今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクショ...の画像はこちら >>

※2022年8月撮影

トップ画像は、JR四国予讃線伊予富田駅。駅にアクセスする道路から。

左手前に「大東亜戦争記念」という石碑があります。反対側には「昭和十六年十二月八日」と彫られていました。

1941年12月8日は、言うまでも無く日本帝国海軍がハワイ真珠湾の米国太平洋艦隊を奇襲攻撃した日です。何故、ここにこの様な碑があるのかは分かりません。

駅舎正面。瓦屋根の木造駅舎です。残念ながら外壁は白い新建材で改修されていました。キレイですが瓦屋根と若干アンバランスな印象を受けます。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

駅舎は予讃線の西側、山側にあります。駅前には自転車が駐められています。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

北側から。こちら側に駅の駐輪場があります。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

駅出入口。建物財産標は見つけられませんでした。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

待合室に入りました。無人駅ですが窓口は残っています。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

壁際に木製ベンチがならんでいます。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

ホームは相対式、駅舎は下りホーム側にあります。上りホームの駅名標。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

駅は、1924年(大正13年)開業。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR四国の駅になりました。

松山行下り電車が来ました。奥の構内跨線橋で上りホームに渡ります。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

跨線橋から高松方面。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

跨線橋から駅舎と松山方面。奥に今治市街があります。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

上りホームの待合室から。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

上りホーム待合室の壁面に古い駅名標がありました。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

この日は、朝イチの津島ノ宮駅から始まって14駅を撮影。日影の少ないホームをウロウロして、構内跨線橋を往復したのが8駅。凄まじく暑い日でしたからTシャツは塩を噴いて白くなっていました。翌日から白地のモノを着ることにしました。(笑)

写真は、宿泊した今治のビジネスホテル前にあった6mもある巨大なスクリュー。

今治駅の隣駅 JR四国予讃線 伊予富田駅【木造駅舎コレクション】20
※2022年8月撮影

今治市公会堂の横に今治造船(株)が2013年(平成25年)に寄贈したコンテナ運搬船(8万8千トン)の巨大スクリュープロペラ。93トンもある様です。いったいどうやって運んで来たの?

☆ あ そうでした・・・

Merry Christmas !

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などはJR四国さんの許可をいただいて撮影しています。

※駅などについては『JR全線全駅』(弘済出版社/1997)、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地01-60』(朝日新聞出版/2012-2013)、『山陽・四国920駅』宮脇俊三・原田勝正編(小学館/1993)、『停車場変遷大事典 国鉄 JR編1-2』(JTBパブリッシング/1998)他を参照しています。

※タイトルは『木造駅舎』ですが、厳密に「構造として木造建築」の駅舎ではなく、筆者が気に入った駅舎を恣意的に選んでいます。明らかに木造建築と異なる場合でも、煩雑を避けるためタイトルは【木造駅舎コレクション】で進行します。悪しからずご了承ください。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいています。

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