2014年にバルセロナからチェルシーへ移籍したセスク photo/Getty Images
返事がなかったと主張
当時アーセナルのファンにとって、彼の決断はこの上ない“裏切り行為”だったと言えるだろう。自身の夢を追ってクラブを去ったにもかかわらず、わずか3年でその夢に区切りをつけライバルクラブへ移籍。
2003年から8年間にわたってアーセナルでプレイたセスク。在籍時には主将も務め、誰もがこの男こそ未来のガナーズを担う存在と信じて疑わなかった。ところが2011年、バルサカンテラ出身であることからセスクは古巣への復帰を熱望。周囲の反対を押し切ってバルセロナへの移籍を決め、アーセナルのファンから「スネーク(裏切り者)」の烙印を押されることとなった。
それだけならまだよかったかもしれない。だが、セスクはその3年後の2014年、あろうことかバルセロナからアーセナルの宿敵チェルシーに移籍したのだ。バルサ在籍時には「プレミアに復帰するなら選択肢はアーセナルのみ」とまで発言した男がまさかの裏切り。ノースロンドンの人々が怒り狂ったことは容易に想像できるだろう。
セスクは2011年までアーセナルでプレイした photo/Getty Images
しかし、セスクの主張通りならアーセナルのファンは彼をそこまで恨むことはできないかもしれない。同選手は英『Arsecast』のインタビュー内で、どうして当時チェルシーへの移籍を決断したのかについて話しているが、どうやらその理由はセスク側の問題ではなかったという。
「僕がバルセロナを去ると決めた時、アーセナルは最初の選択肢だったんだ。僕は彼らが自分を望んでいるかどうかを確認するために、他のクラブと交渉することなく1週間待ったよ。でも、アーセン(ヴェンゲル)からの返事はなかったんだ。間違いなく最優先だったのにね。心の中ではアーセナルへ行くつもりだったし、それは僕自身が求めていたことでもあった。でも連絡が返ってくることはなかったね。返事をくれって思ったよ」
「その後はマンチェスターの2クラブと交渉してからモウリーニョとも話した。チャンスを逃したくなかったからね。モウリーニョと話した後は部屋を出た瞬間に『他の交渉はどうでもいい。チェルシーに行く』って思ったね。彼は自分が作りたかったチームや、その中で僕をどう活かすかについていろいろ話してくれたんだ。まさに求めていたことだったね。
アーセナル復帰を最優先に動いたものの、ヴェンゲル元監督からのレスポンスがなかったとセスクは主張している。そこに現れたのが当時チェルシーで指揮官を務めていたモウリーニョだったとのことだ。
当時サッカー界に激震が走ったセスクのチェルシー移籍。思い入れが強いだけにいまだ恨んでいるアーセナルのファンも少なくないだろうが、そろそろ怒りを収めてもいいのかもしれない。
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