6月中旬、中国の上海市に出張した著者の、実地調査、現場取材の最新レポート。不動産不況やデフレ、需要不足といった構造的問題が解消されない中、経済全体が「内巻式競争」という、閉鎖的、疲弊的、悪循環としての過当競争に陥っている現場を垣間見た。

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著者の加藤 嘉一が解説しています。以下のリンクよりご視聴ください。
上海最新レポート:コーヒー半額、電気自動車が3割値下げ、デフレで疲弊する中国経済


上海入りする前の中国経済への認識と低迷する主要統計

 6月中旬、中国の上海へ出張してきました。今回のレポートでは、その報告をさせていただければと思います。


 上海入りする前の中国経済に関する現状認識として、私は以下のように考えていました。


「中国政府は年間5.0%前後という成長目標を掲げ、財政出動や金融緩和を含めマクロ政策を打ち出してはいるものの、需要不足や不動産不況、デフレといった構造的問題がなかなか解消されず、景気低迷からなかなか抜け出せていない。抜け出すのも容易ではないだろう」


 国家統計局が6月16日に発表した5月(1~5月)の主要経済統計を、前月、前々月と比較しながら整理すると、以下のようになります。


  5月 4月 3月 工業生産 5.8% 6.1% 7.7% 小売売上 6.4% 5.1% 5.9% 固定資産投資 3.7%
(1~5月) 4.0%
(1~4月) 4.2%
(1~3月) 不動産開発投資 ▲10.7%
(1~5月) ▲10.3%
(1~4月) ▲9.9%
(1~3月) 不動産を除いた
固定資産投資 7.7%
(1~5月) 8.0%
(1~4月) 8.3%
(1~3月) 貿易
(輸出/輸入) 2.7%
(6.3%/▲2.1%) 5.6%
(9.3%/0.8%) 6.0%
(13.5%/▲3.5%) 失業率
(調査ベース、農村部除く) 5.0% 5.1% 5.2% 16~24歳失業率
(大学生除く) 14.9% 15.8% 16.5% 消費者物価指数(CPI) ▲0.1% ▲0.1% ▲0.1% 生産者物価指数(PPI) ▲3.3% ▲2.7% ▲2.5% 中国国家統計局の発表を基に筆者作成。▲はマイナス。数字は前年同月(期)比

 中国政府が成果として強調するように、小売売上という個人消費の分野は、5月、前年同月比6.4%増と前月に比べても明白な伸びが見られますが、その他の指標は、生産、投資、貿易を含め、おおむね低迷しています。特に貿易に関しては、4月の5.6%増に比べ、5月は2.7%増と、伸び率が半分以下の数値に低迷しています。


 米国との関税協議が続いており、両国ともに、双方の国内経済への打撃も考慮し、可能な限り「貿易戦争」はやらないという方向で交渉は進んでいるようですが、予断を許さない状況が続くとみるべきでしょう。


 また不動産開発投資は、3、4月と比べてもさらに下落率が上がっており、消費者物価指数(CPI)と生産者物価指数(PPI)も引き続き低迷。国家統計局は、「外部環境の変化を前に、マクロ政策を連動的に実行し、各部署も積極的に対応している」としつつも、今後の見通しとして、「国際環境に不確定要素が比較的多い。国内経済で長期的に蓄積された矛盾も依然顕在化している。経済が好転するための基礎は引き続き強化する必要がある」と決して先行きを楽観視はしていませんでした。


頻繁に耳にした[巻]という中国語。[内巻式競争]は確かに現場で起きていた

 さて、ここから上海に場面を移します。


 政府関係者との政策議論においては、上記の統計にも表れているように、政府としてできる景気支援策は打っているけれども、なかなか功を奏していないという見解を示していました。特に、「国内経済を巡る新旧の成長エンジンを転換する過程で存在する痛み」に懸念を示す関係者が多かったです。要するに、現在「市場の調整期」にあるとされる、不動産業界という従来のエンジンから、デジタルやグリーンといった新たなエンジンに経済成長の重心を移行する過程には、確かな「痛み」が伴うということです。


 その意味で、中国経済は現在「過渡期」「調整期」にあるという理解はある程度正しいでしょう。この特殊な時期的要素が、成長の下振れ圧力、景気低迷の要因になっているということです。

では、この時期はどの程度続くのか。私が意見交換をした関係者の意見はそれぞれ異なっていましたが、ここ1~2年が肝心と主張する方、なんだかんだ言って2~3年はかかるという方もいれば、5年は必要という方もいました。


 金融や製造業、サービス業に従事する市場関係者とも意見交換をしましたが、今回の出張の中で最も印象的だったのが、あらゆる会話の中で、「巻」という言葉が、形容詞として、随所で使用されていたことです。正直、最初はあまりうまく反応、理解できないほどでした。


「巻」という中国語の意味について、簡単に説明しておきます。


 近年、中国では「内巻式競争」が問題視されてきました。「内巻」(ネイジュエン)とは「involution」という英単語の訳語で、「非効率で不条理な、内部における過当競争」のことで、市場や社会におけるプレイヤーがそんな悪循環の競争に巻き込まれる過程で、みんなが疲弊し、努力しても無駄だという後ろ向きの心理がまん延する現象を指しています。


 日本でもかつて(業界によっては現在も続いているかもしれませんが)問題になった、価格を巡る過当競争をほうふつとさせるでしょう。


 中国語講座のようになってしまい恐縮ですが、市場関係者との会話の中で聞こえてきたこの言葉の使い方として、次のようなものがありました。


「巻得不得了」
(意訳:非常に内向きの競争が横行していて、業界全体が疲弊している)


