つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりですの画像はこちら >>

※2025年6月撮影

では【駅ぶら】を再開します。

今回は、2025年8月、開業20周年を迎えるつくばエクスプレスです。

秋葉原駅からつくば駅までの20駅を コンパクト・デジタルカメラ片手にのんびり歩きます。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

では、散歩の前に、つくばエクスプレスの簡単な歴史。

1985年 運輸政策審議会が常磐新線(後のつくばエクスプレス)を都市交通対策上、喫緊の課題と答申。

1989年「大都市地域における宅地開発及び鉄道整備の一体的推進に関する特別措置法(一体化法)」制定。施行されました。

1991年 首都圏新都市鉄道株式会社設立。株主は、東京都、埼玉県、千葉県、茨城県他、沿線の自治体、民間企業などです。

1992年 同社 鉄道事業法に基づく「第一種鉄道事業」免許取得。

2001年 公募により鉄道路線の名称が「つくばエクスプレス」に決定。

2005年8月 開業。

その前史として1960年代、国によって筑波研究学園都市建設が構想され1980年に研究学園都市が整備されました。1985年には国際科学技術博覧会(通称:科学万博)が開催され商業施設を含む住環境の都市化が進みます。

筑波大学、筑波技術大学などをはじめ、内閣府の国立公文書館(つくば分館)、多くの国立研究開発法人や民間の研究所が約300あり、1万数千人の研究者が集まっています。

つくばエクスプレスも順調に業績を伸ばしました。2010年には「1日当たり平均輸送人員27万人」、経営的にも経常黒字を達成。開業10周年の2015年には、累計輸送人員が10億人を突破。2020年には、最新型のTX-3000系が営業運転を開始。TX-3000系は、同年のグッドデザイン賞を受賞。

一方、新型コロナ・ウィルス感染拡大で、急速に落ち込んだ1日当たり平均乗車人員も2024年度には2019年度を超えて伸張しました。

そして2025年、開業20周年を迎えました。

また、つくばエクスプレスは中期経営計画で、混雑緩和対策として8両編成化事業を推進しています。駅ホームの延伸工事も2023年度で都内6駅が完了。引き続き忌憚樹液にてホーム延伸工事が行われています。

筆者は、三浦半島から横須賀線、東海道線、山手線を乗り継いで秋葉原駅に到着。

大船駅から京浜東北線に乗り換えてそのまま秋葉原駅という方法もありますが、時間がかかります。東海道線に乗り換え新橋駅で、山手線に乗れば20分ほど早く着くのです。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

駅の東側は電気街ではなく、1970年代、筆者がオーディオ機器を見に通ってていた頃は「やっちゃば(神田青果市場)」が広がっていました。駐車場に使われていたので、重いオーディオ機器を持って「やっちゃば」の中をウロウロした記憶があります。

その頃は「秋葉原が日本一の電気街」で、秋葉原に来れば各オーディオメーカーのあらゆる機材が揃っていました。

その後、大型家電量販店が台頭。問屋を通さずメーカーと直に取引することで販売価格がコントロールされる様になります。問屋を通す一般の家電販売店は、経営がむずかしくなりました。

余談ですが、メーカーの宣伝部に在籍していた時代、筆者がイベント・ブースに立っていると、頻繁に電気屋の店主さんから「ウチの仕入値よりもヤ〇〇デンキの店頭価格の方が安いけれど、どうなっているんだ!」とねじ込まれました。宣伝部には、如何ともし難いのです。

秋葉原電気街は、徐々にパソコンの街に変貌していきました。PCゲーム市場も隆盛、アキバは「オタクの街」になっていったのです。

1980年代末に 秋葉原駅東側の「やっちゃば」が移転しました。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

1995年には「Windows 95」が発売されパソコンブームになりました。

20世紀でオーディオ・ブームも終焉してしまいました。

では、秋葉原駅の西側に進みます。右につくばエクスプレスの「TX PLAZA 秋葉原」(11:00~19:00 正月元旦のみ休業)があります。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

「東京観光案内窓口」としても利用されています。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

店内には「つくばエクスプレスのグッズ」が列んでいます。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

ぬいぐるみや駅名キーホルダーがたくさんありました。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです

※2025年6月撮影

TX-3000系の下敷きなどもあります。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

つい、買ってしまいそうになるのを、グッと我慢して「TX PLAZA 秋葉原」をあとにします。

東側に戻って大型量販店の方に渡ります。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

この日は最高気温が35℃近くありました。

日なたは、激暑い!

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

木陰に入るとホッとします。【駅ぶら】撮影に必要な暑さ対策を考えています。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

北に進行。この道路の下につくばエクスプレスが通っています。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

左に何かあります。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

千代田区の町名由来板です。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

「練塀町」とあります。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

内容を写します。

「練塀(ねりべい)とは、瓦と練土を交互に積みあげ、上を瓦で葺いた土塀のことです。瓦と土の織りなす縞模様が美しい塀で、関東ではとくに武士たちに好まれていたようです。

江戸時代のこの界隈は、練塀が一帯に広がる武家地でした。ことに南北に神田から下谷まで通じる道には、立派な練塀の屋敷が多かったため、「下谷練塀小路」と呼ばれていました。

古い資料を見てみると「町の南隅の河野某の屋敷の練塀が立派だった」とあります。

〈中略〉

練塀町が正式な町名になったのは、明治五年(1872)のことです。明治十一年(1878)、町はいったん下谷区(現在の台東区)に編入されます。その後、昭和十八年(1943)に、南半分が神田区に編入され、昭和二十二年(1947)、千代田区ができたときに神田練塀町になりました。

さて明治二十三年(1890)、町内に国鉄の秋葉原(あきはばら)貨物駅ができ、おもに東北地方からの物資の受け入れ口になりました。大正十二年(1923)の関東大震災後に、町の西部に神田青果市場が移ってくると、練塀町は東京の物流拠点のひとつになりました。

平成十七年(2005)には常磐新線が完成し、電機の町はさらに大きな変貌(へんぼう)を遂(と)げました。

平成十八年三月        練塀町 町会」

やはりこの一帯は「やっちゃば/神田青果市場」が広がっていたのでした。

界隈地図をアップでご覧ください。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

平成18年は、2006年。約20年前。正につくばエクスプレス開業直後の町名由来板です。

個人的には、西暦で記して欲しいといつも思います。咄嗟に何年前か分からないのです。

さて、暑いですが秋葉原駅の西側に行ってみましょう。

つくばエクスプレス【駅ぶら】001 秋葉原は久しぶりです
※2025年6月撮影

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などはつくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道株式会社)の許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

首都圏新都市鉄道株式会社 会社要覧2024

るるぶ情報板関東31 つくばエクスプレス JTBパブリシング 2025年5月1日

つくばエクスプレス沿線アルバム 生田誠 山田亮 アルファベータブックス 2023年8月5日

つくばスタイル No.12 枻出版 2011年4月10日

つくばエクスプレス 最強のまちづくり 塚本一也 創英社 2014年10月23日 他

編集部おすすめ