インテルでプレイしていた頃のポール・インス photo/Getty Images
言語の問題には苦しんだようだが
マンチェスター・ユナイテッドやリヴァプールなどでプレイした元イングランド代表MFポール・インス氏はインテルでの2年間が一番良かったと語った。
ウェストハムでプロキャリアをスタートさせ、その後ユナイテッドへ移籍した同氏は同クラブで通算281試合に出場し、29ゴール19アシストを記録。
そんなインス氏は1995年に国外挑戦を決断。イタリアの強豪インテルへ移籍することになったが、セリエA挑戦はキャリアの中で最高の決断だったと振り返った。
「そもそも、移籍は私の選択ではなかった。しかし、一度決心して、インテルと話し合った後、戻ってくることは決まっていた。それでも、いつも不安はあった」
「今は状況が違うと思う。若い選手たちがイタリアやドイツに行くケースが多いのは、誰もが英語が話せるようになったからだ。私がイタリアに行った90年代はみんなイタリア語を話していた。そのため、その言語を学ばなければならなかった」
「私はダゲナム出身で学校に通ったことのない、頭の悪い子供だった思っている。すぐイタリアに行ってイタリア語を勉強し始めなければならない。だから、妻とトーマスが2歳の頃、いつもその心配があった」
「でも、そこに着いてみると、すべてのクラブの中で一番良かった。今までで一番良い移籍だった。
言語の心配はあったものの、いざインテルへ移籍してみると最高の環境だったとインス氏は振り返っている。インテルでは2シーズンプレイしたが、公式戦73試合に出場し13ゴール3アシストを記録、ファンからも愛される選手となった。
インテルでプレイした後、妻が母国への帰国を望んでいたこともありイングランドへ復帰。その後リヴァプールやミドルズブラ、ウルブズなどでもプレイしたインス氏だが、唯一の国外挑戦はいい思い出として残っているようだ。