※2025年6月撮影
トップ画像、南千住駅から回向院の前を通り、延命寺で首切地蔵を拝んで、隅田川貨物ターミナルへの貨物線を跨線橋で越えて地上に下り貨物線の横を西に歩いています。頭上を東京メトロ日比谷線の高架が横切っています。
目指していた浄閑寺に到着。南千住駅から1km強でした。

山門に元禄と刻まれたお地蔵さまと延命寺にもあった「あらかわの史跡・文化財」のパネルがあります。

パネルの内容を写します。
「投込寺 浄閑寺
浄間寺は浄土宗の寺院で、栄法山清光院と号する。安政2年(1855)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれるようになった。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。
檀徒の他に、遊女やその子供の名前を記した、寛保3年(1743)から大正15年(1926)にいたる、十冊の過去帳が現存する。
遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れている。「今の世のわかき人々」にはじまる荷風の詩碑は、このような縁でここに建てられたものである。
荒川区教育委員会」
筆者は、前にも書きましたが荷風散人の随筆を愛読しています。このお寺には荷風の詩碑があるので、見に来ました。

お寺の方に撮影とコラム掲載の許可をいただいて、荷風詩碑の場所を教えていただきました。
こちらが荷風詩碑。

書架の荷風全集11巻から詩碑に刻まれている「偏奇館吟草」の「震災」を写します。
「今の世のわかき人々
われにな問ひそ今の世と
また来る時代の藝術を。
われは明治の児ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり。
団菊はしをれて桜癡は散りにき。 ※下に注記
一葉落ちて紅葉は枯れ
緑雨の声も亦絶えたりき。
円朝も去れり紫蝶も去れり。
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは明治の児なりけり。
或年大地俄にゆらめき
火は都を燬きぬ。
柳村先生既になく
鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残烟となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の藝術を。
くもりし眼鏡ふくとても
われ今何をか見得べき。
われは明治の児ならずや。
去りし明治の世の児ならずや。」
※注記 文中の言葉を説明します
団菊 /市川団十郎(9代目) 尾上菊五郎(5代目)
桜痴 /福地桜痴(1841-1906)政論家 劇作家 小説家
一葉 /樋口一葉(1872-1896)小説家
紅葉 /尾崎紅葉(1867-1903)小説家
緑雨 /斎藤緑雨(1867~1904)小説家 評論家
円朝 /三遊亭円朝(1839-1900)落語家
紫蝶 /富士松紫朝(1826-1902)新内 音曲 都々逸の名跡
柳村 /上田敏(1874-1916)評論家 詩人 翻訳家 訳詩集『海潮音』(1905)
鴎外 /森鴎外(1862-1922)小説家 評論家 翻訳家 陸軍軍医 官僚
永井荷風は、上田敏と森鴎外の推挙で慶応大学教授になっています。
さて、樋口一葉、尾崎紅葉。筆者は岩波文庫で読みました。しかし福地桜痴、斎藤緑雨は読んだコトがありません。『海潮音』は新潮文庫が書架にあります。鴎外先生は、ちくま文庫版の全集を読んでいます。
閑話休題。
詩の後には 以下が刻まれています。

「明治・大正・昭和三代にわたり詩人・小説家・文明批評家として荷風永井荘吉の日本藝林に遺した業績は故人歿後××(字を知りません たぶん 益々)光を加へその高風亦やうやく弘く世人の仰ぐところとなった 谷崎潤一郎を初めとする吾等後輩42人故人追慕の情に堪へず故人が生前「娼妓の墓亂れ倒れ」(故人の昭和12年6月22日の日記中の言葉)てゐるのを悦んで屡々杖を曳いたこの境内を選び故人ゆかりの品を埋めて荷風碑を建てた
荷風死去4周年の命日
昭和38年4月30日
荷風碑建立委員會」
すみません、旧字で読めない文字がありました。
詩碑の足元に、荷風の筆などを収めた小さな塚があります。

浄閑寺を後にします。

国道4号線に出ました。

観光案内図。これを見て、道に迷ったというのは、暑さでアタマがボ~ッとしていたにしても「地図が読めない」にも程があります。

「土手通り」に行きたかったので明治通りの方に左折しなければいけません。しかし筆者は、何を血迷ったのか、国道4号を直進したのです。

500メートル程歩いた辺りで、流石に、「こりゃ おかしい」、と手元の小さなマップを見て気付きました。ガソリンスタンドがあったので、道を尋ねたら「方向が違うよ」と言われて「土手通り」には、「手前の道路を道なり」と教えてもらいました。
怪我の功名でしょうか、道に迷ったおかげで、予定に無かった「千束稲荷神社」を見つけました。「樋口一葉の名作「たけくらべ」ゆかり千束稲荷神社」と書かれています。

ちなみに、筆者が如何に極端に道を間違えて千束稲荷神社にたどり着いたか分かる様にGoogle mapに黄色いラインで歩いた跡を示しました。出発点は、浄閑寺。本来なら緑のラインに行く予定だったのです。

千束稲荷神社に御参りします。

千束稲荷神社のサイトには「樋口一葉の名作『たけくらべ』は当神社の祭礼が舞台の一つになっており、『たけくらべ』ゆかりの神社として境内には樋口一葉の文学碑も建立されています」とあります。

像の脇のパネルには以下の様に書かれています。
「正面碑文
明日ハ鎮守なる千束稲荷神社の
大祭なり今歳は殊に
にぎわしく山車などをも引
出るとて人々さわぐ
樋口 夏
樋口一葉「座中日記」明治26年8月19日 一葉の自筆 (樋口陽氏所蔵)
一葉は明治26年7月に滝泉寺町に転居し10ヶ月余りを過ごしました。
そして生活や町の様子を日記に書き、名作「たけくらべ」に描きました。」
宮司の松木様と名刺の交換をして、コラムの企画を説明。
その時に道に迷った、という話をして「暑いから気をつけて」と励まされました。
御礼を言って千束稲荷神社を後にして、ようやく「土手通り」に来ました。

またまた長くなってしまうので、次回に続けます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などはつくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道株式会社)の許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
首都圏新都市鉄道株式会社 会社要覧2024
るるぶ情報板関東31 つくばエクスプレス JTBパブリシング 2025年5月1日
つくばエクスプレス沿線アルバム 生田誠 山田亮 アルファベータブックス 2023年8月5日
つくばスタイル No.12 枻出版 2011年4月10日
つくばエクスプレス 最強のまちづくり 塚本一也 創英社 2014年10月23日 他