1988(昭和63)年6月20日
日米貿易交渉で牛肉・オレンジ輸入自由化
1988(昭和63)年6月20日、日米貿易交渉で1991年から牛肉、オレンジの輸入枠撤廃が決定されました。日本と米国の貿易摩擦の歴史は1950年代の繊維製品から始まっています。
1955年のワンダラー・ブラウス事件(=1ドルで買えるほど安いドレスの意)は、安い日本製ドレスが米国の繊維業者を圧迫すると非難された事件でしたが、米国の繊維業界において、実際の日本製品のシェアは2%に過ぎませんでした。
重要な輸出産業を失った日本は鉄鋼産業、自動車、カラーテレビなどへ輸出産業を変えていきます。1980年代には自動車の輸出台数が20年前の2万台から240万台へ増加し、これも日米貿易摩擦の火種となっていきました。
自動車輸出の自主規制を受け入れた日本政府は、それ以降、円高と貿易摩擦の激化を解消するために日本国内の内需拡大を目指しました。
しかし、その後も日米貿易摩擦は繰り返し、そのような中で農産物の輸出拡大を目指す米国は、日本に対して牛肉、オレンジの輸入自由化を求めました。
同年、米国通商法にスーパー301条(不公正な貿易であると米国が認定した場合、その国に対して一方的に制裁措置をとることができる)が成立。1989年には、米国は日本を同条項の不正貿易国と特定し、日米構造協議が開始されました。
1988年6月20日の日経平均株価終値は
28,139円03 銭
ライター: FIX JAPAN 前沢ともあき
(トウシル編集チーム)