※2025年6月撮影
トップ画像は、吉原神社。「一葉記念館」から400メートルくらいでした。
とにかく驚いたのは、日本人のツアー団体がたくさんいたことでした。高齢者の方がほとんどで、ガイドの説明を聞いて、ゾロゾロと次の場所に移動します。それが、次から次に訪れるので、境内は満員状態。
ツアー団体の隙間を狙って撮影しましたが、次から次にツアーが来るのでした。

おちついて撮影できる状態ではありません。
日を改めて出直しました。しかし7月に梅雨が明けたら連日猛暑日。つくばエクスプレス浅草駅からの方が近いのですが、それでも1km以上あります。流石に炎天下歩いて往復するのは無謀なのでタクシーで来ました。運賃は、600円ほどでした。

吉原神社の紹介パネルがあります。
ここでは、吉原神社のサイトを参照します。

そもそも吉原の簡単な成り立ちから。
吉原遊郭は元和3年(1617)、徳川幕府の許可で江戸市中に散在していた遊女屋を現在の日本橋人形町周辺に集めたことが始まりでした。
その地に葦(よし)が生い茂っていたので「葦原」、転じて「吉原」と呼ばれました。しかし、吉原遊女街が徐々に江戸市中の中心地になっていったため、明暦3年(1657)当時竜泉寺村だったこの地域に移しました。日本橋にあった遊女街は「元吉原」、移転後のこちらは「新吉原」と呼ばれました。
「新吉原」には郭を守護する5つの稲荷神社がありました。入口である大門の手前に「徳稲荷社」、郭の四隅に「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」がお祀りされていました。
明治14年(1881年)5つの稲荷社が合祀され吉原神社として大門の吉徳稲荷社の旧地に祀られました。しかし関東大震災で焼失。仮社殿を経て昭和9年(1934年)現在の場所に新社殿が造営されて祀られました。その際に新吉原に隣接していた花園池に鎮座する吉原弁財天も合祀されました。
昭和20年(1945年)に空襲で焼失。
お手水で手口を浄めます。右下の大きな石は久保田万太郎の句碑。(この里に おぼろふたたび 濃きならむ 万)

末社「お穴さま」

立札には「此処の地中には神社の土地をお守りする神様がおられます。心をこめてお詣りすると必ず福が得られると伝えられ大切にお護りしております。」
6月には無かった「九郎助稲荷 神狐像」がまだ木板に覆われていました。7月24日奉納除幕式。

脇の立札の内容。
「神狐(しんこ)はお稲荷さまのお使いです。お願い事を伝えれば、お稲荷さまに届けてくださいます。また古くは、九郎助稲荷に対して「おめでとうございます」と声をかけてからお参りしました。
現在でも心願成就・縁結び・開運・幸福のご利益を授けてくださることでしょう。
この神狐像は NHK大河ドラマ「べらぼう」に九郎助稲荷が登場したことを記念して氏子有志の方々より奉納されました。ここに深く感謝申し上げます。 令和7年7月吉日」
では6柱の神様にご挨拶します。

社殿横に「見返り柳」。

社殿の奥に宝物殿でしょうか。綺麗に彩色されています。

吉原神社から100メートルほどで、新吉原花園池跡です。ここに吉原弁財天本宮社殿があります。

緑豊かで炎暑の中、ホッとします。

台東区教育委員会の案内パネルがありました。

内容は以下です。
「新吉原花園池(弁天池)跡
台東区千束3丁目22番
江戸時代初期までこの付近は湿地帯で、多くの池が点在していたが、明暦3年(1657)の大火後、幕府の命により、湿地の一部を埋め立て、日本橋の吉原遊郭が移された。
遊郭造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、遊郭楼主たちの信仰をあつめたが、現在は浅草七福神の一社として、毎年正月に多くの参拝者が訪れている。
池は、花園池・弁天池の名で呼ばれたが、大正12年の関東大震災では多くの人々がこの池に逃れ、490人が溺死したという悲劇が起こった。弁天祠付近の築山に建つ大きな観音像は、溺死した人々の供養のため大正15年に造立されたものである。昭和34年吉原電話局(現在の吉原ビル)の建設に伴う埋立工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなった。
平成10年3月 台東区教育委員会」
これが関東大震災の際、弁天池で溺死した490人を供養するために大正15年に建立された観音像。

築山の上にあって、かつ大きいのでカメラを引ききることができません。別の角度から。

吉原弁財天本宮にお詣りします。鳥居の右、社殿白壁の壁画は、東京藝術大学学生さんによるもの。

「弁天赤富士の滝」。聞こえるのは、清涼な水音。

足元の池には、巨大な錦鯉。

参拝の方が多くなかったのでゆっくりお詣りして、写真が撮れました。流石に気温35℃以上の猛暑日に歩き回っている方は少ない様です。(笑)
筆者もタクシーをつかまえて、浅草駅に戻りました。
しかし、まだ南千住駅【駅ぶら】はお仕舞いではありません。
次回は耕書堂に行きます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などはつくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道株式会社)の許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
首都圏新都市鉄道株式会社 会社要覧2024
るるぶ情報板関東31 つくばエクスプレス JTBパブリシング 2025年5月1日
つくばエクスプレス沿線アルバム 生田誠 山田亮 アルファベータブックス 2023年8月5日
つくばスタイル No.12 枻出版 2011年4月10日
つくばエクスプレス 最強のまちづくり 塚本一也 創英社 2014年10月23日 他