PSV時代のロナウド photo/Getty Images
アトレティコの獲得リストにも挙がっていたようだが……
9日、チャンピオンズリーグ・リーグフェーズ第6節でオランダのPSVとスペインのアトレティコ・マドリードが対戦。試合はアウェイのアトレティコが3-2で接戦を制した。
今回の一戦と直接関係があるわけではないが、両チームの過去の関係を振り返ったのがスペイン『as』だ。1994-95シーズンにスペイン1部リーグで14位に沈んだアトレティコは、シーズンオフにFWの補強を検討していた。当時エースだったルイス・ガルシアが退団したこともあり、新エースが必要だったのだ。
当時のアトレティコ会長ヘスス・ヒル氏に対し、クラブのレジェンドであるルベン・カノ氏が推薦したのが元ブラジル代表FWロナウドだった。
当時のロナウドはブラジルのクルゼイロで強烈なインパクトを残し、1994年のW杯を制したブラジル代表メンバーにも選ばれていた。まだ17歳の若者だったが、実力は証明済みだ。ヒル元会長はロナウドの獲得へと動いたが、それより早く動いていたのがPSVだった。6億ペセタ(旧スペイン通貨)でロナウドの獲得を取りまとめていて、当時のアトレティコにとってこの金額は高すぎたようだ。クルゼイロからロナウドの権利を50%買い取る案なども出ていたようだが、最終的にロナウドはPSVへ。
代わりにアトレティコは、バイエルンからFWアドルフォ・バレンシアを獲得。しかしヒル元会長との折り合いも悪く、成績も上がらなかったことから1シーズンで退団している。
一方でロナウドはPSVで大爆発。
ロナウドはバルセロナでも通算49試合で47ゴール13アシストと大活躍。仮に1994年の夏にアトレティコがロナウドを引き抜けていれば、ロナウドはアトレティコでもゴールを量産していたに違いない。ルベン・カノ氏やヒル元会長にとって、ロナウドを獲得できなかったことは1つの後悔か。

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