「巻得只好到海外去」
(意訳:国内の過当競争に太刀打ちできず、海外へ進出するしかない)


「内巻」という、当初はインターネット上で、業界や自分を皮肉るかのように使用されていたスラング用語(名詞)が、もはや「巻」という形容詞として、「暑い」「忙しい」「疲れた」などと同じように、日常用語として、あるいは景気や市場の動向を形容するディスカッション用語として、広範かつ頻繁に使用されていたのです。


 改めて、中国という国家・社会の「変化のスピードとダイナミズム」に驚かされたというのが、これまで中国と20年以上付き合ってきた私の率直な感想です。


 実際、中国の各業界は「巻」という形容詞で示すのにふさわしいほどに、過当競争で価格が下落し、デフレに拍車をかけているという事象を随所で目撃しました。


 上海中心地にある高層マンションで、約120平米の物件が、コロナ禍前は1平米12万元(約240万円)だったのが、現在9万元(約180万円)まで下落していました。現地の業界関係者によると、この程度の下落率はざらにあるようです。


「内巻式競争」という文脈でやり玉に挙げられることの多いものが、コーヒーショップの価格です。私は今回上海の中心地で、かなりおしゃれな、壁一面にワインが並べられている店内で友人とお茶をしましたが、アメリカンコーヒー1杯20元(約400円)でした。中国において、喫茶店を利用する消費者は、コーヒーにお金を払うというよりは、その快適な場所を消費するという考え方が強く、おしゃれなお店ほど、価格も高めに設定されることが多いです。以前であれば、あれくらいのお店でアメリカンを飲めば25~30元(約500~600円)はしたことを考えると、かなり安くなったな…という感覚を抱きました。


 私は利用したことがないのですが、最近中国で台頭している「瑞幸珈琲」(Luckin Coffee)という国産コーヒーチェーン店(2019年にナスダック上場、その後粉飾決算で上場廃止)が、コーヒー業界の「内巻式競争」におけるプレイヤーとして、価格競争をあおってきたという話も聞きました。中国のスターバックスでは、コーヒー価格が1杯25~40元(約500~800円)程度に設定されていますが、その半額くらいで飲めてしまう店も台頭してきているようです。


 新エネルギー車が急速に普及する自動車業界でも同様の現象が起きています。最近の話として有名なのは、日本進出が注目される、中国本社のEV市場でトップシェアを誇るBYDが5月下旬に大幅な値下げに踏み切った事象です。23日(金)、「夏限定の一律価格」とうたいつつ、22のモデルを対象に、最大34%に上る値下げに踏み切りました。この動きを受けて、26日(月)、香港株式市場で「BYD」の株価は23日の終値と比べて9%以上下落しています。

株価急落の原因は、明らかに大幅な値下げ、そしてその背景にある、中国国内、業界内における「内巻式競争」だったといえるでしょう。


 今回、上海滞在中、中国タクシーアプリ大手DiDi(ディディ)を利用しましたが、BYDや理想汽車(Li Auto)などの新エネルギー車を運転するドライバーさんたちは、「この車は、以前は12万元だったが、今なら9万元で買える」など、自動車価格が明らかに下落している現状を、一律に口にしていました。


中国政府は「内巻式競争」にどう対応しようとしているか。放置は許されない

 上海で目撃した「巻」な経済的、社会的現象に対して、中国政府はどう対応しようとしているのでしょうか。私の理解では、当初はネット上のスラングに過ぎなかった「内巻」は、今では、習近平総書記を含めた共産党の為政者や経済官僚たちが、公式の場で使用する政策用語にまで昇華しています。


 まずは習近平氏の発言を見てみましょう。今年3月18日、全国人民代表大会(全人代)の江蘇省代表団分科会に参加した際、次のように語っています。


「生産要素の市場化改革を深化させ、地方における行き過ぎた保護政策、市場の分割、および内巻式競争を主導的に除去していかなければならない」


 閉鎖的な過当競争は、企業が価格や従業員への報酬を無理やり下げたり、地方政府が企業を誘致する際の土地、税収、補助金といった分野でも散見されたりするといいます。


 この問題に対応する上で重要な役割を担っている国家発展改革委員会は、5月20日に開かれた記者会見において、次の認識と対応を政府の公式見解として語っています。


「一部企業は内巻式競争に陥っている。低価格、超低価格、もっと言えば、コストよりも低い価格で商品を販売している。偽装品も散見される。

これらの現象は、市場競争における境界線とボトムラインを超えており、市場メカニズムをねじ曲げ、公平な競争秩序をかく乱させている。厳しく処置しなければならない」


 具体的対応としては、イノベーションを通じて産業構造のアップグレードを実現する/地方政府の保護主義的な政策や対応を取り締まる/産業構造を最適化し、淘汰(とうた)されるべき過剰生産の無秩序な拡張を抑制する/市場への監視監督を強化し、市場競争の生態を浄化する、などが挙げられています。


 私自身、今回の上海出張を通じて、この「内巻式競争」が社会や市場の至るところでまん延していて、中国の経済成長にとって非常にクリティカルな現象と化していると実感しました。この内向きの、悪循環の、疲弊的な過当競争は、不動産不況、デフレ、需要不足などをより深刻にし、経済成長そのものの足かせになっていくのは必至でしょう。


 中国経済の日本化(ジャパナイゼーション)を象徴する事象ともいえるのではないでしょうか。我々としては、日本経済や社会がこれまで味わってきた教訓を振り返りながら、中国経済の現在地と先行きを見つめ、適度な距離感とバランス感覚で付き合っていくしたたかさが、ますます求められていると思いました。


(加藤 嘉一)

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