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※2020年8月撮影

トップ画像は、福川駅出入口。駅は無人化されています。

現在使われているのは、駅出入口庇の幅の部分だけです。横に長い駅舎のごく一部。かつて貨物取扱で駅が隆盛していた頃は、この大きさの駅舎が必要だったのでしょう。

上りホームから駅舎。手前の切妻はホーム上屋のものですね。木造駅舎はその下の壁面からです。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

改札口。切符を回収する箱があるだけです。その部分の柱が木造駅舎らしいですね。駅名標は上りホームなので新南陽駅側に矢印がついています。隣駅の「へた」は戸田駅です。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

駅舎内から改札口。

時刻は10時10分。昔の腕時計の広告写真では、必ずこの時間を指していたものでした。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

2005年(平成17年)無人駅になっています。それから15年経ちますが幸い窓口はそのまま残されていました。この駅も足もとに駅の石版が埋め込まれています。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

福川駅の石版。森と川? テトラポットと海? 海中の貝? 図像がヨク分かりません。このエリアの特産品はフグだそうです。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

JRきっぷ運賃の案内板。山陽本線は、いよいよ新下関まで表示されています。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

椅子の並ぶ待合室。右のホーム側を向いています。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

駅出入口。壁面に余計な装飾はありません。スッキリしています。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

駅出入口の正面。小さな駅前ロータリーの向こうに県道347号線、まっすぐ進めば国道2号線に突き当たります。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

右(東)側。右の門、入るとホームに平行する北側に見えた白い建物があります。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

西側は駅の南側に行ける跨線橋です。自転車も通れる様ですね。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

駅舎を東側から。先ほどの会社の門があってこれ以上は東には行けません。ロータリーの丸い植栽に石碑があるので見に行きました。

「新南陽市民憲章」でした。1970年(昭和45年)に南陽町の市制施行で誕生した新南陽市(山形県に既に南陽市が存在したため「新」が冠されました)です。2003年(平成15年)に徳山市、熊毛町、鹿野町と合併して周南市となり新南陽市は消滅しています。市が無くなってから17年も経っていますよ。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

西側から。左の駅出入口と似た庇が右にもあります。シャッターは閉まっていますが、かつては人の出入りする窓口か何かがあったのでしょうか。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

東側は駅舎の横まで行けました。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54
※2020年8月撮影

福川駅の木造駅舎は、正直言って何処かしら茫洋とした、つかみ所のない印象でした。

福川駅 印象がどこか茫洋として【木造駅舎巡礼02】山陽本線44/54

※2020年8月撮影

では残り少なくなってきた山陽本線の木造駅舎を回ります。

※全ての木造駅舎を網羅しているワケではありません。筆者が恣意的に駅を選んでいます。

【木造駅舎巡礼02】山陽本線45 に続きます。

(写真・文章/住田至朗)

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