英メディアが今でも忘れない“リョウジーニョ” 世界クラスのス...の画像はこちら >>

アーセナルと契約していた宮市 photo/Getty Images

当時は海外組の中でも特別な注目があった

今では若くして欧州へ向かう日本人選手も当たり前となったが、15年ほど前はまだまだその人数も少なかった。それもいきなりビッグクラブと契約できる選手は少なく、それだけに2011年に中京大中京高校からアーセナルへと向かったFW宮市亮のインパクトは特別なものがあった。



その後宮市はアーセナルからオランダの名門フェイエノールトにレンタル移籍すると、自慢のスピードに乗ったドリブルでサポーターを魅了。そのスピードは日本人離れしており、当時フェイエノールトのゲームを毎週追いかけていた日本のサッカーファンも少なくないはずだ。

現在横浜F・マリノスでプレイする宮市は33歳を迎えているが、改めてスポットを当てたのは英『Sportbible』だ。宮市はアーセナルで定位置を確保することは出来なかったが、ポテンシャルは特別なものがあった。不運だったのは膝の前十字靭帯断裂の大怪我を複数回経験したことで、この怪我は宮市のキャリアを大きく変えることになった。

同メディアは若き日の宮市がロナウジーニョならぬ『リョウジーニョ』と呼ばれていたと当時の衝撃を振り返っていて、怪我がなければどうなっていたかと取り上げている。

「当時アーセナルの監督だったヴェンゲルは、宮市について『バランス感覚に優れ、驚異的なスピードを誇り、パスやクロスの精度も高い』と絶賛していた。宮市最大の強みは間違いなくそのスピードにあり、アーセナル時代のテストでは100mを10.6秒で走ったなんて話もある」

「その後宮市は2015年にザンクトパウリへ向かったが、彼のキャリアを阻害したのが怪我だ。膝前十字靭帯断裂の影響は今も続いている。この怪我には過去3度苦しめられていて、手術を余儀なくされてきた。彼は現在J1でプレイしているが、怪我さえなければどうなっていただろうかと考えてしまう」

日本代表でも5試合プレイしたが、やはり怪我の影響は大きかった。スピードスターが怪我に苦しむのは過去のスポーツ界でも度々起きてきたことだが、怪我さえなければと悔やまずにはいられないか。


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