリジナルですが、元々置かれていた場所から移動されているのがせめてもの「救い」という気分です。

右手前は「水難者供養塔」鮫洲駅で訪ねた八幡神社のあった御林の漁業関係者が建てたものです。奥の塔には「一切業障海皆従妄想生」と刻んであります。法華経の結語だったかな「あらゆる苦しみは妄想の虜になることから生ずる」という意味です。正面には「南無妙法蓮華経」と彫られていました。

関東大震災によって殃死(一般的には横死です)した死者を供養する塔。左奥には六十六部供養塔があります。「ふるさとへ廻る六部の気の弱り」という川柳を思い出しました。全国六十六ヵ所の霊場に法華経を納めて祈願する巡礼を六部と呼んだのです。

この場所は、鈴ヶ森刑場で刑死した人たちを鎮魂するだけではなく、様々な供養塔などの集積場所になっている様でした。
寿命を全うして死ぬことと横死、刑死は死の意味が違うのです。筆者は宗教者ではありませんが先述の様に牧師・神学者に友人が多く、西洋美術史を学んでいた関係でキリスト教にはいささか詳しいです。
余談でした。刑場跡を見た凄惨な気分が少しは和らぎましたか?
【駅ぶら03】京浜急行14 に続きます。
(写真・記事/住田至朗)
「【駅ぶら03】京浜急行」一覧